【二十歳のころ 近藤真彦(3)】失意の底で救われた...今も生きるメリーさんの激励

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  • 更新日:2017/12/07

僕はTBS系ドラマ「3年B組金八先生」に出演していた中学3年から二十歳までをジャニーズの合宿所で過ごした。

「金八先生」の半年間(1979年10月〜80年3月)は、地元の神奈川・大和市と東京・六本木の合宿所を行ったり来たり。ドラマの終了と同時に地元の中学を卒業し、80年4月に東京・明大中野高に入学。それを機に自宅を離れ、正式に合宿所生活が始まったんだ。

当時は、ジャニーズに所属していたロックバンド、ANKHのメンバーの松原秀樹さん、長谷部徹さん、曾我泰久さん(のちのTHE GOOD-BYEのメンバー)に、ソロで活動していた川崎麻世さんらが暮らしていた。僕は、トシちゃん(田原俊彦)らジャニーズJr.10人くらいと一緒に大部屋をあてがわれていた。ちなみに、一番売れていた麻世さんの部屋は僕らのより広かったよ。

Jr.には、パンツと靴下を入れる衣装ケースを、それぞれ1つずつ与えられていた。お手伝いのおばちゃんが下着を洗濯したあと、そこに入れてくれていた。ただ、よく間違えられて、みんな、マジックでパンツに名前を書いてたな。

17歳のとき、原宿に新しい合宿所ができると、僕はそっちへ移った。すでに「スニーカーぶる〜す」で歌手デビューし、「ギンギラギンにさりげなく」で日本レコード大賞最優秀新人賞も受賞していたから、広い部屋を与えられた。六本木の麻世さんの部屋よりも大きかったよ。忙しかったから、合宿所には寝に帰るだけだったけどね。

携帯電話なんてない時代。応接間には代表電話が置かれていたけど、そこでプライベートの電話をかけるのが嫌で、個人用がどうしても欲しかった。トシちゃんと2人で事務所と交渉して、部屋に引いてもらったんだ。

メリーさん(藤島メリー泰子副社長)がたまに合宿所に来て僕の電話が鳴ると、「もしもし、どちらさま?」って勝手に出ちゃうんだ。相手が名乗らないと電話を切っちゃう。「私にでも名乗れるようじゃないと駄目。あの女はやめなさい」と言われたね。いまだに笑い話で「しょっちゅう違う名前の女の子から電話がかかってきたわね」と言われるよ。

今でも役に立っているメリーさんの言葉がある。僕とトシちゃんが競った賞レースで、トシちゃんが勝った。事務所もレコード会社の人もトシちゃんを祝福しにいくなか、メリーさんだけが合宿所に一人でいた僕のところへ来たんだ。

落ち込む僕の背中をさすりながら「大丈夫。次はあなただから」と励ましてくれた。その言葉に、本当に助けられた。

二十歳のころからレーサーとしても活動させてもらって、今はレーシングチームのオーナー兼監督をやらせてもらっているけれど、メリーさんの言葉を教訓にしている。

例えば、チームの所属ドライバーの1人がポールポジションを取って、もう1人が予選落ち。そのとき、僕は予選落ちしたヤツのところにいって、メリーさんと同じように「大丈夫。次はおまえの番だ」と言うんだ。昔の僕と同じように「次はやってやる」と思ってくれるはずだからね。

そして、もう一人。僕を支えてくれた黒柳徹子さんとの出会いも二十歳のころだった。 (あすに続く)

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