どうしても年金を出したくない国の呆れた「定年延長」という無策

どうしても年金を出したくない国の呆れた「定年延長」という無策

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  • 更新日:2019/05/27
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金融庁は22日「資産寿命」についての初の指針案をまとめ、その中で「少子高齢化により年金の給付水準の維持が困難」と明言し、さらに国民へ「自助」努力を呼びかけたことに批判の声が殺到しました。「努力義務」の定年延長もいずれ「義務」に変わり、使えない老人を抱えた非効率な企業の収益は悪化し国力はますますジリ貧になると警告するのは、CX系「ホンマでっか!?TV」でもおなじみ、メルマガ『池田清彦のやせ我慢日記』の著者で生物学者の池田清彦教授。池田教授は、年金の財源確保策と、ポスト工業化社会に必要とされる人材を排出するために必要な教育について持論を展開しています。

老人を無理やり働かせるのはやめよう

年金の財源が破綻することはもはや自明なので、政府は、近い将来、平均寿命が100歳になるといったウソ話を吹聴して、高齢者を働かせて、なるべく年金を支払わないで済むような制度を作ることを画策しているようだ。

現行法では、企業は60歳から65歳までの希望者全員に雇用義務がある。企業の選択肢としては、

1.定年延長、

2.定年廃止、

3.契約社員

などでの再雇用、の3つがあるが、企業も義務というので、仕方なく政府の言うことを聞いているだけで、実は雇いたくない人もいるだろうし、雇用するにしてもなるべく安い給料で雇いたいだろう。働く方も年金が思うように出ないので、嫌々働いている人も多いと思う。企業が、高給を支払っても雇用したいという人はごく少数だろう。

私の多くの虫友達は、定年になって、自由時間が増えて、好きな時に好きなところに虫採りに行きたい、という人が大部分で、定年になっても、働きたいなんておかしな人はまずいない。年金がもらえないので働かざるを得ない人が大部分だ。余裕のある人は定年前にとっととやめて虫採りに専念している。そういえば『バカの壁』の養老さんも定年前の57歳で東大教授を辞めてしまった。私は70歳の定年まで勤めたが、ほとんど、自由業に近い勤務形態だったので、ストレスを感じなかっただけで、普通の人から見れば例外である。

いよいよ財源が逼迫することが目前に迫ってきたからか(国民年金と、厚生年金の財源を株を買い支えるために注ぎ込めば、そのうち破綻するわな)、65歳では足らず、70歳まで年金を支払わないようにするための布石として、上記した定年延長などの3項目に加え、

4.他企業への再就職支援、

5.フリーランスで働くための資金提供、

6.起業支援、

7.NPO活動などへの資金提供、

の7項目を企業の努力義務とする法改正を行う方針だという。 最初は、努力義務でもしばらくすれば、努力が抜けて義務になるのは現行法を鑑みれば大いにあり得るだろう。企業としては、本人が希望したからと言って役立たずの老人を雇用するのは勘弁してもらいたいと思うだろうし、他企業への再就職支援といっても、そういう人を他の企業が雇ってくれるとは思えない。そうかといって、フリーランスで働きたい人に資金を提供しても、上手くいかなくて資金回収もままならなくなる恐れの方が強いだろうし、60代の後半になって起業する老人もそんなにいるとは思えない。NPO活動への資金提供に至ってはほとんど絵に描いた餅だ。

年金の財源が破綻するのは30年も前から分かっていたわけで、今頃になって泥縄式に解決策を探っても、上手い方法があるわけがない。老人を雇用して働かそうといっても、今までのように、決められた仕事を正確にこなす、といったタイプの仕事はしばらくたてば不要になり、こういったタイプの働き方に適応している大部分の老人は、実は企業の戦力としては完全に不必要で、雇用すればお荷物になることは目に見えている。企業に負担をかける老人雇用義務より、少ない雇用人員で企業の効率化を進めて黒字を膨らませて、法人税率を値上げしてその金を年金の財源にする方が、企業も老人もハッピーになれる。

そもそも、労働時間と労働場所を拘束して、一斉に働かせるようなやり方は、もはや時代遅れなのである。日本の労働生産性や国際競争力が急速に低下し始めたのは1990年代半ばである。この頃IT革命が勃発して、企業の経営スタイルが大きく変わっていった。単純な労働はロボットがこなせるようになり、社員全員にコンピュータが支給され、労働場所に拘束されずに働けるようになった。

しかし多くの企業は従来通りの労働形態にしがみつき、定時に出社してオフィスや工場の中で、横並びで終業まで働くというやり方を変えようとしなかった。社員一体となって一生懸命働くという工業社会で成果を上げたやり方は、今や企業の業績にとってマイナス要因にしかならないのに、工業社会型の思考に縛られた多くの経営者は、企業に忠誠を誓わせ、上意下達を徹底しようとの方針から、抜け出ることができなかった。

その結果、日本企業の業績は悪化し、国際競争力は加速度的に低下したにもかかわらず、経営者の多くは社員をもっと奴隷のように働かせれば、業績は回復するとの妄想から解放されることはなかった。かくして一部の企業は(もしかしたら大部分かしら)ブラック企業へと転落したのである。

多くの国民も、個性を発揮して会社の営業に貢献しようという考えよりも、言われたとおりに一生懸命働けば、未来は開けるという従来型の思考パターンから抜け出ることができず、日本企業は、労使一体となって転落への道を進んだわけだ。国民がこういった思考パターンから抜けられないのは、すでにあちこちに書き散らしたように、教育の画一化の弊害である。

ちなみに、工業社会型の組織形態をますます強めて、時代に逆行しているのは小学校、中学校、高等学校が最たるもので、今や大学もこの列に加わろうとしている。日本で、最悪のブラック企業は学校といっても過言ではない。

文部科学省は、国民が権力者の奴隷になるような教育を行うように、教育現場に指示を出すことに余念がない。世界標準から見たら完全に時代遅れの工業社会適応型の教育を推し進めている。上の命令をよく守り自分で考えようとしない国民は、権力者にとっては都合がいいが、ポスト工業社会(情報化社会)の企業では使い物にならないことは自明である。権力者は威張っていられて満足かもしれないが、国の経済力はじり貧になって、多くの国民の生活水準は凋落する。それは北朝鮮を見れば分かる。日本は北朝鮮化への道を驀進しているとしか思えない。 最近になって、学校はブラック企業だという認識が広まってきたのであろう。2018年度の教員採用試験の倍率は過去最低に落ち込んだようだ。2000年に12.5倍だったものが、2018年は3.2倍だったという。東京都に限れば、1.8倍だった。授業がない夏休みにも、学校に出てきて勤務時間が終わるまで拘束されるような無駄の極みのような職場に未来はないのは明らかで、向上心のある若者は、先生のようなつまらない職業は選ばないとなるのは当然である。

職場にやってきて、熱意などあってもなくても勤務時間をよく守り、勤勉でありさえすれば、仕事の効率が上がるわけでもないのは当たり前で、イノベーションをもたらすアイデアは、場所も時間も選ばない。ポスト工業化社会では、単なる勤勉は評価されず、いかに面白いアイデアを出すかだけが勝負となる。

image by:shutterstock.com

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