【NHK過労死】両親が初めて語った「NHKへの不信感」と「亡き娘への思い」〈会見詳報〉

【NHK過労死】両親が初めて語った「NHKへの不信感」と「亡き娘への思い」〈会見詳報〉

  • 文春オンライン
  • 更新日:2017/10/14

2013年7月、NHKの記者、佐戸未和さん(享年31)が、過労によって心不全で亡くなった。未和さんの死から4年。両親が10月13日に厚生労働省記者クラブで会見を開き、初めてその心中を語った。

◆◆◆

佐戸未和の父です。

私たちの長女、佐戸未和の過労死については、10月4日にNHKから公表があり、各メディアからNHKの発表内容に基づいた報道がされてきました。

しかし、私たちの思いが正確には伝えられていないことや、事実誤認もありますので、未和と同じ記者の皆様には、私たち夫婦の口から、直接お話をさせていただいたほうがよいと考えて、本日お集まりいただきました。

本日まず、お話しするのは、娘を過労死で喪った両親の思いということで、9月26日に、私と妻がNHKの幹部の方にお話をしたものです。一部は、NHK公表後の両親のコメントとして既に出しております。

未和は、NHKを恨んで死んだわけでもなく、憎んで亡くなったわけでもありませんが、記者として自分の過労死の事実を、NHKの中でしっかり伝えて再発防止に役立ててほしいと天国でも望んでいると私たちは信じています。

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佐戸未和さん/遺族提供

NHKに感じた不信感

私がNHKでお話をしたことは4点ほどございます。

まず1点目は、4年前の未和の過労死の事実をどうして今表に出すのか、という点。2点目は、労災を申請した当時の私たち夫婦の心情、3点目は、未和の急死の連絡を受けた当時の状況、最後に、未和の長時間労働の過労死の発生原因について、私たちの思いということについてお話しをしました。

まず1点目ですが、4年前の未和の過労死の事実をどうしていま表に出すのか、という点です。NHKの局内で、未和の過労死について、きちんとしたけじめがつけられていないと考えていました。このままでは、NHKの記者であることに、誇りと愛着をもって職責を全うして倒れた未和の足跡がNHKには何も残らず、過労死の事実も捨てられたまま、いずれ風化し、葬り去られるのではないかという危機感がありました。

我が家には毎年、未和の命日、7月24日ですが、この時期の前後にかけて、未和と親交があった多くのNHKの方々が焼香に見えますが、その方々から、未和の過労死の事実が、きちんと局内で継承として伝えられていない、NHK内部の働き方の改善や、制度改革の背景に何があったのか、共有も伝承もできていないという声をたくさん聞きました。

私達夫婦は、未和はNHKの働き方改革のための人身御供になったと思っていますが、NHK内部では、初めての記者の過労死であり、不名誉な案件として表に出さない方針にしているのではないか、また一般社員を守る立場にある組合も、黙っているのは何故か、これに加担しているのではないか、と疑念を持っておりました。未和の過労死が、どうして起こったのか。NHK内で、しっかり自己検証もされておらず、誰も責任をとっていないのではないかと感じています。

未和の過労死をNHKの中で、伏せるのではなくて、ちゃんと出して、NHKの働き方改革推進の礎になっていることを社内の皆さんに知ってほしい、それが、未和がNHKで働いてきた証となり、社内での過労死の再発防止にも繫がると思うようになりました。

一方で、かけがえのない長女を、過労死で突然亡くした私たち夫婦に、NHKは真摯に向き合っていない。親の心情に配慮もしてくれていないという、不信感もありました。電通事件を始め、長時間労働による過労死問題については、社会の目は厳しくなっており、NHKでもニュースや、特番を組んで、社会の木鐸として世の中に警鐘を鳴らしていますが、NHKは自らに起こったことは棚上げしたままではないかと、私たち夫婦は怒りの目を向けていました。過労死関係のニュースや、番組の制作、放送の現場で、実際に取材や、編集や、解説等にあたっている方々が、自分の会社の記者が過労死で命を落としている事実も知らない。自らの襟もたださずに、報道や解説をしている姿を、私たち夫婦がどんな思いで見ているか、想像をしていただきたいと思います。未和の過労死を、NHKは決して忘れず、遺族の心情に寄り添ってくれていると私たちが感じたことはありません。

未和が亡くなって4年経ちますが、労基署による労災の認定後も、NHKから謝罪の一言もありません。社員の過労死にたいして、誰もお咎めなしということは、普通の会社や組織ではありえないと思いますが、NHKでどなたか責任を取られたのか、何か処分があったのか。私たちは何も知らされていません。

未和の命日でさえ、今年は、私たちから連絡をするまで、NHKの職制からは無しのつぶてでした。なぜ今頃表に出すのかという私たちの気持ちをご理解いただけたら幸いです。

未和の勤務表を見たとき、私は泣きました

次に、労災を申請した当時の私たち夫婦の心情です。

2013年10月に、渋谷労基署に正式に未和の労災申請を出しましたが、その中に、私の陳述書があり、最後のページに当時の思いを記しています。そのまま読ませていただきます。

〈未和が産まれたのは、私が31歳のときでした。結婚し、最初の子どもである未和が産まれ、人生今から、と高揚感に溢れていました。その同じ31歳で、未和は突然、この世から去ってしまいました。道半ばに達することもなく、人生を絶たれた未和の無念さ、悔しさを思うと哀れでなりません。

親として、わが子を守ることができなかったという深い後悔の念に苛まれながら、なぜ未和が突然死んだのか、何か予兆はなかったのか、避ける手立てはなかったのかと、美和の遺影と遺骨に問いかける毎日です。

私は未和からNHK入社後の最初の赴任地である鹿児島、その後に異動した首都圏放送センターでの記者としての気分はどういうものか、よく聞かされていました。機械メーカーで長年営業に携わってきた私のような一般の会社員の感覚からすると、24時間臨戦態勢のような記者の勤務は、肉体的にも、精神的にも「過酷」の一語につき、生活も不規則で、あの小さな体でよく頑張っているなといつも感心していました。

未和はハードな生活にほとんど弱音を吐かず、周囲も優しく接しながら、自分で選んだ仕事に誇りを持って、記者としてのキャリアを一歩一歩積み上げていました。私は未和にエールを送りながらも、一方で、未和が記者という仕事に、必然的に伴う不規則な生活を長いあいだ続けることで、身体や健康が蝕まれることを、親として非常に心配していました。未和には会うたびにわが身の健康第一、命よりも大事な仕事などこの世にはないことをくどいほど伝えてきたつもりです。

そのため、未和も自分の身体や健康には留意していましたが、これまで酷使してきた身体には、澱のように疲労が蓄積していたのだと思います。NHKが総力を挙げた平成25年の夏の都議選、参議院選の選挙取材では、未和は都庁クラブで一番の若手であり、独身で身軽なため、それこそ寝る間を惜しんで駆け回っていたようです。

後日、NHKから提示された未和の勤務表を見た時に、私は泣きました。待ったなしの選挙取材で、時間に歯止めがなく、土曜も日曜もなく、ほとんど連日深夜まで働いており、異常な勤務状況でした。疲労困憊していようが、体調が悪かろうが、途中で戦線離脱などできるはずもなく、自分の身体に鞭打ちながら、とにかく選挙が終るまで、突っ走るしかなかったのかもしれません。

これまで、無理を重ねてきた身体に、夏の選挙取材中の過剰勤務が決定的なダメージを与えたのではないかとの思いを、拭いきれません。未和は短い人生を駆け抜けるようにして逝ってしまいましたが、親として、未和の急死をもたらしたものが何であったのかを知りたい、今年(※当時)の夏の異常な勤務時間との因果関係を明らかにしたいという一念で今回労災申請をすることを決意しました〉。

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©iStock.com

毎日のたうち回るような日々が続いた

次に、未和の急死の連絡を受けたときの私たちの状況です。

未和が亡くなった2013年7月24日当時、私はブラジルのサンパウロに駐在していましたが、9月の早々には正式に帰任が決まっていたために、後任への引継ぎや挨拶回りなどに追われていました。現地時間の7月25日の午後2時半頃、日本時間の7月24日の深夜2時半ですが、首都圏放送センター・都庁クラブのキャップの方から、私の携帯に直接電話があり、未和死亡の連絡が入りました。

原因も死因も不明で、状況も分からず、錯乱状態になっている妻を引きずるようにして最短便で現地を発って、2日後の7月27日にようやく日本に戻り、変わり果てた未和に対面しました。夏場で遺体の損傷も激しいために、翌々日に葬儀をすませ、後始末をした上で、放心状態が続いている妻は、次女と長男に託して一旦私はサンパウロに戻り、9月4日に正式に帰国をしました。

12年にわたる長いブラジル駐在を終えて、帰国直前に、かけがえのない娘を突然奪われた自分の運命と天を呪いました。家内は私と、私の会社を恨み、夫婦ともども、未和を喪った喪失感と悲しみと苦しみに、毎日のた打ち回るような日が続きました。

現地にいた私と未和とは、電話やメールでよく近況を連絡しあっていましたが、6月26日の未和の誕生日に、私が打ったメールに対して、今までめったに弱音を吐いたり、泣き言を言わなかった未和が初めて、弱気になっているメールを送ってきました。内容をご紹介しますが、未和の勤務記録に記載されている、当時の勤務時間と照らし合わせると、へとへとになっていたのだなと、後日分かりました。

「1日に1回は仕事を辞めたいと思う」

未和のメールです。

〈パパへ。メールありがとう。なかなか悲惨な誕生日だったけど、なんとか体調も戻ってきたよ。都議選も終ったけど、もう1ヶ月もしないうちに参議院選。それが終ったら、すぐ異動だよ。忙しいし、ストレスも溜まるし、1日に1回は、仕事を辞めたいと思うけど、ここは踏ん張りどころだね。この年になって、辞めて家事手伝いになると、結婚もできないわ。7月には一時帰国するのかね。忙しい人は、仕事をやめると、ボケたりするって言うから、楽しみをたくさん見つけておくといいね。それじゃあまたね。未和〉

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遺族提供

最後に、未和の長時間労働と、過労死の発生原因についての私たち夫婦の思いを言います。

労災の申請にあたって、未和の勤務記録、タクシーの乗降記録、パソコンでの受発信記録、携帯での更新記録などを、NHKから入手して、整理する途上で、NHKの当時の職制の方と、何度かお話をしてきましたが、記者の働き方は裁量労働制で、個人事業主のようなものだという発言が何度か出てきました。

出勤時間も、休憩時間も、自分の裁量で自由にできるという立場にあったということでしょうが、取材テーマを追う本来の記者の業務ならともかく、時間も手順も決められた短期集中の選挙取材業務は、待ったなしではありませんか。

都議選と参議院選と続いた選挙取材で、連日連夜深夜まで働き、土日も休めず、亡くなる直前の1ヶ月間の時間外労働時間が、私たちが労基署に出したのは209時間。その前の月が188時間というような状況がなぜ放置されていたのか、私には理解できません。記者は個人事業主だから、細かい管理はしないという職制の意識が、部下の日々の残業時間のチェックもコントロールもせずに、結果的にこれほどの長時間労働を強いて、過労死に至ったのではありませんか。部下の健康と命を守るために、労働時間の管理は日々きっちりやるという職制の意識があれば、またそれをさせる組織のルールが厳格であれば、未和は死なずに済んだはずです。

取材チームに問題はなかったか

職制の労働時間管理の杜撰さに加えて、一つのグループ、チームとしての在り方にも問題があったような気がしています。都庁クラブは、男性キャップの下に、男性のベテラン記者3名と、一番若い独身の未和を合わせて5名での選挙取材体制であり、皆さんそれぞれ大変だったと思います。しかし、普通の会社の組織では、若い女性社員が連日連夜深夜残業、土日出勤という状態がずっと続けば、誰かがアラートを出して、助け舟を出すなり、外部からサポートを呼ぶなり、改善に向けて、協力して、助け合うはずです。

チームの皆さんは、横目で未和を眺めながら、個人事業主を決め込んでいたんでしょうか。自己管理ができなかった未和が悪かったのでしょうか。私たちには、未和が亡くなった当時のチーム全員の勤務記録を見せてくれという思いがあります。

未和の100カ日の法要に、都庁クラブの方もみえました。その夜の会食の席で、家内がその方に「未和は我が家のエースでした」と言いました。

その方は、びっしり(予定を)埋めた自分の手帳を見せながら、こう言われました。「要領が悪く、時間管理が出来ずに亡くなる人は、エースではありません」。同じ職場にいた方の言葉とも思えませんが、当時の都庁クラブのチームワークの実態を、垣間見る思いがします。個人事業主の意識の強いグループで、一番弱い未和が、犠牲になったのではないかと思うと、親としてはやり切れません。

続いて妻の方から思いを話させていただきます。

娘はかけがえのない宝でした

亡き、未和に対する母の思いを、稚拙ながら述べさせていただきます。私の幼い文章で申し訳ございません。娘はかけがえのない宝、生きる希望、夢、そして支えでした。

娘亡き後、私の人生は180度変わり、もう二度と心から笑える日はなくなりました。

未和という名前は、未来に平和をということで、「未」と「和」を繋げて、考え抜いてつけました。産まれた当初は、私の実家のある長崎県長崎市におりました。つわりがひどく、難産だっただけに、玉のような女の赤ちゃんと出会えたときは、本当に奇跡だと幸せを噛み締めていました。すくすくと順調に育った未和は、親馬鹿と思われるかもしれませんが、才気煥発で、他の子にない、光るものを持っているように感じていました。

未和が1歳半になった頃、コロンビアに単身赴任中だった夫が帰国、最初こそ怖がりましたが、すぐに慣れました。ちょうどその頃、TVの子ども番組「おかあさんといっしょ」が長崎で収録、出演させていただいたのが、NHKとの最初のご縁でした。

未和5歳、次女3歳、長男1歳。東京都豊島区に転居、東京には親戚も知り合いもなく、夫は海外出張が多く、1人で3人を育てる日々は無我夢中でした。未和は幼稚園、小学校を豊島区で過ごしました。私の長崎の父が倒れた時は、当時3歳の長男だけを連れて、東京と長崎を何度も往復、その頃から未和はお姉ちゃんとして、下の子たちの面倒を見るようになったと思います。私も、次第に精神的に未和に頼るようになっていました。

中学は文京区、高校は世田谷区駒沢から通い、一橋大学法学部へと進んだ未和は、私の勧めで、TBSラジオで大学生がやっていたBSアカデミアにかかわり、本格的に報道の世界に興味を持ち始めました。

一番の親孝行者だった

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遺族提供

3人の子の受験、就職など、節目節目には必ず私も伴走という形をとったのですが、一番、手ごたえがあり、充実し、満足のいく結果になったのは未和でした。まさに、我が家のエースでした。が、一番の親孝行者が一番の親不孝者になりました。

NHK入局後の最初の赴任地は鹿児島。母娘ともに、有頂天になりながら、電化製品、必要な家具を買い揃え、任地に送りました。長崎の親たちの介護の帰りに、わくわくしながら4回ほど鹿児島に行きましたが、未和は仕事で時間が取れず、一緒の思い出は残念ながら皆無でした。亡くなった後分かったことですが、彼女は持ち前の頑張りで、賞を2回いただいたり、拉致問題でもずいぶん活躍したそうです。平成22年、念願の東京勤務が決まり、我が家も現在の家に引っ越しました。

一度、美和が都庁近くのホテルで、昼食をご馳走してくれたことがありました。バタバタバタッと来て、サーッと職場に戻る姿は今でも目に焼きついています。そこで未和が珍しくぼやいてきたことは、都庁クラブでの人間関係が、鹿児島時代とはまったく違って希薄だということでした。それでももう少し頑張ってみるということで、口出しは控えました。

結婚が決まっていた

その後、未和の引越しに、次女と2人で手伝いに行ったときには驚きました。暑い夏の盛りに、私たちはただボーっとテレビを見ている間に、未和は1人でちゃちゃっと立ち働き、ハヤシライス、キュウリ、トマトのサラダを作ってくれたのです。学生時代の未和からは考えられない手速さに、仕事が人間を作るってこういうことなんだなぁと、感心しました。

また、あとにも先にも、たった一回だけ、実家に泊まりに来てくれたことがありました。私が色々と作った夕食をまるで飲むようにたいらげ、ささっとカラスの行水。自分でヨガを済ませると、すぐお布団へ。あまりのスピードぶりにポカンとしていると、未和は、「記者は早飯、早ナントカで、食べられるときに食べ、寝られるときに眠るんだ。ママもはやく寝てよ」と言ったのでした。彼女は眠ったあと、私は天にも昇る気持ちで、未和が愛おしくて、愛おしくて、眠るのがもったいなく、いつまでもおでこをなでておりました。未和のにおい、未和の体の温かさ、私はこれからも忘れることはありません。

NHKの朝の連続ドラマ「おひさま」の主題歌は、まさに未和のイメージにぴったりで、当時はこの歌をずーっとイヤホンで聴きながら、未和を感じていました。もう少し、もう少しで夫が帰ってくる。普通の生活ができる。結婚が決まっていた未和の手伝いができる。もくもくと家事に励んでいた日々。しかしながら、もうこの曲を聴ける日はなくなりました。

この苦しみを味わう人が二度と現れないように

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遺族提供

平成23年5月1日、夫の完全帰国準備のため、サンパウロ行きになり、未和との連絡はラインとなりました。7月17日、未和から「横浜局の県庁キャップになりました。また忙しくなりそう(涙スタンプ)」、「おめでとう」と言うと、「めでたいかどうかは謎だね(泣き顔スタンプ)」。日本の夜7時のニュースが、サンパウロの朝7時のニュース。別の部屋にいたので、途中から気づき、「以上、選挙報道でした」との未和の最後の声が今でも耳に残っています。

未和の死後、私は私でなくなりました。家中のあらゆる刃物、ロープ類は隠され、夫と下の子たちが順番に、私を見張っておりました。入退院を繰り返し、強い薬を5錠服用し、どうぞこのまま心臓が止まりますように、息が止まりますようにと眠りにつく。だけど、朝はくる。目覚める。ツラいです。親たちの看取りは、最期まで完璧にやったのに、なぜ最愛の娘をみてやれなかったのか。自分を責め続けています。

私は子育てのみに夢中でした。他に、これと言った趣味や特技もなく、子どもが成長した暁には、お手伝いをすることだけが、私のたった一つの望みでした。もうその望みが叶うこともありません。この苦しみを背負う人が今後、決して二度と現れないことを切に願っております。

(「文春オンライン」編集部)

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