平穏な日常が一瞬で崩れ去る恐怖がリアルに迫る...! ミステリの名手、芦沢央の最新短編『汚れた手をそこで拭かない』

平穏な日常が一瞬で崩れ去る恐怖がリアルに迫る...! ミステリの名手、芦沢央の最新短編『汚れた手をそこで拭かない』

  • ダ・ヴィンチニュース
  • 更新日:2020/10/17
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『汚れた手をそこで拭かない』(芦沢央/文藝春秋)

よく知りあいに「ミステリって興味はあるけど、どれから読んでいいのか分からない」と聞かれる。そんな時は何人かお薦めの小説家の名前を挙げるのだが、芦沢央氏も必ずその中に含まれる。山本周五郎賞に2度、日本推理作家協会賞で3度受賞候補になっている芦沢氏。リーダビリティーが高いこともあり、ミステリでありながらエンタテインメントとしても一級品の小説を書く。そんな作家はそうそういないだろう。

その芦沢氏は、8月19日に『僕の神さま』(KADOKAWA)を刊行したばかりだが、矢継ぎ早に新刊を発売。9月26日に、日本推理作家協会賞候補作の2作を含む5編からなる独立短編集『汚れた手をそこで拭かない』(文藝春秋)を上梓した。旺盛な創作意欲のたまものだろう、実際、その筆致は冴えに冴えている。まず目を惹かれるのが表紙。芦沢氏の作品には常に不穏な空気が流れており、この表紙だけで作品のトーンが伝わってくる。

平穏な日常のふとした瞬間に一旦躓くと、階段から転げ落ちるような悲劇が起きる。芦沢氏の作品はそうした類の作品が多く、本作で言えば「埋め合わせ」が特にその傾向が強い。小学校のプールの排水バルブの栓を閉め忘れた小学校教諭が、自らのミスをなんとか隠蔽しようと奔走する話で、文字通り手に汗を握りながら読んだ。

もし異常な水道代の請求によって、プールの水を改めて入れなおしたことが明らかになれば、のちに大問題になる。真っ先に自分が疑われるだろう。そうなる前になんとかしなければ。そこで教諭はトイレの水を出しっぱなしにし、それを子供のやったことにするなど、考え得るあらゆる手段を尽くすが、どれもうまくいかない。焦りながら何度も作戦を練るものの、一向に実現せず、ひたすら空転するばかり。教諭の切迫した、というか、ひたすらテンパっている描写が実に写実的で、読むほうもつられてテンパってしまうのだ。

ところが、プールの一件で教頭が犯人を特定する段になって、思いもかけない展開が待っている。中途のサスペンスと結末の意外性はミステリのキモだが、前者はひたすら策を講じながらもテンパり続ける教諭の姿に顕著であり、後者はある登場人物の言動で事態が一変する場面である。この意外過ぎる結末を予想できた人はさすがにいないのではないだろうか。小手先のトリックやギミックではなく、大胆などんでん返しで読者をも翻弄する。

もちろん、他の4編も秀抜で、進化/深化をとめない芦沢氏の独壇場。最新作が常に最高傑作とでも呼べるクオリティである。

「ただ、運が悪かっただけ」は、余命いくばくもない50代の女性が主人公。せめて夫の秘密を共有することで、残される彼の苦悩を弱らげようと語りかける。夫は、若い頃、人を死なせてしまったと、工務店に努めていた時に遭遇したモンスターカスタマーに振りまわされたという話を始めるが……。

「忘却」は、郊外の家を売って駅近のアパートら引っ越した主人公夫婦の隣宅に住む老人が、熱中症で孤独死するところから話が始まる。老人の死因には想定外の要素が絡んでおり、細部まで読み込んだミステリ好きでもあっと驚くであろう。

「お蔵入り」は、アイドルの小島と念願の初監督作品が無事に撮り終えた大崎。だが、主演のベテラン名優の岸野が違法薬物を使用していたことがわかり、本人ともみあいになるうちに、誤って転落死させてしまう。タイトル通り、映画は「お蔵入り」になる可能性が強くなるが、小島の熱狂的なファンの証言により、小島が容疑者として浮上する。

『ミモザ』は、料理研究家の女性のサイン会に、以前不倫関係にあった男性が姿を現すところから話が始まる。サイン会後、ふたりは過去を回想しながら会話に興じる。優しい夫と家庭を築き、成功を手にいれた女性と、離婚して家族を失い会社も辞めた男性。二人の境遇は、あまりに変化していた。だが、男性に金を貸してくれと迫られ、女性がいまの立場の優越感から、今回だけと、その求めに応じたことから、じりじりと精神的に追い詰められてゆく。

「ただ、運が悪かっただけ」というタイトルは、本書の通奏低音になっている。言うなれば、2択の問題で外れクジを引いた人が酷い目に遭うような。ちょっとした偶然が重なって悲劇を生むような。たまたま隣人がこんな性格だったから、というような。タイミングと運が悪かったら自分もこうなっていたかも、と読者に想わせるだけのリアリティがどの短編にもある。天災やテロがなくても、平穏な日常はいとも簡単に崩れてしまうのだ。そんなことを痛感させる作品である。

文=土佐有明

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