「政治は終わった。後はテックが解決する」分断が進む社会で民主主義が持てる希望とは

「政治は終わった。後はテックが解決する」分断が進む社会で民主主義が持てる希望とは

  • 文春オンライン
  • 更新日:2020/11/21

アメリカ大統領選挙で、ドナルド・トランプ、ジョー・バイデン両候補の支持率が二分したことは記憶に新しい。日本でも、「パヨク」「ネトウヨ」など、さまざまな侮蔑を、自身とは異なる政治信条の持ち主にぶつける人は枚挙にいとまがない。

こうした分断はこれから先どのように政治に影響を及ぼすのだろうか。真鍋厚氏の著書『山本太郎とN国党 SNSが変える民主主義』から、庶民の求めているリーダー、そしてこれからの民主主義の行方について抜粋し、紹介する。

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選挙ですべてが変わるというファンタジー

ヘイト・エコノミー(憎悪経済)を基盤とする「『いいね!』戦争」は、前述の「個人憎悪」へと流れやすい特性を併せ持っていることから、政治家――上は安倍晋三前首相から下は名もない町議まで――のソーシャルメディアのアカウントに対する攻撃を促します。これは嫌がらせや悪意のあるリプライやメッセージを送りつける行為自体への懸念といった単純な話ではありません。「#検察庁法改正案に抗議します」という「ハッシュタグ戦争」の動機付けが、国家が適正な手続きを行っているかどうかを監視するという普遍的な問題意識からではなく、どちらかといえば安倍晋三や東京高等検察庁検事長(当時)の黒川弘務に対する「個人憎悪」に発した趣きがあり、「テラスハウス」の彼女とまったく同様に、ネット上からアカウントが削除されるがごとく、現実にも「抹殺される」ことを期待している気分すらうかがえたからです。まるで“呪殺”です。

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©iStock.com

いつの時代も社会変革は斬新的なもの

このような乱暴なショートカットの背後には、政治家の場合はとりわけ選挙に対するあまりにナイーブな考え方があります。次章でも類似の議論を展開しますが、いわば選挙結果によって、すなわち首長が変わることによって社会のすべてが変わるかのようなマジカルな思考です。これは第一章で述べた消費者マインドとは少し違います。選挙によって、政治家主導によって、社会変革が成し遂げられるという一種のファンタジーです。当たり前ですが、社会というものはどちらかといえば、政治とは直接無関係な領域から成り立っています。また、歴史的に見ても、いつの時代も社会変革というものは漸進的なもので、一夜にして成就されるようなものではありません。現在、町づくりなどを率先して行っている人たちがいますが、行政に頼ることなく(行政そのものが設けている制度が障害となっている場合を除き)自分たちでアイデアや人手を出し合って、無理のない相互扶助の体制を作っているケースが大半です。

政治家の引きずりおろしが目的化?

彼らは社会というものを、まずは自分たちの手が届く範囲から良くしていこうと思っているのです。これは真っ当なリアリズムに基づくものです。たかが一度や二度の投票行動などで社会が変わらないことを知っているからこそ、自分に何ができるかをしっかりと考えたうえで、自分が住んでいる地域、あるいは働いている職場で「スモールな社会変革」を実践しているのです。これは決して選挙を軽視しているわけではなく、政治の限界を弁えたうえで選挙運動に参加し、ローカルな単位での社会変革も進めていく立場です。しかし、コミュニティ的な所属がなく、社会的に孤立し、仲間内というものに与れていない人ほど、政治家の強権発動によって社会が一挙に救済される夢を見るようになります。その発想の逆バージョンが「敵認定」した政治家を引きずり下ろすことで社会が一挙に救済される夢を見ることなのです。どちらも同じ穴のムジナです。

「政治家を引きずり下ろす政治家」待望論

他方、このようなヘイト・エコノミー(憎悪経済)を基盤とする「『いいね!』戦争」の氾濫が、かえって「政治的無関心」「政治離れ」に拍車を掛ける恐れがあります。

朝日新聞社が参院選直後の2019年7月に実施した世論調査で、低投票率の理由を尋ねたところ、「投票しても政治は変わらない」が最多の43%に上りました。次いで「政治に関心がない」が32%を占めました。18~29歳の若年層に限ると、その割合は逆転して前者が38%、後者が48%と無関心が上回りました(「『政治変わらぬ』最多43% 参院選、低投票率の理由 朝日新聞社世論調査」朝日新聞デジタル)。

無党派層はネット上の政治闘争に辟易

ネット上の政治闘争を見聞きしてうんざりした無党派層にとっては、元々あった「政治に関わることは不毛で、かつ時間のムダ」という意識をさらに強固にしたことでしょう。政治的な立場を表明すること自体が、ネット空間、ソーシャルメディア上では嫌がらせや誹謗中傷、攻撃の理由になるからです。それだけではなく、ほどなく「情報戦の戦場」で傷つき、疲弊して、心底絶望して離脱する人々も続々と現れます。そのようなサイクルが繰り返されるとどうなるかは明白です。貴重な可処分時間の使い道を吟味することを考えると、目の前の「政治腐敗の追及」よりも「タピオカの人気店」を、目の前の「ハッシュタグ戦争」よりも「人気YouTuberの最新動画」を選ぶのがベターとなるでしょう。そして、もはや何の役にも立たない選挙制度などを含めた民主主義のシステムそのものが、民意の邪魔をしているボトルネックにしか感じられず、この際それを捨て去ることが最良であるかのようにも思えてくるのです。そのため、「政治家を政治の舞台から駆逐する政治家」を待望する風潮はむしろ次第に強まってゆくのです。これは「政治的無関心」「政治離れ」ゆえの大いなる倒錯といえるでしょう。すでにその兆候は観察することができます。

“庶民”の視点を代弁したホリエモン

2020年7月の東京都知事選への出馬が囁かれていた実業家のホリエモンこと堀江貴文は、そのような人々の受け皿となる可能性が十二分にありました。堀江の著書『東京改造計画』(幻冬舎)には冒頭から都知事の小池を「選挙に勝ちたいだけの自己保身の『政治屋』が当選したところで、思い切った仕事なんてできるわけがない」「言いっぱなしの公約がどうなったのか検証されない政治家とは、ずいぶんとお気楽な商売だ」と痛烈に批判します。軽蔑の意味が込められた「政治屋」とは、「政治家であることそのものが自己目的化し、政治家が本来果たすべき使命をまるで果たせていない」政治家のことを指しています。一般人から比べて高い報酬を得ているにもかかわらず、知事や議員のポストにしがみつくことに注力し、ひたすら当たり障りのない政治家を演じ続けようとする人々。これが庶民の目から見て、道義的に許されない存在であることを代弁しています。「政治的無関心」「政治離れ」を公言する人々であっても、このような特権的地位をひたすら享受するだけの「政治屋」は、憎悪の対象とすべき税金泥棒のように映ることでしょう。

「政治は終わった。後はテックが解決する」

東京都への緊急提言37項を見ると、「学校解体で子どもの才能を解放する」「大麻解禁」「QRコードで投票できる」「東京都をオール民営化」「限りなく生活コストを下げる」などの文言があります。ここには、ある種のテクノユートピア的な理想世界が描かれています。例えば、家賃が限りなくゼロで住める「都営シェアハウス」を各所に開設し、働かなくても遊んで暮らせる若者や高齢者の居場所を作ると豪語しています。そこでは、AIとロボットの技術が進めば進むほど、人間が汗水垂らして働かなくても機械が働いてくれるだろうというテクノロジーによる課題解決が期待されています。堀江は、そのとき、いかに充実した「暇つぶし」ができるかがポイントだと述べます。

〈 もはや衣食住のために働く必要はない。生きていくためのコストはいくらでも下げられる。

老いも若きもゲームやエンタメ、スポーツを楽しむ。

「仕事が遊び、仕事が暇つぶし」。そんな幸福度の高い生き方を実現するためのセーフティーネットを充実させる。

これから僕たちがやるべきことは「労働」ではない。「遊び」だ。

(堀江貴文『東京改造計画』幻冬舎) 〉

(政治が機能不全に陥っているがゆえの)「政治的無関心」と(政治を終わらせるための)「再部族化行為」はヤヌスの二つの顔というわけです。

つまり、現状に対する絶望が深まれば深まるほど、「人が統治する民主主義による解決」より「テクノロジーによる救済」が魅力的なシナリオとして浮上するのです。仮に利権と排除に塗れた福祉行政をベーシックインカムに一本化し、AI技術などによって健康で文化的な生活が送れるようになるのであれば、政治家の出番、役人の出番は不要といった極論まですんでのところでしょう。「もう政治の役割は終わった。後はテックがすべてを解決する」というわけです。

民主制の黄昏

歴史学者のユヴァル・ノア・ハラリは昨今、政治制度をデータ処理システムとして解釈するようになってきていると述べ、独裁制は集中処理、民主主義は分散処理の方法を好むとの認識を示しました。しかし、「これは、21世紀に再びデータ処理の条件が変化するにつれ、民主主義が衰退し、消滅さえするかもしれないことを意味している」というのです(ユヴァル・ノア・ハラリ『ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来(下)』柴田裕之訳、河出書房新社)。「データの量と速度が増すとともに、選挙や政党や議会のような従来の制度は廃れるかもしれない。それらが非倫理的だからではなく、データを効率的に処理できないからだ」と。

れいわ新選組やN国党に代表される新興勢力の急激な伸長が、現在のデータ処理のあり方が本質的に誤っていることを示す化学反応であり、堀江が最終的に志向する未来図の通過点に当たるものであるとしたら、わたしたちは民主制の黄昏に立ち会っているといえるのかもしれません。

妖しい輝きを放つ“政治コミュニティ”…「れいわ新選組」「N国党」はなぜ躍進したのかへ続く

(真鍋 厚)

真鍋 厚

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