世界で戦ったヒーロー、盛田昭夫|出井伸之

  • Forbes JAPAN
  • 更新日:2018/02/17
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人生は岐路の連続。最良の選択でチャンスを呼び込むためには、自身と深く対話し、自分の中にある幸せの価値観を知ることが重要である。この連載は、岐路に立つ人々に出井伸之が送る人生のナビゲーション。アルファベット順にキーワードを掲げ、出井流のHow toを伝授する。

今回は、M=Morita Akio(盛田昭夫)。そして彼の著者のタイトルでもある「Made in Japan」について(以下、出井伸之氏談)。

昨年の秋、私は家族と一緒に、名古屋にある盛田昭夫さん(ソニー創業者のひとり)のお墓参りをした。今から約13年前の1999年10月に亡くなられた。当時、私は世界的規模に成長し続けるソニーの社長だった。それ以降、「今、この時代に盛田さんがいたら」と考えることがしばしばある。

意志のある発言を認め合うカルチャー

エレクトロニクスの井深大さん、物理の盛田昭夫さん、地質学者の岩間和夫さん。この3人が、終戦直後の新しいパラダイムを迎えた日本で、コンシューマー向けの半導体産業を創出し基盤をつくった。

盛田さんは名古屋でも有名な老舗酒造の生まれだが、後を継がず、井深さんとベンチャーを創った。その背景には実は広島の原爆投下があった。アメリカの軍事技術のレベルを知り愕然とした盛田さんは「日本は平和技術から産業を創出したい」という思いから起業に参画した。そして3人は半導体に目をつけムーアの法則のより指数関数的に技術も会社も飛躍的に成長した。

「ヨーロッパの市場開拓を行いたいので入社後1年で休職し現地に行き学びたい」

私は盛田さんと井深さんにこんな交渉を行い、ソニーの前身である東京通信工業に入社した。私も半導体産業の伸びを十分に確信していた。しかしソニーの成長のパワーは想像を絶していた。平和産業のプロダクト商品で、アメリカをはじめ世界各国に進出しグローバリゼーション実行する、その真っ只中に私はいた。

ソニーがこんなにも巨大に成長するのであれば、ソニーに負けないくらい私自身も成長する、と当時決意したことをよく覚えている。それは私がソニーフランスを設立した20代後半の頃だ。

強く信じて戦い続けた、その功績

その頃の日本の強さとソニーの持つ先見性は実に凄かった。そこには盛田さんという大きな存在があった。日本という国の地位をグローバルレベルに引き上げるべく、日本のために戦った人だ。

単身で渡米しトランジスタラジオを売り込みに行った時、ソニーというブランドが使えない取引は全て断った。またビデオレコーダーが普及し始めた時には、ハリウッド映画スタジオとソニーが著作権争いをした。そのおかげで現在、私的に録画した映像を楽しむことができている。

他にも、カリフォルニア州のユニタリータックス、カラーテレビのダンピング訴訟、欧州のPAL方式など、いくつも戦いながら認められ今の常識をつくり、世界の中での日本というポジションを築きあげていった。

そんな盛田さんが1986年に約5年の歳月をかけ完成させた著書「Made in Japan」は、日本のものづくりのパワーをアメリカ人に知ってもらうために英語で書かれ、その後30カ国で翻訳された。ヨーロッパでの事業の記述には私も少し登場する。「Made in Japan」は、盛田さんの経験からグローバリゼーションと多角化について書かれた歴史的な本だ。経営における譲歩や調和など今でも十分に学ぶものがある。

トップとの交流から学んだこと

私は、フランス駐在時代に盛田さんと相当意見を交わしている。パリ・シャンゼリゼ通りのショールームのオープン、ソニーフランスの設立、とにかくあらゆる場面で自分の考えを伝え戦いながら実行してきた。駐在員としてはかなり目立っていたことは間違いない。それが理由かはわからないが、当時雲の上の存在であった上司と次第に親交を深めていった。

欧州から帰国した私を、盛田さんはゴルフやテニスなど休日遊びのパートナーに指名した。一緒にプレーしながら実に様々なことを教わった。

「これから転勤もあるだろうが、初めてで何も知らないがよろしく、なんて絶対言うな。10年級のベテランのように自信のある態度を取りなさい。部下は新人なんて望んでいない。あらかじめ勉強してリーダーシップを取りなさい」とまだ30代前半だった私に言った。またある時は「明日ゴルフに行くぞ」と急に誘われ、一緒にプレーさせてもらったので、今では、思い出のゴルフ場スリーハンドレッドクラブに若者を誘っては恩返ししている。

スピーチの前になると、箱根の盛田家で練習相手をすることもあった。原稿を見ないでスピーチする盛田さんになぜかと尋ねると「女性を口説く時に原稿を読むやつがいるか。相手の心を掴まないとダメなんだ。スピーチも、人と会う時も、始めの30秒が勝負だ」という実に彼らしい言葉が返ってきて私は大いに納得した。

フランスの出張では、ボルドーにあるロスチャイルド家のぶどう畑まで二人で足を延ばしたことがある。一通り見終わった時なぜかがっくりしている盛田さんに声をかけると、「実家でワイン造りに苦戦するお祖父さんへのヒントを探しに来たのに、重要なのは水と土地と気候で他に特別な何かはなかった」と肩を落としていたのだった。

とにかく、好奇心旺盛でやんちゃで自由奔放な人だった。

引き継がれる「Made in Japan」スピリット

私は1995年にソニーの社長に就任し、Made in Japanの続編を描いていくように、盛田さんならこう実行すると信じてあらゆる事業を進めた。ソニーのスピリットを受け継ぎ、”デジタル・ドリーム・キッズ”そして”リ・ジェネレーション”を掲げ、次々に生み出される新しい技術とともにグローバリゼーションや多角化を行い、会社をさらに大きくさせた。

私が経団連に入った時、豊田章一郎さんと30分程度話す機会があり、帰り際に「あなたは盛田さんに考え方が似てるね」と言われた。実に嬉しかったことを覚えている。

世界と戦ってきた盛田さんが亡くなった時、私は記者からのインタビューで「盛田さんは僕のヒーローです」と答えている。戦後、3人のエンジニアが新しいパラダイムにどう挑むかというところから始まり、自由でオープンなカルチャーを持ったソニーという村ができ、そこに入ってくる人たちに惜しみない愛情を注ぎ知識や情報を共有し村全体で育ててきた。ちょうど今の日本が形成された時代でもあり、ソニーが世界の中での日本のポジションを築き上げた企業の一つであることは間違いない。

そしてソニーのスピリットとカルチャーは、今も世界で受け継がれ、人から人へ広がりパワーを与え続けている。21世紀のネクストパラダイムにどう挑むのか、今後のソニーが楽しみだ。

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