約1000年前、創建時の扉絵が発見された平等院鳳凰堂と鳳凰像に関する有名な噂

約1000年前、創建時の扉絵が発見された平等院鳳凰堂と鳳凰像に関する有名な噂

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  • 更新日:2020/10/17
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10円玉の表面に刻印されていることでも有名な、京都の平等院鳳凰堂。
平等院は江戸時代に取り外された鳳凰堂の旧東面中央扉に、約1000年前の創建時に描かれたものとみられる来迎図が残っていることを確認したと12日に発表した。この扉は江戸時代の1670年に扉が新造された際に取り外され、以降平等院で保管されていたもの。年月を重ねて激しく損傷していたため、2018年に修理が行われた。翌19年に東京文化財研究所が非破壊非接触の光学調査を行ったところ、絵が浮かび上がってきた。絵は、建物のすぐ上を複数の菩薩が飛んで臨終を迎えた者のもとに向かう構図。生前に徳を積んだ最上官位の人への菩薩が来迎している絵であり、大胆かつ印象的な絵だと平等院はコメントしている。

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平等院は藤原氏ゆかりの寺であり、阿弥陀如来をまつる鳳凰堂は1053(天喜元)年に建立された。鳳凰堂は「観無量寿経」に基づき、西方極楽浄土とその教主である阿弥陀如来を観想させるために建立されたと言われている。鳳凰堂を飾る壁扉画や菩薩像、庭園は極楽浄土の様子を再現したものであり、鳳凰堂全体は密教の阿弥陀曼荼羅を表現したものと考えられている。今回発見された扉の来迎図は、衆生を再現された西方浄土に迎え入れるために描かれたものなのかもしれない。

さて、鳳凰堂の中央大棟の両端を飾る鳳凰像。1041(長久2)年2月に仏師に命じられて作られ阿弥陀堂の上を飾るようになったもので、阿弥陀堂が「鳳凰堂」の名前で呼ばれるようになったのは、近世の人々がこの像に基づいてそう呼ぶようになったからだとされている。

もちろん、10円玉の表にある鳳凰堂にも、小さな小さな鳳凰がきちんと鎮座しているのだが、こちらの鳳凰には有名な噂がある。「10円玉の鳳凰は左右で形が違い、それぞれオスとメスで分かれている」というもの。確かによく見れば左右で形状が違うように思えるが、これは本当なのだろうか。

実は平等院鳳凰堂の鳳凰像には、雌雄の区別はないのだという。中国の伝説では鳳がオス、凰はメスとされ雌雄一対で陰陽の調和を示すとされているが、雌雄はあっても外見上の差異はないのだという。例えばニワトリのように、オスだから鶏冠があるなどといった明確な違いはないそうだ。しかし、鳳凰堂の鳳凰像は左右の北像と南像で微妙に大きさが違う。向かって右側の北方像が高さ98.8センチで幅34.5センチ、左側の南方像が高さ95.0センチで幅44.5センチとのことだ。この微妙な大きさの違いから「オスとメスで分かれている」と噂されるようになったのかもしれない。

参考記事
https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/379346

(山口敏太郎)

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