腎臓移植を願う日本人たちは、アジア各国をたらい回しにされた

腎臓移植を願う日本人たちは、アジア各国をたらい回しにされた

  • 現代ビジネス
  • 更新日:2019/08/25
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8月20日、「パキスタンで腎臓移植を受けた日本人が今年少なくとも4人いた」と共同通信が報じ、各メディアが大々的に取り上げた。それに1ヵ月先んじて、ノンフィクション作家の高橋幸春氏は、この「深層」を現代新書ウェブで詳細に報じ始めており、重篤の患者にインタビューもしていた。海外の臓器移植の闇に迫る連載第3回!

その1「パキスタンで腎臓移植手術を受けた日本人の悲劇」

その2「民家で行われた腎臓移植手術の後、夫は再び腎臓を取り出された」

2万人の中から腎臓8つ⁉

移植斡旋ブローカーNのやり口は共通している。すぐにでも移植ができるような口ぶりで、先に移植費用を渡航移植希望者に支払わせてしまうことだ。

パキスタンで意識不明の重体に陥り、移植した腎臓を摘出、奇跡的に一命を取り留めた山川武さん(仮名)。彼は移植前に800万円を「頭金」として3年前に支払っている。

こうした患者に、Nは次から次に渡航移植先を変更した。山川さんにもパラオでの移植の話が告げられていた。

外務省はパラオの医療情報について、こう記している。

〈国内に医師は30名弱しかおらず、慢性的な医師不足が深刻な問題になっています。入院施設を有する総合病院も国内に1ヵ所あるのみ、科によっては専門医不在で医療レベルは十分とは言えません。

専門医受診を要する患者は台湾、フィリピン、グアム、ハワイなど国外の病院を受診するのが普通です。血液バンクもなく、必要な輸血用血液はボランティアを募って確保しなくてはならず、輸血の安全性も確立されていません〉

Nはパラオに8人もの患者を送り、移植させようとした。

インドから医師団、看護師団がパラオに入り、医療機器も持ち込まれるという話だった。

当然、この計画は頓挫する。

「本日何度もパラオに電話しましたが、大統領と話が出来ませんでした。関係者が全てナショナル病院事務長の葬式の為、バタバタしているようです。(略)わたくしは直接大統領と厚生大臣との話し合いに行く事に致しました」(N)

病院の事務局長が死亡したために、移植ができなくなったと、Nは患者にメールで連絡している。

私のところにはこうしたNのやり口に遭った患者の声が、本連載開始と同時に寄せられた。

私はNに取材を申し込んだが、Nは拒否する一方で、「名誉棄損で訴えることもある」と答えた。

パラオ共和国の人口は約2万人。いったい8人ものドナー、8つの腎臓をどこから入手するつもりだったのか。是非答えてほしい。

次々と渡航移植先を告げられるも…

山川さん同様、パキスタンで移植を受けた内山直人さん(仮名)も、5年前に1000万円をNに支払っている。彼もまた、渡航移植先を次々に変えられていた。

内山さんは尿からタンパクが出てしまい、40代の頃から血圧も高くなり始めた。50代半ばからは透析を受けるようになった。

「最終的には移植しかないということは早い時期に知っていました」

しかし、生体腎移植は最初から考えてはいなかった。ドキュメンタリー番組で中国が外国人にも移植をしているという報道を見て、海外での移植を知った。

インターネットで渡航移植を斡旋する組織を探した。最終的に行き着いたのが、Nだった。

「カンボジアで移植を受けた患者と、電話だったが直接話をすることができた。それでNに頼もうと決めた」

移植費用は一度に全額を納めた。

「1000万円の内訳は、大まかに4万ドル相当がドナーに、6万ドルが病院などに支払われるという説明だった」

内山さんが負担するのは、あとは現地の滞在費と往復の旅費だけだった。

正式な契約を取り交わしてから間もなく、内山さんは実際にカンボジアに渡っている。2週間ほど滞在したが、移植手術を受けることはできなかった。

「Nからは中止になったとだけ聞かされて、何が理由で中止になったのかは詳しくは聞いていません」

その後、山川さんと同じように次から次に新たな渡航移植先がNから告げられた。ベトナム、フィリピン、インドなどが候補に挙がった。しかし、どの国も渡航するまでには至らなかった。

それから3年以上も待たされた。

インドに三度渡航したが……

「インドで移植が受けられるという知らせをNからもらった」

内山さんはニューデリーに飛んだ。しかしこの時も移植手術を受けることはできなかった。Nからは前回同様に、明確な中止の理由は聞かされなかった。

インドに2度目に訪れたのはコルカタ(カルカッタ)だ。

「今度は必ず移植が受けられるという話だった」

しかし、2回目も内山さんは裏切られることになる。

「この時の移植が中止になった理由は、移植医の身内に不幸があり、葬儀のために移植医の都合がどうしてもつかないというものでした」

3度目のインド。

「今度こそと思っていきましたが、移植医が逮捕されてしまった」

契約では、旅費は内山さんが負担することになっている。

「結局200万円以上を旅費などに使ったと思います」

「宅配便の荷物」と同じ扱い

そして、今年2月初めに、Nから連絡をもらった。

「パキスタンで移植ができる」

内山さんはすぐに出発の準備を始めた。

インドに行った時、帰国後は武蔵野徳洲会病院の小川由英医師がケアしてくれると、Nから聞かされていた。しかし、出発直前、小川医師が退職し、宇和島徳洲会病院の万波誠医師が診療してくれると聞かされた。

出発直前、Nは5万ドル(約550万円)を内山さんに送り返してきた。

「ドルに換金してパキスタンに持って行ってください」

Nからそう依頼された。

内山さんは日本で最後の透析を受け、2月22日、税関に申告し現金5万ドルを持って、家族の同行もなく1人でパキスタンに向かった。

この頃イスラマバードでは、Nに連れられて山川さんが空港でチェックイン手続きをしようとしていた。1人で帰国できるような状態でないのに、Nは山川さんを中国国際航空に搭乗させようとした。結局、中国国際航空から搭乗拒否に遭っている。

「Nさんが責任を持って日本まで連れ帰ってください」という山川さん家族の思いはまったく無視されていた。

NのHPにはこう記されている。

「渡航から帰国まで弊社日本人スタッフが24時間サポートしますので、言葉の問題等も一切ご心配戴く事はございません。」

これには言葉を失う。山川さんは通訳もなく、1人で移植手術を受けていたのだ。

Nの斡旋で移植を受けた移植患者は、ベルトコンベアに載せられた宅配便の荷物と同じような扱いだった。

到着翌日に行われた手術

内山さんがイスラマバードに着いたのは23日夜。彼もまた迎えの車でゲストハウスに連れていかれた。

「ゲストハウスのある地区に入るには、厳重に警備されたゲートをくぐらなければならなかった」

ゲストハウスに一晩宿泊した。

「大金を持っているのは嫌だから、すでにパキスタンに来ていたNに渡そうとしたら、直接渡してくれと言われ、5万ドルをパキスタン側の責任者に渡した」

私はパキスタンの斡旋組織と直接連絡を取り、移植費用を確かめた。パキスタン側からは「5万7000ドル」という返信があった。

翌24日午後。内山さんはゲストハウスを出てクリニックに車で案内された。

「クリニックに着いて麻酔をかけられたのか、注射を打たれたのか、ゲストハウスを出たあたりから記憶がありません」

内山さんは24日午後には移植手術を受けていた。

HLAのタイピング検査は5年前、カンボジアで移植を試みた時にすませていた。そうしたデータがパキスタン側に事前に送られていて、それに適合するドナーの腎臓がパキスタン人から買われていたと思われる。

内山さんはそれほどイスラマバードに滞在することなく、3月初旬には羽田空港に降り立った。

アフターケアなどあるはずもなく

「パキスタンに向かう直前に徳洲会武蔵野病院では診察は無理だと知らされていたので、宇和島まで行くしかなかった」

その晩は羽田空港近くのホテルに宿泊した。

手術後、尿が出るようになったが、血尿だった。カプセルホテルで他の客に血尿を見られた。

「その宿泊客が驚いてホテルのフロントに伝えたようです。それで大騒ぎになり救急車を呼ばれてしまった」

内山さんは救急車に載せられ、東邦大学医療センターへ搬送された。しかし、差し迫った生命の危機がないことがわかると、宇和島徳洲会病院で治療を受けるように、東邦大学医療センターで言われた。

内山さんは羽田空港に着いた翌日、宇和島徳洲会病院へ向かった。そのまま入院手続きが取られた。

山川さん、内山さんの2人とほぼ同時期にイスラマバードで移植を受けた患者が他にも2人いる。その2人も宇和島徳洲会病院へ駆け込んでいる。

移植後は患者の容体を慎重に観察し、適切な免疫抑制剤を投与しなければならない。移植臓器に対してレシピエントの体内では例外なく免疫拒絶反応が起きる。移植された臓器を“異物”として免疫システムが攻撃を始めるのだ。

拒絶反応には急性拒絶反応と慢性拒絶反応がある。

急性拒絶反応には、分単位で起きる激烈な超急性拒絶反応と、日、週間単位で進行する急性拒絶、3ヵ月以降に起きる遅延型急性拒絶と3つのタイプがある。慢性拒絶反応は年単位で徐々に進行する拒絶反応だ。

免疫抑制剤を投与すれば、拒絶反応を抑えることができる。しかし、それは同時に免疫力の低下に直結する。病原菌、ウィルスなどの感染症を引き起こし、合併症につながるのだ。

つまり医師にとっても、レシピエントにとっても気を緩めることが許されない期間がしばらくつづく。まして手術後、数週間は決して油断できない。

パキスタンで移植を受けた患者が感染症を引き起こした1つの原因は、免疫抑制剤の大量投与が疑われる。

免疫力は極端に落ちるが、移植した腎臓の拒絶反応は抑え込むことができる。手術後は 1日も早く日本に帰国させたいという思惑が見え隠れする。ベルトコンベアを流れる宅配便のようだと書いたのはそのためだ。

まだ10人が希望している

イスラマバードに着くと彼らは移植までの間、ゲストハウスと呼ばれる民家で過ごし、移植が終わると再びゲストハウスに戻ってきた。1日中カーテンで閉ざされていて、昼夜がわからなくなっていた。

移植手術も、ゲストハウスから車で20~30分のところにある同じ造りの「クリニック」だった。

移植を受けた1人はこう語っている。

「パキスタンに着いたのも夜、クリニックに行った時も、ゲストハウスに戻ったのも夜、帰りのフライトも夜で、昼間のパキスタンの光景を一度も見ていません」

直接話を聞けた3人に共通しているのは、クリニックに入ったと同時に麻酔を打たれたのか、いつ手術が行われ、どんな手術室だったのかほとんど記憶していないことだ。彼らは自分が宿泊したゲストハウスも、クリニックもイスラマバードのどこにあるのかそれさえも知らない。

日本ではこうした渡航移植を取り締まる法律もなく、Nは堂々と移植希望患者を募り、渡航斡旋をつづけている。

何故こんなことがまかり通るのか。理由ははっきりしている。脳死、心停止によるドナーからの臓器提供が極めて少ないからだ。

2017年の腎臓移植登録希望者数は1万2449人で、実際に移植を受けることができたのはわずかに198人。移植希望者全員が移植を受けるには、計算上では60年以上もかかることになる。

内山さんに何故5年も待たされたのかをNに聞いている。

「まだ10人が移植を希望している」

Nが答えた。順番待ちをしている患者はまだいる。日本での移植事情が改善されない限り、Nは今後も斡旋をつづけるだろう。

渡航移植の闇は深くなるばかりだ。

現地人ドナーの人権問題

もう1つ気になるのは、ドナーの健康だ。パキスタンの斡旋組織は日本人患者7人が移植を受けたと私に知らせてきた。さらに手術3日目に日本人患者が室内を歩く動画を私に送ってきた。

移植を受けた日本人が7人というのが事実だとすれば、そのうち4人は重篤な感染症を起こして長期入院を余儀なくされた。内山さんの入院は4ヵ月にも及んだ。

では日本人に腎臓を提供したパキスタン人の健康は保障されているのだろうか。提供後の治療は確実に行われたのだろうか。

ドナーにどれくらいの金が渡ったのか、見当もつかない。

次回はベトナムで移植を受けた患者について書こうと思う。インドネシア、カンボジア、パラオと渡航先が変更になり、最後がベトナムだった。

次回へ続く

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