わずか17歳で思悼世子を陥れた貞純王后は恐ろしい悪女だった!

わずか17歳で思悼世子を陥れた貞純王后は恐ろしい悪女だった!

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  • 更新日:2021/09/15

21代王・英祖(ヨンジョ)の最初の妻であった貞聖(チョンソン)王后は1692年に生まれている。それから53年後に生まれたのが、英祖の二番目の妻だった貞純(チョンスン)王后であった。

同じく英祖の妻であっても、2人の年齢差は53歳もあったということだ。これは、長生きした英祖が晩年に再婚して10代の娘を嫁にしたので、こんな奇妙なことが起こったのである。

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1759年に14歳で貞純王后が王妃になったとき、英祖の息子の思悼世子は24歳だった。彼は義母にあたる貞純王后より10歳も年上だった。これだけの逆転現象が起きると、普通は義母が遠慮するものだが、貞純王后はそうではなかった。

むしろ、彼女は思悼世子にとてもつらく当たった。

それには理由があった。

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『イ・サン』で貞純王后を演じたキム・ヨジン

貞純王后の悪行

実は貞純王后の父は、思悼世子と対立関係にあった老論派(当時の最大派閥)の重要人物だった。その結果、貞純王后は思悼世子の素行の悪さを英祖に告げ口するように父からしつこく言われていた。

さらに、貞純王后と思悼世子の性格もまったく合わなかった。むしろ、貞純王后は義母として喜んで思悼世子をいじめ抜いた。10代とは、とうてい思えなかった。

やはり、貞純王后は性格が勝ち気だったのだ。さらに、人間の好き嫌いが本当にはっきりしていた。

これは、思悼世子にとって本当に不利なことだった。

結局、英祖と思悼世子は関係が極端に悪化して、英祖は思悼世子に自害を命じた。しかし、従わなかったので、英祖は思悼世子を米びつに閉じ込めて餓死させた。

こうした悲劇が起こった背景には、貞純王后の悪行も大いに関係していた。

1776年に思悼世子の息子だった正祖(チョンジョ)が即位したとき、彼は父親を陥れた者を処罰したが、貞純王后だけはそれができなかった。貞純王后が祖母に該当したためだった。こうして命を救われた貞純王后は、1805年に60歳で亡くなっている。

時代劇『イ・サン』ではキム・ヨジンが貞純王后を演じていた。アクが強い彼女が演じると、貞純王后の悪行にも本当に迫力があった。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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