夫に代わり朝鮮を牛耳った独裁王妃の末路

夫に代わり朝鮮を牛耳った独裁王妃の末路

  • PRESIDENT Online
  • 更新日:2019/02/11

19世紀後半の韓国(朝鮮)を率いていた王妃・閔妃(びんひ)は、女性独裁者として政治を思うがままに動かしていました。自分に従わない者は容赦なく弾圧し、処刑もためらわない恐怖政治。同時代を生きた福澤諭吉はそんな朝鮮を「地獄」と呼び、国交を断絶すべしと『脱亜論』に著します。日清戦争やロシアの三国干渉など、歴史的な出来事にも関わっている閔妃の狂気ぶりを振り返り、昨今の日韓関係を考えます。

福澤は朝鮮を「妖魔悪鬼の地獄国」と言った

昨年の12月20日、日本海において、韓国海軍の駆逐艦が海上自衛隊のP‐1哨戒機に対して火器管制レーダーを照射しました。これに対し、韓国は説明を二転三転させた挙げ句、海自機が「威嚇的な低空飛行」をしたとして、日本に謝罪を求めました。昨今、徴用工判決などをはじめ、日韓関係に重要な影響が及んでいます。

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閔妃肖像(写真=Bridgeman Images/時事通信フォト)

134年前、朝鮮(李氏朝鮮)と日本との関係の軋轢の中で、一つの結論を導き出したのが福澤諭吉でした。福澤は中国に属国支配されていた朝鮮を憐れみ、金玉均(きんぎょくきん)ら若い改革派朝鮮人の独立運動を支援していました。彼らは日本の明治維新のような近代化を朝鮮で断行するべきという理想に燃えていました。

金玉均は1884年、朝鮮王朝に対し、改革クーデターを起こしますが、失敗。日本に亡命をして、福澤の庇護を受けます。その後、金玉均が上海へ赴いた際に、朝鮮王朝の刺客によって、暗殺されます。金玉均の遺体はソウルに運ばれ、逆賊として凌遅刑(りょうちけい、皮剥ぎ・肉削ぎの刑のこと)に処され、体をバラバラに切られ、首や手足を晒されました(朝鮮や中国では、死者にも容赦なく刑を処しました)。

福澤は金玉均が残忍な凌遅刑に処せられたことに怒り絶望し、1885年、新聞の社説に以下のように書いています。

「我輩は此の国(朝鮮のこと)を目して野蛮と評するよりも、寧ろ妖魔悪鬼の地獄国と云わんと欲する者なり」(1885年2月26日、『時事新報』より)

恐怖と狂気が響き渡る閔妃の宮殿

福澤が「妖魔悪鬼の地獄国」と表現した当時の朝鮮を率いていたのは朝鮮王妃の閔妃(びんひ)でした。朝鮮王で夫の高宗は愚鈍で、政治のことはわからず関心もなく、聡明な王妃に頼りました。そのため、閔妃が政治を取り仕切りました。

閔妃は1866年、15歳で王妃となり、宮廷入りします。若い閔妃は寡黙な性格で、夜通し勉学に励み、王宮の蔵書を読み漁り、『春秋』を暗記したと言われます。学問に秀でた才女だったのです。王宮のしきたりに素早く順応し、特に食事の作法が優雅で気品に溢れていたといいます。

しかし、後年、巫堂(ムーダン)というシャーマン的な宗教にはまり、盛大な儀式を開催し、その費用で、国家財政を圧迫させたというような愚行も散見されます。閔妃の容貌については、長身であったとも、小柄で華奢であったとも伝えられています。

聡明な閔妃は政治的嗅覚にも優れ、権謀術数が巧みで、多くの人材を懐柔し操りました。一方、自身に従わない者に対しては、容赦なく弾圧し、その多くを処刑しました。閔妃は恐怖政治によって、権限を一手に握り、女独裁者として君臨していました。

閔妃が苛烈であったのは、政治だけではありません。後宮の宮女たちに対する取り締まりも尋常ではなかったと伝えられます。張氏という宮女が高宗の男子を出産したという知らせを聞いたとき、閔妃は逆上し、刀を手に取り、張氏の部屋へ怒鳴り込みに行きました。刀で戸を叩き切って乱入し、「お前は命が惜しくないのか!」と叫び、張氏を脅しました。張氏は恐れおののき、泣いて命乞いをしました。

これは李朝末期の学者、黄玹(ファン・ヒョン)が著した『梅泉野録』に描かれた閔妃の行動の一節です。『梅泉野録』はその名の通り、「野史」であり「正史」ではありません。従って、どこまで、史料として信頼できるかわかりませんが、閔妃の性格の一端を表していると言えます。この他、『梅泉野録』に、閔妃が淫蕩に耽っていたことなどが書かれています。韓国ではしばしば、「閔妃を貶めるネタは日本人から発せられた」と言われますが、元々、黄玹のような当時の朝鮮人から、発せられたのです。

なぜ、閔妃打倒は失敗したのか?

こうした閔妃政権に対し、金玉均ら親日派の若い官僚たちは立ち向かいます。彼らは朝鮮王朝を倒し、朝鮮の近代化を推進していこうとして、1884年、クーデターを起こします。このクーデターは甲申政変と呼ばれます。

しかし、金玉均らのクーデターは稚拙でした。閔妃の後ろ楯には、中国の清(しん)がいました。清軍がいち早くクーデターを察知して、介入します。金玉均ら革命派は日本軍を頼みの綱としますが、この時、日本軍は清軍と本気で戦う気などありませんでした。日本公使館がソウルに擁していた兵は150人しかいなかったのです。

金玉均らは結局、清軍に追われ、日本公使館に逃げ込み、日本に亡命しました。金玉均の新政府は僅か3日で崩壊しました。彼らの失敗の最大の原因は日本軍との連携が取れていなかったことでした。日本軍が清軍と本気で戦い、清軍を撃退してくれるだろうという甘い見通しに立脚していたのです。

当時、清はベトナムの支配権を巡り、フランスと戦争をしていました(清仏戦争)。金玉均は、清が南方でフランスと戦っている間は日本を敵に回すことをしないとタカを括っていました。たとえ、150人しかいない日本軍でも、日本軍が自分たちの盾となっている限り、清軍は手を出さないと考えていたのです。

しかし、このような金玉均のロジックは尊大な清には通用しませんでした。清はクーデターの騒乱を朝鮮支配強化の好機と捉え、軍事介入しました。

清軍の支援で、クーデターを鎮圧した閔妃は金玉均らを反逆者と見なし、怒りを爆発させます。「いかなることをしても、始末しろ!」という厳命を下し、日本に逃れた金玉均らを追って、刺客を差し向けました。福澤諭吉はそんな彼らを三田の私邸に匿い、慶應義塾の門下生とともに、日夜、警護にあたりました。

そして、金玉均は前述のように、再起を期し、上海へ赴いたところで、閔妃の差し向けた刺客により、暗殺されます。

福澤諭吉の心境と今日の日本人

福澤はもはや閔妃政権に牛耳られる朝鮮には、将来も希望もないと悟り、朝鮮とその背後にいる中国と断交すべきことを『脱亜論』に著します。「不幸なるは近隣に国あり、一を支那と云い、一を朝鮮と云う」と中国と朝鮮を名指しして、以下のように批判しています。

「一より十に至るまで外見の虚飾のみを事として、道徳さえ地を払ふて残刻不廉恥を極め、尚傲然として自省の念なき者の如し」(1885年3月16日、『時事新報』掲載の『脱亜論』より)

ここで述べられている「外見の虚飾」というのは着飾るようなことではなく、儒教主義に沈潜して、形式やプライドに拘泥していることを指しています。そして、彼ら(中国人や朝鮮人)は道徳心を持たず、残酷・残忍で恥知らず、傲慢で自省心もないと言っています。

さらに、福澤は中国や朝鮮と付き合っていては、文明の進歩に遅れてしまうばかりではなく、諸外国から同類扱いされてしまうと述べ、最後に、「我れは心に於て亜細亜東方の悪友を謝絶するものなり」と結論付けています。

日清戦争は日本にスリ寄り、その後はロシアに。

福澤の「朝鮮に関わるな」という警告は当時の日本政府や日本人にほとんど届かず、逆に日本はますます関わりを深めていくことになります。

そして、遂に、朝鮮で日本と清の両勢力がぶつかり、戦争がはじまります。これが日清戦争(1894~1895年)です。閔妃をはじめ、朝鮮の廷臣の誰もが「日本が大国清に勝てるわけがない」と考え、清に追従しました。しかし、日本が優勢になると、閔妃は清をあっさり裏切り、親清派の廷臣を切り捨て、日本にスリ寄りました。

日本が勝利し、下関条約が締結され、清は朝鮮の独立を承認します。この瞬間、日本は中国の朝鮮への属国支配の長い歴史を断ち切り、晴れて朝鮮を独立させたのです。

しかし、閔妃は日本憎しの感情を優先させ、ロシアにスリ寄りはじめ、日本を排除しようとしました。ロシアが三国干渉に成功し、日本が清に遼東半島を返還すると、閔妃は「してやったり」と狂喜乱舞し、ロシアへの依存を強めていきます。福澤が『脱亜論』で「尚傲然」と警告したように、朝鮮は日本への憎悪を募らせていきます。

最終的に、閔妃は内乱に巻き込まれ、1895年、暗殺されます。誰が閔妃暗殺の首謀者だったのかということについて、史料に乏しく、はっきりとしたことはわかりません(大院君首謀説、三浦梧楼首謀説など諸説あり)。よく教科書や概説書では、「朝鮮公使の三浦梧楼によって暗殺された」と断定されますが、根拠不十分である限り、そのような断定は不当です。韓国がそのような説によって、一方的に日本を断罪するのはわかりますが、日本の歴史教育がそれに迎合するというのは恥ずべきことです。因みに、韓国では、「慈悲深き国母である明成皇后(閔妃のこと)を日本人が無惨に殺した」と教えられています。

古代ローマの歴史家クルティウス・ルフスは「歴史は繰り返す」と言いました。福澤が「妖魔悪鬼の地獄国」と表現した閔妃時代の朝鮮における狂気の歴史について、われわれは今一度、冷静に振り返るべきです。

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