和歌山中が誇る選抜大会発祥の逸話 OBとの交流から着想

和歌山中が誇る選抜大会発祥の逸話 OBとの交流から着想

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  • 更新日:2018/02/07

◇センバツ群像今ありて~第1章~1927年第4回大会決勝 広陵中VS和歌山中

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第4回選抜中等学校野球大会で優勝した和歌山中の選手たち。左は広陵中ナイン

選抜大会創設には和歌山中が大きく関わっている。1915年に始まった全国中等学校優勝野球大会で3連覇に挑んだ23年は準優勝。夏の大会を主催する大阪朝日新聞社に対抗し、大阪毎日新聞社(大毎)は春に大会を開く計画を練った。

発案者は和歌山通信部主任の安井彦三郎氏だった。和中野球部OBで有力後援者の出来助三郎氏(県会議員)と交流するうち「全国から最強チームを招待」と着想。和中の「野球校長」野村浩一氏の精神から選考基準に「品位」も盛り込んだ。翌24年4月、安井氏が支局長で赴任した名古屋で第1回選抜大会が開かれた。

出来氏の親戚で、江戸時代から続く鉄砲商「出来助本店」12代目の出来可也さん(65)は助三郎氏を「熱血漢だった」と話す。「三角屋根の屋敷に選手を住まわせ、通いの選手も呼んですき焼きを食べさせていた」

桐蔭が3年前、「草創期から貢献」と21世紀枠で選出されたのも選抜大会発祥の逸話が背景にあった。

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