落合博満が番記者との別れ際に放った一言「俺の話はしない方がいい」

落合博満が番記者との別れ際に放った一言「俺の話はしない方がいい」

  • NEWSポストセブン
  • 更新日:2021/10/14
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「俺の話はしない方がいい」の真意とは(時事通信フォト)

仏頂面で腕を組み無言のままベンチに座る──球史に数多いる監督の中でも毀誉褒貶が激しいのが、落合博満だ。そんな彼の素顔に肉薄したノンフィクション『嫌われた監督』(文藝春秋刊)がベストセラーになっている。著者の鈴木忠平氏が本誌に特別寄稿した。(全4回の第4回)

* * *
私が監督としての落合と最後に会ったのは、2011年の12月だった。クリスマス間近のよく晴れた日だった。

その日、私は名古屋の東部にある落合のマンションに向かっていた。落合はすでに中日の監督を退任することが決まっていて、ソフトバンクホークスとの日本シリーズを戦い終えていた。

それと前後して、私もチームの担当を離れることになった。別れの礼儀としてそれを伝えにいったのだった。

「ちょっと乗れよ」

ほとんど手ぶらでマンションを出てきた落合はそう言って、タクシーに乗り込んだ。

名古屋の中心街へと向かう車中で転勤を告げると、落合は「そうか」と言った。そして私を見た。

「ひとつ覚えておけよ」

何かの核心に触れるときの顔だった。

「お前がこの先いく場所で、俺の話はしない方がいい。するな」

私は一瞬、何を言われているのか理解できなかった。プロ野球の世界では、別れ際に「自分のことを忘れないでくれ」と言う取材対象はいても、「自分の話はするな」と言う人物は見たことがなかったからだ。

落合は窓の外へと視線を移すと、空を見上げながら続けた。

「俺のやり方が正しいとは限らないってことだ。お前はこれからいく場所で見たものを、お前の目で判断すればいい。俺は関係ない」

言葉の真意がどこにあるのか。静かな口調と、淡々とした表情からは何も読み取れなかった。

あの日もやはり、落合は問いだけを残していった。

「おお……そうか」

落合は一体、何を伝えようとしたのだろう。あれから10年が経った今も、自問は続いている。

ただ、落合を追った8年間をひとつの物語として書いてみて、自分なりに思い至ったことはある。

俺のような生き方は誰にもできない。これは万人の正解などではなく、自分にだけしか当てはまらない答えなのだと、この世に他人から与えてもらう答えなど存在しないのだと、落合は言いたかったのかもしれない。

確かに私の胸には、落合のような生き方への羨望と怖れと、自分には絶対にできないという諦めがある。それが落合について書かなければ、という使命感の源だった。

落合が監督をした8年間に関する連載(『週刊文春』2020年8月~2021年3月)を世の中へ発表するという段になって、私はあの冬の日のように、それを本人に告げておく必要があると思った。

久しぶりに聞く声は、少し枯れたように感じられたが、会話に漂う緊迫感は変わらなかった。

これは私が書き手として死ぬまでにやろうと思っていたことのひとつで、それが週刊誌の要請を受けて今になったと告げると、落合はこう言った。

「おお……そうか」

それだけだった。何を書くのか。どう書くのか。賛否も可否も正誤も、答えらしきことは何も口にしなかった。

落合はあの頃も今も、落合博満のまま時代を生きていた。それはおそらく1960年代、秋田の高校で、野球部の旧弊に嫌気がさし、グラウンドに背を向けたころから変わっていない。

好きであれ、嫌いであれ、落合がいまだ人々の関心を惹きつけるのは、時代を突き通すような、その普遍性のためではないか。極端な孤独と自由が放つ鮮烈さのためではないだろうか。

少なくとも私自身はこれからも、「おまえ、ひとりか?」と、自分に問いかけながら生きていくことになる。その先に答えがあるかはわからないが、否が応でも、そうせざるを得ない。

【プロフィール】
鈴木忠平(すずき・ただひら)/ライター。1977年千葉県生まれ。日刊スポーツ新聞社を経て、2016年に独立し2019年までNumber編集部に所属。現在はフリーで活動している。著書に『清原和博への告白 甲子園13本塁打の真実』(文藝春秋刊)など。

※週刊ポスト2021年10月15・22日号

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