「看取り士」になった娘が見つめた母の最期

「看取り士」になった娘が見つめた母の最期

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  • 更新日:2017/11/14
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一般社団法人「くーのす」代表 高原ふさ子さん(58)/他界する3日前、自宅で母親の啓子さんを介護する高原さん。介護中に退職し、前職の経験を生かして介護用品の企画デザインを行う(写真:高原ふさ子さん提供)

「看取り士は今年10月末時点で300人を超えました。最近は余命告知を受けた親を自宅で看取るために、看取り士資格を取る人も増えています。大病院の裏口ではなく、狭くても自宅玄関から堂々と親を送り出してあげたいと考える人たちです」

【図】医療機関における死亡割合の推移はこちら

一般社団法人日本看取り士会の柴田久美子会長(65)はそう話す。彼女はかつて島根県の離島で、病院ではなく生まれ育った島で死にたいという人たちを集めて看取りの家を運営。島内外で200人近い高齢者をその胸に抱いて看取ってきた。2012年には日本看取り士会を設立。岡山市に本部があり、全国6カ所に研修所がある。

「私たち看取り士は余命告知を受けてから長い場合で3カ月、短いと2週間で、ご本人の状態を見ながら定期的に自宅などを訪問します。時給4千円です。ご本人が死を受け入れて幸せに逝くために、ご家族が幸せに看取るために、作法や考え方をお伝えしていきます」(柴田さん)

近所の医師との連携も行う。自宅死の場合、医師の死亡診断書がなければ、警察が来て事情聴取などが行われるためだ。

看取り士をテーマに9月に出版した拙著『抱きしめて看取る理由』(ワニブックス【PLUS】新書)でも取材した、高原ふさ子さん(58)と長女の由津莉さん(23)にあらためて話を聞いた。高原さんは実母を看取るために看取り士になった一人。

●自宅マンションで介護

高原さんの母の啓子さん(当時83)が脳卒中を発症したのは13年5月。右半身マヒで口もきけず、自力で食べることもできない寝たきりになった。延命治療をしきりに勧めてくれる病院に、高原さんは「死は病気じゃないから延命はしたくない」「母は自宅で看取りたい」と訴え続けた。だが、働きながら自宅で介護するには胃ろうが避けられないと知り、断腸の思いで受け入れた。

都内の自宅マンションで介護生活を始めたのは同年10月。会社員として働きながら、日中はデイサービスなどをフル活用する生活だった。当時、学生だった由津莉さんも、祖母を退院させて介護をすると聞いて自宅に戻った。由津莉さんにとっての祖母は、幼かった自分をおんぶして散歩に連れていってくれた優しいおばあちゃん。

高原さんは、幼かった娘が散歩時に祖母が愛用していたコートを引きずってきて、散歩をせがんでいた光景を覚えている。

「母におんぶされると、娘は当時好きだった童謡の『おもいでのアルバム』を口ずさんでいました。『いつのことだか 思い出してごらん』と彼女が歌うと、母が『あんなこと こんなこと あったでしょう』って応じて、2人で出かけていくんですよ」

その祖母が介護中につらそうな表情を見せて当惑したこともあった、と由津莉さんは話す。

「顔を真っ赤にしながら耐えている祖母を見ながら、『こんなに苦しいんだったら、もう亡くなったほうが楽なんじゃないかな』と思えて、それが悲しくて途方に暮れたこともありました」

彼女は母が祖母を見る表情に見覚えがあるとふと気づいた。

「まだ小さい頃、母が私を見ていた愛情あふれる表情を今も鮮明に覚えているんです。あのときの表情を、母が介護中の祖母に向けていることにある日気づいたんです。母はやっぱり愛にあふれた女性だなって思いました。そしてしゃべれない祖母もその生き様を通して、人は子どもから大人になり、年老いて再び子どもにかえっていくことを、私に伝えてくれている気がしました。家庭ってそんなことを学び、受け入れていく場所でもあるんだって」

一方、娘の話を聞きながら高原さんは目を赤く潤ませた。

「私も、話せなくても時々指で触ってくる母をかわいい子どものように感じていました。でも、まさか娘が、私が母を見る表情からそんなことを読み取っていたとは知りませんでした」

エネルギーの強弱にかかわらず、親子3代で互いに発し、交歓し、共有する家庭の日常がそこにある。かつて出産も看取りもその一部だった。自宅介護はつらく苦しいだけのものではなかった。

高原さんが母を自宅で看取るために、看取り士資格を取得したのは15年11月。前出の柴田さんの著書を読んだからだ。終末期を迎えた人に延命治療などの余計な“医療”をしなければ、チューブだらけにされることもなく、住み慣れた自宅で家族に見守られて、人は幸せに死ぬことができると教わった。

「看取り士養成講座を受講して、『死は忌み嫌うものではなくて、人生の大切な締めくくりである』という死生観を持てたことも大きかったです。自宅介護でも日常の小さな喜びを見つけて楽しもうと、とても前向きな気持ちになれました」(高原さん)

●背中はまだ温かい

もし、最期が来たら看取りの作法通りに、母と呼吸を合わせて、一体感と安らぎの中で旅立たせてあげると決意した。

由津莉さんが職場から自宅に戻ったのは午後8時過ぎ。親族がすでに集まっていて普段とは違う厳かな空気を感じた。16年6月のこと。高原さんが唾液の吸引をしている最中に、啓子さんは静かに息を引き取った。高原さんは自分でも驚くほど冷静に、兄の家族に母を抱き締めてあげてほしいと淡々とうながした。自宅での看取りが初めてだった兄も、「母に抱かれて育った65歳の私が、86歳の母を最期に抱きしめ返してあげられて良かったです」と話していた。

高原さんによると、手足は早めに冷たくなるが背中は翌日の午後もまだ温かく、葬儀社の人が来るまで、母のそばを通るたびに抱きしめたりさすったりしていた。遺体が温かい間は故人のエネルギーを受け取る大切な時間で、「いのちのバトン」を受け取る、と看取り士は呼ぶ。

由津莉さんは看取り時の母の姿に凛々しさを感じたという。

「もしも私が母の立場だったら、祖母の呼吸が乱れていく時点からすでに取り乱したり、泣き出したりすると思うんですよ。でも、母はその場全体を一歩引いてずっと見ていましたから」

●「私も看取ってほしい」

祖母の他界から約2カ月後。それまで「母の看取りは自分の思い入れでしたことで、私の最期はあなたの世話になるつもりはない」と話していた高原さんが一転して、「やっぱり私も看取ってほしい」と伝えると、娘は二つ返事で「うん」と応じた。

「私も看取りを通して、母から多くのものをもらったので、私を看取ることで娘にも何かを受け取ってほしいと考え直したんです」と高原さんが言えば、由津莉さんも「むしろ私は頼まれて嬉しかったですね。不安もありますが、それも含めて看取りは特別なことじゃなく、日常の一部ですから」と毅然と語った。

23歳にしてはずいぶんと大人びた彼女の言葉を伝えると、柴田さんは「よくあることですよ」とさらりと言った。

「要するに大人が子どもたちにどんな死を見せられるのか、そこに尽きるんですよ。高原さんが見せた家庭の日常での清らかな看取りが、娘さんの標準なんです。でも、大人自身が死を怖がって病院に任せ、できるだけ自分から遠ざけようとすれば、残念ながら子どもたちもそうならざるを得ませんよね」

75歳以上の高齢者が今のペースで増え続けると、13年後の30年の年間死亡者数は161万人になり、病院でも老人施設でも死ねない「看取り難民」は同年47万人に達するという推計がある。約3.43人に1人が自宅以外の死に場所を失う社会になれば、あなたは親をどこで、どうやって看取りますか。

(ルポライター・荒川龍)

※AERA 2017年11月20日号

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