「もう私たちは無関心ではいられない」犬山紙子が心とらわれた映画『アイダよ、何処へ』。

「もう私たちは無関心ではいられない」犬山紙子が心とらわれた映画『アイダよ、何処へ』。

  • フィガロジャポン
  • 更新日:2021/10/14

過酷さに逆らう瞳が放つ、強く絶えない光を受けて。

『アイダよ、何処へ?』

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『サラエボの花』の監督がボスニア紛争末期の惨劇を見据え、子らへ未来を託す。「安全地帯」とされた町での国連保護軍の弱腰と、窮地に立つ人々の顔立ちの尊さ。

絶対に繰り返してはいけない歴史がある。ジェノサイドはその最たるものだが、1995年、たった四半世紀前に実際にそれは起こった。『アイダよ、何処へ?』では実際に起こったスレブレニツァ・ジェノサイドが、ひとりの母親アイダの「なんとしても夫と息子たちを助ける」という目線を通して描かれている。彼女は国連軍で通訳として働いているため、自分たちの置かれる立場が耳に入ってくる。それは、自分たちを守ってくれるはずの国連軍が守ってくれない事実。彼女は死に物狂いで逆らうのだ。

悲しみの果てに見える景色は。

その逆らう瞳は遠い国の私をも引き込んだ。アイダの瞳はずっと強い光を放つ。自分だって殺されるかもしれないのに、彼女の瞳は前へ前へ絶対に光を無くさない。これを「母は強し」だなんて言葉で片付けたくはない。本来、家族の命が脅かされて引き出される強さなんてなくて良いものなのだ。その光は命を削っている光だった。

この映画は、主人公のアイダが女性であること、そして監督のヤスミラ・ジュバニッチも女性であることの意味も感じさせられる。監督は10代にボスニアの紛争に巻き込まれており、これまでの作品でもボスニア紛争の傷跡を追いかけている。スレブレニツァの生き延びた女性たちにも話を丁寧に聞き、そこからこのラストが生まれているのだ。女性たちは紛争の中で、ジェノサイドの中で、何を見て、その後何を思うのか。巻き込まれ、傷つけられた彼女たちが願うものは。ジェノサイドの後のアイダの瞳こそ、この作品の中でいっとう美しく光る。もう私たちは無関心ではいられないはずだ。

そして2021年。アフガニスタンの現状、特に女性の置かれる立場を心配している人も多いだろう。この作品をまだまだ悲しみが続く今こそ観て、自分ごとにする必要があるんだろう。

文:犬山紙子/イラストエッセイスト
2011年、ブログ本『負け美女』(マガジンハウス刊)でデビュー。以後、TV、ラジオ、雑誌など広く活動中。新著に『すべての夫婦には問題があり、すべての問題には解決策がある』(扶桑社刊)。出産後は児童虐待防止にも取り組む。

『アイダよ、何処へ?』
監督・脚本/ヤスミラ・ジュバニッチ
出演/ヤスナ・ジュリチッチ、イズディン・バイロヴィッチ、ボリス・レアーほか
2020年、ボスニアヘルツェゴビナ・オーストリア・ルーマニア・オランダ・ドイツ・ポーランド・フランス・ノルウェー・トルコ映画 101分
配給/アルバトロス・フィルム
Bunkamuraル・シネマ、ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館ほか、全国にて順次公開中
https://aida-movie.com

新型コロナウイルス感染症の影響により、公開時期が変更となる場合があります。最新情報は各作品のHPをご確認ください。

*「フィガロジャポン」2021年11月号より抜粋

フィガロジャポン編集部

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