地方移住のリアル 東京在住の経営コンサルタントが「協力隊」を始めたワケ

地方移住のリアル 東京在住の経営コンサルタントが「協力隊」を始めたワケ

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  • 更新日:2023/09/19
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立科町移住後に始めた家庭菜園でトマトを収穫中の中平さん【写真:芳賀宏】

長野県の東部に位置する立科町。農業と観光を主な産業とする町ですが、ほかの地域と同様に人口減少が深刻な問題になっています。「地域おこし協力隊」として最終年となる3年目を迎えた中平次郎さんは、経営コンサルタントという本業を持ちながら、マネジメント視点で移住促進担当として町の活性化に挑んでいます。前編では、経営コンサルタントとして東京で働いていた中平さんがなぜ地方移住を考えたのか、その理由について伺いました。

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経営コンサルタントと地方創生 ふたつを結びつけるものとは

全国で約6000人が活躍中の「地域おこし協力隊」には、さまざまなバックグラウンドを持った人がいます。中平さんはIT業界から転身。先駆的なマネジメントと経営論で知られるピーター・ドラッカーの理論を学び、主に中小企業向けの経営コンサルタントとして「株式会社ASC」を起業し、代表取締役として活躍しています。

一見、経営コンサルタントと地方創生との直接的な結びつきは思い浮かばないかもしれません。しかし、「首都圏と比較して、地方は2~3年遅れているといわれています。だからこそ移住促進や産業の活性化、高度人材育成に取り組むことは、今までの学びと経験をいかせる場だと思います」と話します。

地方移住者の多くは、田舎暮らしへの憧れや長年の夢を抱いて来ることが少なくありません。しかし、中平さんは少し違いました。

今から10年前に経営コンサルタントとして独立。顧客とビジネスパートナーを増やしてきたなかで、「Uターンはもちろん、どこかに移住しようという気持ちはまったくなく、ビジネス・経済の中心である東京でやっていくものだと考えていました」といいます。

生まれたのは和歌山県田辺市。実家は住宅街の中でしたが、父方の祖父宅がある同県本宮町(現在は田辺市に併合)は目の前に低い山々と熊野川があり、住まいは築100年を超える古民家。小さな頃から休みのたびに訪れていた当時の場所は「本当に何もない田舎」だったそうです。

地方移住を考えたワケ 実際に来て感じた田舎のリアル

県内の高校を卒業後は東京の大学に進学。卒業後も東京で仕事に就いていた中平さんに少しずつ「田舎暮らし」への関心をもたらしたのは、次々と身近に迫る環境の変化でした。

2011年に起きた東日本大震災の際は、一部で食糧や飲料水のサプライチェーンが止まりましたが、その後も地震が起これば交通網はストップ、大雨による被害も珍しくありません……。東京は経済の中心にあるものの自給自足ができず、かつ災害に弱いと実感するようになりました。

とどめとなったのは、新型コロナウイルス感染症によるパンデミックでした。「リモートワークが可能になっても、当時の家には在宅勤務ができる場所がないし、生産性も上がらない。むしろネットさえつながれば、東京じゃなくてもいいのでは」と考え始めたそうです。

その頃、過去に何度か訪れていた北軽井沢や八ヶ岳近辺を旅行し、改めて自然の美しさを再認識したといいます。そして2021年1月、東信エリア(上田市、東御市、佐久市、立科町)の移住相談会に参加。翌月には視察を兼ねて立科町を訪れ、初めて「地域おこし協力隊」の存在を知ったそうです。

「地域とのこういう関わり方があるのなら、念願だった地方創生、地域活性化のお手伝いを『with コロナ』の間だけでもやってみるのはありだ!」と即決。応募、採用、そして同年5月には移住していました。

「一応、下調べのようなことはしましたが、実際は立科町のことをほとんど知らないまま来てしまったという感じです」

最初に訪れたのが冬だったこともあり、「こんなに寒いところで冬を越せるだろうか?」という不安はありましたが、実際に住んでみると車がなければ生活できないし、限られた電車とバスの時間を逃したら帰れない……などなど、東京では考えられない現実に直面することになりました。

それでも、子どもの頃の記憶にある祖父宅の「本当に何もない田舎」とは違ったそうです。「スーパーマーケットもホームセンターも、ドラッグストアも近くにあるので意外に困らない」ことに気づいたといいます。さらに、信州は自然災害が少ないこともわかってきました。

東京では経験できなかった自然とのふれあい 恵みを満喫中

季節感が乏しくなった昨今ですが、「立科町にいれば四季を満喫できます」と中平さん。春はカッコウの鳴き声が聞こえ、リンゴの花が咲き、山菜のお裾分けをいただくこともあります。夏はクーラーを使うことも少なく、車で30分足らずの高原エリアに足を延ばせば、とにかく涼しい。人工衛星が肉眼で見えるほど澄んだ星空は圧巻です。

タマネギ、ジャガイモ、トマトにキュウリと夏野菜を買うことはほぼありませんし、秋はおいしい新米の季節です。紅葉が黄色、橙や赤と鮮やかに色づきます。冬は雪化粧の浅間山と蓼科山……。おすすめできる材料を挙げればきりがありません。

そうしたなかでも感動したのは、おいしい水とリンゴだったそうです。

毎朝、野菜やフルーツ、天然オリゴ糖などで“健康ジュース”を作るのが日課という中平さんは、「毎日1つは食べたい」という無類のリンゴ好き。長野県内でもおいしいリンゴの産地として知られる立科町では、早いものでは9月頃から収穫が始まり、11月に入ると主力品種の「ふじ」が多く出回ります。

移住相談の拠点となる町の施設「ふるさと交流館 芦田宿」は町の人たちの交流の場でもあり、いろいろな人が顔を出します。そのなかにはリンゴ農家も少なからずいて、小さいものや少しだけ鳥に突かれ商品にならない「はぶき」と呼ばれる規格外のリンゴを箱で持ってきてくれます。もちろん無料です! 「ささやかだけど、これがうれしいんです」とメリットを享受しています。

ただ、悩みは本業と「協力隊」のダブルワークでなかなか時間が取れないこと。近所に無料で畑を借りることができたので、これまで無縁だった家庭菜園に初挑戦したものの、「庭や畑の草取りが大変で遊びに行けませんし、イングリッシュラベンダーを植えているけど取り切れない」と苦笑い。

とはいえ、東京では経験できなかった自分で育てたトマトやナス、キュウリ、イチゴを味わう至福の時間は、忙しい日々のなかでリフレッシュする機会になっているようです。

芳賀 宏(長野県立科町地域おこし協力隊)

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