アインシュタインも疑った 「時空の震え」観測を支えた人々のドラマ

アインシュタインも疑った 「時空の震え」観測を支えた人々のドラマ

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  • 更新日:2017/11/12
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100年前の宿題の謎解きにはいくつもの人生ドラマがあった(※写真はイメージ)

億光年の彼方からかすかな「時空の震え」が来た。重力波発見から2年余で、ノーベル物理学賞受賞が決まった。100年前の宿題の謎解きにはいくつもの人生ドラマがあった。

2015年9月14日米国東部夏時間の午前5時50分45秒(日本時間では同日午後6時50分45秒)から約0.2秒間、10億×1兆分の1(10のマイナス21乗)というほんのわずかな割合で「空間」が震えた。誰も気づかないこの変化を、米国ワシントン州とルイジアナ州にある光と鏡の「装置」が記録したのだ。

受け止めた装置は「重力波観測施設LIGO(ライゴ、『レーザー干渉計重力波天文台』の英訳の頭文字)」。変化の端緒は、13億光年彼方の宇宙空間で太陽の36倍と29倍の二つのブラックホールが衝突・合体し、同62倍のブラックホールが生まれたこと。その結果、太陽質量3個分のエネルギーが「重力波」として四散し、そのごくごく一部が南半球側から地球を通り抜けたのだ。

人類初の「重力波との出合い」の記録となった。

出合いの伏線は今からほぼ100年前。スイス連邦工科大学の教授だったアインシュタインはある計算に取り組んでいた。1915年に作った重力理論「一般相対性理論」の応用で、星のような大きな質量を持った物体が激しく運動すれば、“時空間のひずみ”が発生し、波として周囲に伝わるはずという計算だ。18年には「重力波について」という論文にもなったが、複雑な方程式の正確な解析は難しく、当のアインシュタインさえその存在を疑った。重力波の有無は「宿題」となり、挑戦者はなかなか現れなかった。

20世紀の中ごろまでに、星の一生の研究が進んだ。燃え尽きた星は物質の巨大な重力に耐えかねて爆発、カチカチに詰まった中性子星や強すぎる重力で物質も光も外へ出ないブラックホールになるとわかり、強い重力現象への興味が高まった。

1950年代末、米国メリーランド大学のジョセフ・ウェーバーはアインシュタインの宿題を思い出した。重さ1トンのアルミ製円筒形棒で、重力波の「アンテナ」を製作。重力の振動を感じて棒が伸縮する、と考えたわけだ。69年、彼は「重力波を検知した」と会議で発表したものの、多くの研究者が追試してもうまくいかない。重力波はこき下ろされ、70年代中ごろには誰も信じなくなった。しかし、彼は死ぬまで実験を続けた。

この重力波の検出可能性を説得力を持って主張できたのは、今回ノーベル賞を受けたマサチューセッツ工科大学(MIT)のレイナー・ワイスだ。

32年にドイツで生まれたワイスは、米国で育ち、名門MITで物理を学んだが、ピアニストに恋い焦がれ、何もかも投げ出した末に捨てられた。中退した大学で技術者として働くうち、心優しい教授に拾われて復学、博士号まで取った。プリンストン大学勤務を経て、64年からは母校で教えることになった。

ほどなくしてワイスは一般相対性理論を教える義務を負う。だが「私はほとんど知らず、ウェーバーの重力波実験の説明もできなかった」と言い出す始末。それでも学生は「重力波を知りたい」という。やむなく重力波の測定方法を自分なりに考えた。ノーベル賞決定後のインタビューで、ワイスはこう答えている。

「空間に重い物体を二つ浮かべて置き、その間の距離変化を見ていれば、重力波が来ているかどうか分かると考えた。学生に与えた練習問題でした」

これが後に重力波を検出する装置の「根幹」となる。

LIGOの仕組みを説明しよう。装置のメインは、L字形に組み合わさったそれぞれ長さ4キロの金属パイプだ。各パイプ中の両端には直径30センチ、重さ40キロの石英ガラスの鏡をつり下げ、強力なレーザー光を反射・往復させる。鏡間の距離の変化はそれぞれの光を重ね合わせて干渉させれば精密にわかる。もし重力波が来て、パイプの存在する空間を伸び縮みさせたら分かるはず。これが、ウェーバーの「棒型検出器」に対する「干渉計型検出器」の理屈である。

72年、ワイスは講義でのアイデアを大学院生と磨き、MITの学内レポートにした。干渉計のアイデアはすでにロシアの研究者や、ウェーバーとその弟子らが考案していたが、ワイスは知らなかった。一方で、彼のレポートは重力波の源の推定、機器の設計、決定的な障害となるノイズの洗い出しなど要素はほぼ完璧にそろっていた。ワイスはその方向で実験の道を走り出し、これらがLIGOの設計の土台となっていったのだ。

カリフォルニア工科大学(カルテク)のキップ・ソーンは今回の受賞者の中で唯一の“理論屋”だ。カルテク卒業後、プリンストン大で相対論の大家で「ブラックホール」の名付け親でもあるジョン・アーチボルト・ホイーラーに学び、30歳で母校の教授に。研究を進めるうちに競争の激しいブラックホールを避け、親交もあったウェーバーの宿題、重力波に目標を定めた。重力波が本当に測れるかどうかという根本問題にも「測定可能」と結論づけ、自信を持ったが、それでもどのように見つけるかには悩んだ。

そして75年の夏、ワシントンでの会議に出ていたソーンはワイスと初めて対面し、一晩をかけて重力波について語り明かす。「どのようにしたら重力波検出ができるのか」。この時まだ2人は各々の道を進むつもりだった。

だが一方でソーンは理論家であって、自分では実験できない。カルテクで研究を始めるために、優秀な実験家を探した。見つけたのが英国グラスゴー大学のロナルド・ドレーバーだ。

ソーンの懇願で79年にグラスゴーからカルテクへ移ったドレーバーは、少ない予算と人員でも巧みな実験装置を作り、驚くべき成果を出すことで知られた。重力波実験の準備を始めたドレーバーはこの時より英米を往復する日々となった。間もなくカルテクにできた40メートル規模の干渉計は、本番前の練習台だった。

功績が大きいドレーバーだが、ノーベル賞の発表を待たず、今年3月に亡くなった。その死に際してソーンは「ロンは私の知るうちで最も発明の才のある科学者だ。分析よりも直感。私が数学的計算を駆使してわかるのに何時間もかかるようなことが直感的に、すぐにわかる人だった」と振り返っている。

ビッグプロジェクトに必要な資金のため、83年、ワイスは400ページを超えるレポート「ブルーブック」を全米科学財団(NSF)に提出。翌84年、ワイスのMITグループとソーン、ドレーバーのカルテクグループは、合同でLIGOプロジェクトを進めることを決める。だがこの「トロイカ体制」は苦難の道のりだった。

論文にはほとんど出てこないが、例えばワイスとドレーバーには確執があった。ドレーバーは、自分の直感に従い、マイペースで仕事をする。鏡の間の光の往復を何百回もの回数にして、4キロの装置の“腕”を実質的に1千キロ超にしたり、レーザー光安定技術を実現したりと、彼は決定的な改良を次々と成し遂げる。だがワイスら他の研究者の意見には耳を貸さず、両者のコミュニケーションは悪かった。

軋轢が露呈したのは、「トロイカ体制」から責任者を一人定める「統括責任者体制」に移った87年以降だ。惑星探査衛星ミッション経験を見込まれ、LIGO初代統括責任者となったのは元カルテク幹部のロフス・ヴォート。2年後、NSFに計画書を提出し、政治的駆け引きも厭わずに2億ドルの予算を引き出した。これが92年のプロジェクト承認につながったのだ。その一方で熱心に組織の合理的改革をする中、マイペースのドレーバーと衝突。92年にはドレーバーとLIGOの関係を切るなど徹底した。その結果、研究チームは混乱し、活動は停止。94年、ヴォートは任を解かれた。

だがここでも“救世主”が現れる。今回の3人目のノーベル賞受賞者であるバリー・バリッシュだ。素粒子物理学者として彼が参加していたSSC(超伝導超大型加速器)計画が93年に中止となったのを機に、第2代統括責任者となった。ビッグプロジェクトの牽引役としてすべきことは資金確保と研究チームの立て直し、だった。

バリッシュは計画を綿密に見直し、装置改良も含めて3億ドルの予算をNSFに認めさせた。さらにLIGOへの参加をカルテクとMITに限らず全世界に呼びかけ、国際プロジェクトと位置付けたのだ。そうして、米国の2カ所への施設建設も94

年に始まり、LIGOは生き返った。バリッシュは2005年まで責任者を全う。素粒子実験新プロジェクト「国際リニアコライダー」の責任者に転身したが、その後も「バリッシュがいなければ重力波発見はありえない」との声は多い。

かくしてLIGOは運転を開始したが、06年から10年までの観測では重力波の兆候は見つからず。11年から14年には、感度を数倍から場合によっては100倍にするなど、徹底的な改造がなされた。そして迎えた15年、とうとう重力波信号をキャッチしたのだ。統括責任者のデビッド・ライツィは記者会見で言った。

「私たちはやったぞ!(We did it!)」

このほど発表された17年のノーベル物理学賞は、ワイス、ソーン、バリッシュの3人に輝いた。ドレーバーは晩年、認知症を患って英国へ戻り、前述したように今年3月7日に亡くなった。残念ながら死後の人間には、ノーベル賞は与えられないのだが、彼らの功績は今なお続く。10月16日にあったLIGOの発表だ。

「中性子星衝突による重力波を検出、光でも観測に成功し、金など重い元素の起源に迫る」

ここ2年余りで、ブラックホールの合体4件に加え、中性子星衝突まで捉えられるとはなんと速い進展なのか!

この発見にはいくつもの意味がある。「中性子星」とは太陽の20倍程度までの質量を持つ星が壊れた後の、いわば星の成れの果て。半径10キロ程度だが、重さは太陽ほどあり、その構成物質はなんと「茶さじ1杯で10億トン」もある。中性子星連星の衝突時の重力波は、持続時間が長いなど、ブラックホールと区別できる。例を積み上げれば、その不思議はもっと解明されるだろう。

さらに、重力波事象の1.7秒後、閃光のようなガンマ線(波長がとても短い電磁波)の観測が報告されたのをきっかけに、その方向の可視光、赤外線、紫外線、電波などの観測から次々と「状態が急変した星」の報告が寄せられたのだ。つまり、星が衝突し重力波を出した場所が「見えた」ことになる。これまで普通の恒星では鉄までの元素しか作れないと分かっており、それより重い金、プラチナ、ウランなどの元素は宇宙のどこで作られたかは謎だった。中性子星こそそういう元素を錬金する「かまど」ではないかともいわれていたが、今回の「中性子星衝突」の観測で、その兆候が1億3千万光年の彼方に見えたのかもしれない。

岐阜県神岡に建設中の「KAGRA」も間もなく観測を始める。1990年から7年間、LIGOで“雑音狩り”に尽力した川村静児・東京大学宇宙線研究所教授は、「宇宙誕生から宇宙を真っ直ぐに飛び続ける重力波を見れば、その瞬間をキャッチできるに違いない」と著書で断言する。

宇宙を見る「眼」は、これまでの光や電波に、重力波、ニュートリノも加わった。宇宙から来る数え切れない種類の「お使い」を捕まえる新たな天文学時代の幕が開けた。(文中敬称略)(科学ジャーナリスト・内村直之)

※AERA 2017年11月13日号

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