
第一章 阿梅という少女
五
重綱さまには何人かの側室がいて、わたくしも人並みに嫉妬に苦しむことだってある。これで誰かが男子を出産でもしたら、気が狂うかも知れない。
「阿梅さんはここさ残るんでねすか?」
ということは、もう一人側室が増えるということなのだった。周囲にとってそれはもう既定の事実のようで、気づいていないのはわたくしと阿梅姉妹ぐらいだろう。だが阿梅にも近い将来、それが父左衛門佐どのの計画だと知る日が訪れる。
姉妹はそろって美貌だが、二人の印象はまるで違う。
阿梅の双眸の強い輝きと無駄のない、それでいて舞うような立居振舞には、ひとの目を惹きつけずにはおかない華やかさと強さがある。生まれながらにもつ品格とでも言うのだろうか、幼い中にもすでにして威厳があるのだ。
一方の阿菖蒲は、ふっくらとした頬に細く鼻筋がとおった端正な面差しである。阿梅は父親似で阿菖蒲は母親の大谷(おおたに)氏の血を濃く受け継いだのかも知れない。
「阿梅は父御と母御のどちらに似ていると言われていたのかしら?」
阿梅は驚いたように針を持った手を浮かせ、小さな小袖から目を上げた。
「父親によく似ていると言われていました」
悲しいことを思い出させてしまったと思ったが、阿梅は何事もなく針仕事に心を向けているように見えた。父と兄の最期も知っている。母と妹のあぐりが紀州で捕縛され、徳川に差し出されたこと、一命を助けられて京に暮らしていることも知っている。
さまざまに思いを巡らしているようではあるが、どんなときも背筋を伸ばし顔を上げている。目に入るすべてを見落とすことなく真摯に受け止めようという気迫が伝わってくるのだ。
わたくしは阿梅が泣く姿を一度も見たことがない。何の不安も悩みもないように快活に振る舞っているが、きっと他人の目の届かないところで、歯を食いしばって声を出さずに泣いているのではないか、とわたくしはひそかに想像する。
阿梅が男だったら、と左衛門佐どのはふと思うことがあったかも知れない。重綱さまの華々しい働きぶりに左衛門佐どのは阿梅を重ねたのだろう。二人の間に男子が生まれたならば、その子は真田左衛門佐幸村と片倉小十郎重綱の血を受けた、立派な武将になるにちがいない、と。
片倉家の当主となる優秀な男子が阿梅の腹に宿ることを、わたくしは心の底で期待していることにふと気がついた。なんとも言いようのない戸惑いを感じる。阿梅はまだ子供なのだ。阿梅に対する妬み心がかけらもないと言えば嘘になる。だが、阿梅なら許せる、という気持ちの方が強い。
今はむしろ阿梅にわたくしの役割を引き継いで欲しいのだ。
もしかすると、孫の出生を待ち望む祖母の心境に似ているのかも知れない。わたくしに男子が授かることはない。それがお薬師さまから下されたご託宣だった。
二年前になるが、身分を伏せ身をやつして、おこうと二人、ひそかに洞窟の薬師如来さまに詣でたことがあった。願いはたった一つ、男子出生である。岩に伏してお告げを待ったが、望みは巫女の一言で切り捨てられた。
「一家に男子は授からない。娘を大事にせよ」と言うなり巫女は、その場にくずおれたのだった。側室のいる領主の妻、と正直に名乗っていたら、お薬師さまのお言葉は違ったかも知れないではないか。
男子が授かるものなら、他の側室ではなく阿梅の腹に宿って欲しい。光の届かない洞窟の奥で灯明が揺らぎ、垂直に切り立った岩肌に描かれた、薬師如来さまの真っ白い巨大なお顔が、わたくしをじっと見つめておられたことが、今も瞼の裏に残っている。
片倉家にはいまだに男子が授かっていない。
【前回の記事を読む】逃がすこともできたのに…彼女を見て気付いた「阿梅を城にとどめた理由」
伊藤 清美