毛利元就の平城遺構か 小倉城から素掘りの巨大堀跡 北九州の文化振興財団調査

毛利元就の平城遺構か 小倉城から素掘りの巨大堀跡 北九州の文化振興財団調査

  • 西日本新聞
  • 更新日:2017/12/07

北九州市が小倉城(同市小倉北区)の大手門前広場で行った発掘調査で、江戸時代の絵図にない巨大な素掘りの堀跡が見つかった。1602年に細川忠興が築城する前に戦国大名の毛利元就が築いたとされる平城の遺構の可能性もあり、調査した市芸術文化振興財団は「小倉城の歴史解明につながる発見」としている。

広場は本丸の東側、兵の駐屯場所とされる「大手ノ勢溜(せいだま)り跡」に立地。堀は南北に延びており、全長約30メートル、深さ約3・1メートル、幅は最大10メートル以上。南側が狭くなっているという。天守閣を建設する際に出たとみられる土で埋められていた。

小倉は古くから本州と九州を結ぶ交通の要衝とされ、忠興による築城前の小倉城に関しては、宗像大社の棟札に「永禄12(1569)年、毛利元就が(九州に進攻する際)小倉の港に平城を築いた」との記述がある。同財団は「城の西側でも似た堀跡が見つかっており、忠興の築城以前から、堅固な堀に囲まれた城があった可能性がある。堀から出土した瓦などを調べ、時代の特定を進める」としている。

発掘調査は、市が広場に物販休憩施設を整備するのに伴い、10月から実施。市と同財団は10日午前10時から現地で説明会を開き、終了後は埋め戻す予定。

=2017/12/07付 西日本新聞朝刊=

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