ヒップホップ・カルチャーを担う女性たち「Sara Iijima」

ヒップホップ・カルチャーを担う女性たち「Sara Iijima」

  • Rolling Stone Japan
  • 更新日:2023/01/25
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ユニバーサルミュージックのインターナショナル部門に勤務し、 自らもパワフルに動き回る飯島沙来。 世界規模の熱気を生み出すトップクラスのラッパーらと、どのように日本のマーケットにインパクトを与えてきたのか。その志と裏側を語ってもらった。

【写真を見る】2018年「HIP HOP DNA」主催のイベントで来日したジュース・ワールド

ーまず、飯島さんのバックグラウンドから伺ってもいいですか?

飯島 もともと日本人と在日韓国人のミックスで、日本人のお母さんに育てられていたんですが、母親がシングルマザーということもあり、人と違うからといって差別を受けないようにという理由もあって、横浜のインターナショナルスクールに通っていたんです。日本の学年で言うと中2のときにカナダに留学して、翌年にハワイへ。その後に日本のインターナショナルスクールに戻って高校を卒業しました。大学時代はまたハワイとLAで過ごして、日本に戻ってちゃんと働く環境を作りたいと思い、最後の一年だけ日本の大学に通いました。

ー実際に音楽業界で働き始めたきっかけは何だったのでしょう?

飯島 大学時代に、FOXインターナショナル・チャンネルズ株式会社というケーブルTV局でインターンのような形で働くようになったんです。イベント事業を手伝っていて、海の家でのライブとか、ホテルでのパーティなどを体験させてもらいました。そこで、ライブやイベントを組み立てていくってすごく楽しいなと感じたんです。

ーまさに、今のお仕事にも繋がる職業体験だったんですね。そのまま、音楽業界に?

飯島 大学を卒業した後、ネットで検索してageHaを運営していたスタジオコーストに入社したんです。1年間、イベント制作企画部で働かせていただきました。当時のageHaは、各ジャンルの時代を作ってきた人たちが集まっていたクラブだったんですよね。そこで、イベントの仕組みを学ばせてもらいました。海外のアーティストもたくさん招致していたし、濃厚な1年間を過ごしました。その後は半年間くらい個人事業主として働いて、横浜のインターナショナルスクールの先輩から「ユニバーサルのインターナショナル部が人を探してるよ」と聞きつけたんです。それが、2015年の時でした。

ーユニバーサルに入社する際、迷いなどはなく?

飯島 カニエ・ウェストやケンドリック・ラマーとか、自分の好きなアーティストたちがみんな所属しているユニバーサルミュージック・グループだったから、もちろん興味はありました。

ー現在のお仕事の内容を伺ってもいいですか?

飯島 今は、ユニバーサルインターナショナル2(ツー)という部署でマーケティング部の主任をしています。アーティストのプロジェクトを担当する業務で、「この月に新作のリリースがあります」というような情報を事前にもらい、そのリリースに向けて何をするか、どういうプロモーションプランを組むか、ということを企画・プランニングしています。

ーこれまで、ユニバーサル時代に手がけた最も思い入れのあるプロジェクトは何ですか?

飯島 すごくいっぱいあるんですけど、ヒップホップ関連の仕事だと、土台となったのはHIP HOP DNAですね。ヒップホップのティストはすごく好きだし、日本で売っていきたいけど、出せるメディアが限られていたんですよね。他の洋楽のジャンルだったら、TV局に紹介して、朝の番組に「こんなに素晴らしい経歴のアーティストなのでMVを流させてください」と営業の仕方があるんですけど、(ヒップホップは)メインストリームのメディアで出せるところが本当に少なかったんです。だから、洋楽のヒップホップを自分たちで発信できたらいいよね、という気持ちのもと、当時、日本のヒップホップがすごく大きな盛り上がりを見せていたときだったので、日本のヒップホップ・アーティストたちがきっかけになって、洋楽のラッパーの曲も聴いてもらえるようになるといいなと思ったのが始まりですね。

「HIP HOP DNA」立ち上げの経緯

ーHIP HOP DNAはユニバーサル社内で立ち上げたメディアであり、WEBサイトと連動して、YouTubeにもチャンネルを開設して運営していらっしゃいました。社内でこうしたメディアを立ち上げるのは、どれくらい大変だったのでしょうか。

飯島 最初に企画を立てた段階で、洋楽部の元上司も「どうせやるなら、これじゃ足りないからもっとやりなよ」という感じのスタンスでいてくれたんですよ。それで、あれもこれもと、同僚たちと一緒に四苦八苦しながらメディアを組み立てていって、最終的な決裁をもらったんです。なので、”リスクをテイクする”という上の判断にもすごく感謝しています。

ー実際に、社内でメディアを立ち上げてから、変化や効果を感じたことはありましたか?

飯島 あれがきっかけで、海外からいろんなヒップホップ・アーティストを呼べたのが、すごく大きかったです。やっぱり、日本にアーティストを呼ぶということは、洋楽のヒップホップを日本で広める上で絶対必要なことだと思っていて。実際に見てもらわないといけないし、触れてもらわないといけないですから。しかも、今はアーティストの数もめちゃくちゃ多いし、普段、邦楽や日本語ラップを聴いているリスナーでも、自分たちが聴いている海外のラッパーとなると、エミネムやケンドリック、カニエとか、そういうところで時代が止まっちゃっている人も多いと思うんです。なので、今、活躍しているアーティストを日本に呼んで、実際に盛り上がっている姿を見せることで、新たなファンもたくさん発生していくと思うんです。「HIP HOP DNAというプロジェクトが立ち上がりました」ということによって、アーティストを日本に呼びやすくなったり、海外のレーベルやマネジメントと話しやすくなったりということもあったんです。なので、それが一番やってよかったなと思うことですね。

ー確かに、大物ラッパーとなると、大型フェスにブッキングされることも少なくないかと思うのですが、「今、アメリカでコレが流行ってる!」というラッパーはなかなか来日しづらいという現状もあるかと思います。これまで、どんなアーティストをHIP HOP DNAで招聘してきたのでしょうか。

飯島 まず、HIP HOP DNAを立ち上げて一番最初に呼んだのはジュース・ワールドですね。その後にヴィンス・ステイプルズとリル・ヨッティを。特にジュースに関していうと、私の中でも、最も思い出深い来日アーティストで、シングル「Lucid Dreams」がバーンと盛り上がっている時期に来てくれたんです。こういうことって、なかなか叶わないことで。どうしても、日本と海外の知名度の違いや、セールスの格差もありますし、(日本の)いろんなプロモーターさんが呼びたいと思っても実現しないことも多いんです。そんななか、レーベルであるインタースコープの協力を得て、来日公演を実現することができたのはすごくありがたかったし、いろんな方に「あのライブを観にいきました」と言われるようになりました。ジュース・ワールドは、そのあと、彼らがプライベートで日本に来たときも連絡をもらって、いろいろと手配をしたんです。一緒に「来年はああしよう、こうしよう」と話していた矢先、その1週間後にジュース・ワールドが亡くなってしまって。本当に無念でしたね。

ケンドリック・ラマーの来日

ー2018年のフジロック・フェスティバルでケンドリック・ラマーが来日した際も、飯島さんがアーティスト担当として尽力していました。世界を席巻するトップ・アーティストらと共に仕事をするなかで、彼らの姿勢から学んだことはありますか?

飯島 アーティストによっていろいろと異なるんですが、ケンドリックたちは自分のチームを非常に大事にしているんですよね。余計な情報が漏れることもないですし、カチッとチーム内で動いている。その反面、「いろんな人と繋がりたい」と楽しみながら動いているアーティストもいますし、それは世代の違いもあるのかなとも思います。フジロックでのケンドリック・ラマーのステージは本当にすごいなと感じました。土砂降りだったのに、彼がステージに立って照明がついた瞬間、雨が止んだんです。天気までも演出に変えちゃうのか、と。

ケンドリックがフジロックで来日する、ということが見えてきたとき、「今年はケンドリックの年にしないといけない」という使命感がありました。日本におけるアメリカのヒップホップの大スターというと、エミネムの名前が挙がることも多いかと思うのですが、それ以降、大スターが出ていない印象があった。だから、そういうスターを作ろう、ケンドリック・ラマーなら申し分ない、と。代理店の方に広告企画を相談して、霞ヶ関や渋谷の街に黒塗り広告を展開したり、一年近く粘って、ケンドリック本人にNHKのインタビューに応えてもらったりと働きかけました。ケンドリックは、アメリカ国内でも滅多にインタビューをやらないんです。なので、逆にインタースコープから「よくやったね」と褒められました。こうしたプロモーションって、一つの施策だけで何か形になる、ということがすごく少なくて。「あれとこれを組み合わせて、何か見えてきた」という感じなんです。それが実現できたのが、ケンドリック・ラマーの来日だったのかなと思います。

ーアメリカの音楽業界において、ヒップホップ・マーケットが拡大していく様子はありありと伝わってくるのですが、日本と比べたときに、どれくらいの差があると感じますか?

飯島 雲泥の差というか、それはチャートを見ればもう明白だと思います。私自身、「いつからヒップホップを好きになったんだろう?」と考えたとき、特に明確なきっかけがあったわけではないんです。小さい頃から洋楽のTOP40などに触れていく中で、自然とヒップホップに出会っていたんですよね。日本でも、チャートにヒップホップの曲が入っていることはあれど、それが常ではないですし、やはりマーケットの大きさは違いますよね。

ーそうした環境のなかで、ドレイクやケンドリック・ラマーなど、アメリカでは国民的な人気を誇るラッパーたちをこの日本で売っていかねばならないというのは、かなり難しそうにも感じます。

飯島 難しいですね(笑)。例えば、一晩のライブで1億円を稼がねばならないとして、日本ではそれが難しい。だったら、他の国に行ってツアーをした方がいい、ということになるんですよね。スーパースターのアーティストが日本に来て「初めまして、ドレイクと申します」と売り込んでいくのはなかなか難しい。そこはやっぱり非常に苦労しているところではありますが、ありがたいことに、日本はファッションやアート、食文化もそうですが、そういったところにすごく興味を持ってくれる場所でもあるので、「ビジネスとして成り立たないかもしれないけど、日本に行ってみたい」というタイミングを活用することもありますね。

ー仕事で海外に行くこともあると思うのですが、実際にアメリカの巨大メジャーレーベルで勤務している方々と接して、ビジネス・マインド的にインスパイアされることはありますか?

飯島 音楽業界に限らないことかもしれないんですけど、一ついいなと思うのは、スピード感ですね。「ここで何かが起こっている」となると、すぐに契約して決断していく。そうしたところはすごいなと感じますね。

ー音楽業界全体で、洋楽離れが危惧されている状況でもあります。そうした危機感を感じることはありますか?

飯島 感じます。音楽だけではなく、映画もそうなのではと思うのですが、日本独自のもの、もしくはK-POPがすごく流行っている状況ですよね。日本に限らず、コロナの影響でアメリカやフランス、ドイツなど、どこの国も自国のものが優先されている傾向になると思います。以前だったら、国を跨いでアーティスト同士をコラボさせようということもありましたけど、今はそれも必要ないくらい自国の音楽が盛り上がっている、ということが各国で起きているんです。なので、日本でもその流れが加速しているのかなとは思いつつ、でもやっぱり(海外にも)素晴らしいものはいっぱいありますし、今ではコロナ禍を経て来日アーティストもめちゃくちゃ増えてきている。このタイミングでやらないといけないな、と感じています。

ーやはり、アーティストの魅力を伝えるには来日してライブをするのが最も有効?

飯島 いくら言葉で伝えて、何か企画を立ててプロモーションしたとしても、やっぱり実際にライブを観たときの感動って、そこでしか味わえないものなんですよね。たとえ言語がわからなかったとしても、ステージの上から感じるプレゼンス(存在感)には、その障壁を越えるものがあると思います。2023年は、グロリラというフィメール・ラッパーをどうしても頑張りたいと思っていて、ぜひ彼女の来日も実現させたいなと思っています。

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2023年、イチ押しのグロリラ(Photo by Aviva Klein)

ーこれまで音楽業界でキャリアを培ってきた中で、飯島さんにとってのキーパーソンはいらっしゃいますか?

飯島 さっきお話しした、この仕事を直接紹介してくれた先輩や、BOOM BOOM SATELLITESのマネージャーやageHaでPRを担当していた先輩とか……みんな、女性なんですけど、やっぱり女性としてこの業界で働いてきた方は、自分のメンターになりますよね。

ー逆に、女性だからこそ少し窮屈さを感じることはありますか?

飯島 めちゃくちゃありますよ。「やっぱりボーイズクラブ」だなって思うこともありますし。でも、そのなかで、自分は何をすればいいんだろうかっていうことを常に見極めながら働いています。女性が女性を助けられるような運営をしていきたいと思っていますし、私も若い女性や同年代の女性と一緒に仕事をする機会を増やしていきたいと思っています。

ー次世代で、音楽業界を目指したいと思っている方々にアドバイスをするとしたら?

飯島 とりあえず、現場に行ってほしいですね。クラブだったりライブ会場だったり。InstagramのDMなども活用して、どんどんいろんな人に話かけてほしいですし。パソコンを開いてそこで繋がれるコミュニティも大事だと思いますが、それだけじゃ始まらないこともある。直接、人に会って相談したら意外とスムーズに進むことも多いですし。実際に出かけてみて、五感で熱気を感じてほしいですね。

ーそのほか、飯島さんが仕事をする上でモットーとしていることは?

飯島 楽しんでやること。あと、自分がやっていることや好きになったことを信じて、それを広めていこうということですかね。じゃないと熱量も伝わらないし、楽しみながら一生懸命やることですね。夢がある業界ですし、チャレンジしてみたい方も待っています。

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飯島沙来
神奈川県横浜市生まれ。インターナショナルスクールにて就学。中2から7年間、トロント、ハワイ、ロサンゼルスなど海外で過ごす。幼少の頃から国内外の音楽に触れる環境で育つ。大学卒業後、ageHa(STUDIO COAST)の企画部で1年就業したのち、個人事業主として活動。2015年からユニバーサルミュージックの洋楽レーベルでアーティストを担当。HIP HOP DNA立ち上げメンバー。担当してきたアーティスト:ケンドリック・ラマー、ミーゴス、ジュース・ワールド、レディー・ガガ、ビリー・アイリッシュ、リル・ヨッティー、テイラー・スウィフト、ジャスティン・ビーバーなど。

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