飛行機を中心にあの戦争を振り返ると、新たに見えることがある

飛行機を中心にあの戦争を振り返ると、新たに見えることがある

  • 現代ビジネス
  • 更新日:2017/08/11
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今年もまた終戦の日がやってくる。日中戦争、日米戦争に関する本はこれまでも多くあるが、今回、飛行機に着目して、第一次大戦以降終戦までの歴史を捉え直した決定版ともいえる本が講談社現代新書から刊行された。『飛行機の戦争 1914-1945――総力戦体制への道』である。

戦前、そして戦時中に人びとは飛行機に何を託したのか。なぜ人びとは進んで飛行機にヒト・カネ・モノを提供したのか。著者一ノ瀬俊也氏にインタビューした。

『飛行機の戦争』はじめにはこちら→http://gendai.ismedia.jp/articles/-/52355

なぜ「飛行機の戦争」なのか

――2015年に『戦艦大和講義』(人文書院)、2016年に『戦艦武蔵』(中公新書)と、一ノ瀬さんは、近年、戦艦から戦争や昭和を捉え直す仕事をされてきました。

今回、現代新書から刊行した『飛行機の戦争 1914-1945』は、飛行機が主役です。なぜ飛行機をテーマにしたのでしょうか?

戦艦大和や武蔵は21世紀に入っても非常に人気があり、昨年武蔵が海底で発見されたときにも大きな反響がありました。前著で調べたかったのは、なぜそんなに人気があるのか、という単純な疑問への答えです。

わかったのは、戦艦大和と武蔵はいわば陰と陽の関係にあり、大和が悲惨な戦争に対する救いの面を、武蔵が救われなさの面を体現してきたということです。大和は吉田満『戦艦大和ノ最期』が描いたように、日本人が敗れて目覚めるための尊い犠牲扱いでしたが、武蔵にはそういう美しい物語はありませんでした。こうした物語の有無が、両者の人気の差となって現れています。

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左:戦艦大和、右:戦艦武蔵(Photo by creativecommons)

ところで戦艦について調べていくと、戦後の日本ではたしかに零戦(零式艦上戦闘機)などは人気がありますが、戦争自体は戦艦の戦争として描かれ、大和も武蔵も時代に取り残された悲劇の人物のような扱いをされています。ほんとうはこれはおかしいんですね。

戦前に書かれた海軍の解説書を読むと、これからの戦争は飛行機だ、みたいなことが普通に書いてあるし、実際の戦争も零戦など飛行機が主役でした。どうして飛行機の戦争が戦艦の戦争に書き換えられているのか、という疑問を解くためにこの本は書かれています。

――昭和の戦争というと、「大艦巨砲主義」という言葉を思い浮かべる人が多いと思います。時代遅れの戦艦に固執した結果、飛行機主体のアメリカに負けたというのが通説かと思いますが、実態はどうだったのでしょうか?

大和型戦艦の建造が計画された昭和初期、世界のどの一流海軍も「大艦巨砲主義」や「艦隊決戦」に固執していました。日本だけが古い頭の持ち主だったわけではありません。

ただ、単純に巨大戦艦を揃えた方が戦争に勝つという単純な考え方ではなく、「制空権下の艦隊決戦」なるスローガンが唱えられていて、戦艦に航空母艦を付けて飛行機を発進させ、敵の飛行機を撃滅して戦場上空の支配権(制空権)をとった方が上空の飛行機から戦艦の精密な射撃を誘導して敵戦艦を一方的に撃破できる、だからそうしたいという考え方で日米とも動いていました。

大和型は数の劣勢を強力な主砲で補うというコンセプトで造られた戦艦ですし、日本は戦艦の劣勢を飛行機で補うため陸上攻撃機と呼ばれる、洋上を長距離飛行して米艦隊を攻撃できる飛行機の開発にも力を入れていました。

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1938年3月に起工された戦艦武蔵(1942年8月の竣工後撮影):排水量6万9000トン、46cm砲三連装砲塔3基装備。(Photo by creativecommons)

太平洋戦争当初の日本海軍は米軍と互角の勝負を繰り広げましたが、これは戦前の航空戦力の蓄積が大きいです。ですから、日本だけが飛行機を軽視して戦争に敗れたという通説は当たらないと思います。

――第一次世界大戦時、ヨーロッパでは激しい航空戦がおこなわれました。このことは、日本の軍備にどのような影響を与えたのでしょうか。

日本の陸海軍はヨーロッパの戦場にまとまった軍事力を送ることはありませんでしたが、戦争や戦法の変化には大きな関心を持っていました。大勢の軍人が戦場を見に行ったり、総力戦や国家総動員についての研究をはじめました。そのなかで、飛行機が注目されます。

飛行機は単に戦場の偵察や爆撃だけではなく、敵国の都市爆撃にも使えるので、その飛行機から日本の都市をどう守るかが課題とされていきます。敵の飛行機を打ち落とすためにはこちらも飛行機が必要ですし、国土に侵入した飛行機を打ち落とすための高射砲もいります。こうした軍備の充実にはお金がかかるので、当時の陸軍は歩兵部隊をリストラし、浮いたなけなしのお金を飛行機や戦車といった機械化装備につぎこんでいきます。

一方、海軍は飛行機やそれを積む航空母艦の建造をイギリスにならって進めましたが、ただ空母が必要だから建造予算をくれといっても説得力が薄いので、日本を襲う米空母を撃退するにはこちらもはるか洋上に空母を繰り出して対抗するしかない、というロジックを使うようになります。

このように、陸海軍ともヨーロッパの航空戦をそれなりによく見ていて、なんとか追いつこうと苦心していたのです。

はじめは庶民の見世物だった

――ふつうの人びとが飛行機を知るきっかけにはどのようなことがあったのでしょうか。

見世物としての曲芸飛行でしょうか。当時は民間の飛行家が一種の見世物として曲芸飛行を各地で行いましたし、いろんな宣伝に飛行機が活用されました。1920(大正9)年の第1回国勢調査では飛行機からビラを撒くという宣伝が行われています。それから大正から昭和初期にかけて飛行機の墜落、操縦士の死亡事故が多く、人びとはそのニュースを興味本位で消費していた節もあるようです。

やがて満州事変のころになると全国各地方で人びとの募金により軍用飛行機を陸海軍に献納する運動が行われ、それを通じて人びとは飛行機の役割を教えられていくようになります。

――軍用機献納運動とはどのようなものですか?

満州事変ころにはじまった運動で、全国道府県の人びと、企業、青年団、婦人会といった各種団体、そして裕福な個人がお金を出して軍用機を陸海軍に献納するというものです。軍にとっては予算不足を補うという面もあるのですが、それに劣らず人びとに近代戦における飛行機の意義、役割を教えるという意味もありました。

――本書に登場する防空演習は、いつ頃からおこなわれたのでしょうか。

日本初の本格的な灯火管制をともなった防空演習は、1928(昭和3)年7月に大阪で行われ、有名な関東防空演習はその後の1933(昭和8)年です。近年の研究によれば、敵機の襲来に備えるという面もあるのですが、国民の意識を戦争や国家総動員体制に向かわせるという意図のほうがむしろ大きかったようです。

よく言われるのが関東防空演習で信濃毎日新聞主筆・桐生悠々が「関東防空大演習を嗤(わら)ふ」という社説を書いて軍を批判し、激怒した在郷軍人の運動によって退社に追い込まれたというエピソードですが、桐生の主張をよく読むと、敵機が都市上空に侵入してからあわてて高射砲を撃つ訓練をしているのは滑稽だ、洋上で撃退すべきだといっています。これは「敵機は海軍戦力を強化し洋上で撃破すべきだ」という海軍の主張と基本的に同じです。

これは近年の日本における、外国のミサイルから国土を守るにはJアラートのような緊急通報システムの整備では不十分だ、そのミサイル基地を先制攻撃すべきだ、という議論とも似ていますね。一般的には反骨の平和主義者扱いされている桐生ですが、そのような議論をしていたのは興味深いことだと思います。

――日中戦争では、航空機は成果を挙げたのでしょうか。

挙げたとも言えますし、挙げていないとも言えます。挙げたというのは、戦争当初に日本の陸海軍は中国軍の飛行機を撃滅して制空権を獲得、その後の地上戦を有利に進めることができたからです。空から中国軍を偵察・爆撃したり、その補給線を切断することができたからです。

挙げていないというのは、中国側が日本軍の入ってこられない奥地の重慶に首都を移転して日中戦争が泥沼化すると、日本軍は重慶を空から爆撃して降伏に追い込もうとした(※今日でいう戦略爆撃)のですが、結局中国側が日本の期待通り降伏することはなかったからです。戦術的には効果はありましたが、戦略的にはなかったといえます。

空軍の「殺し文句」

――少なくない若者が航空兵をめざしたのはなぜでしょうか。待遇はよかったのでしょうか。

当時は不景気で青少年の就職口が少なく、軍隊、なかでも危険なため給料のよい飛行兵は実際になれるかどうかは別として、あこがれの的ではありました。

軍としても近代戦には飛行機もさることながらそれを動かす優秀な操縦者が必要なので、好待遇を強調して若者の志願を募りました。1931(昭和6)年に長野県が海軍志願兵を募るために刊行した『信濃の海軍』という本がありますが、そこには飛行兵になって士官に昇進すれば月収は約200円、妻帯して立派な生活ができる、という殺し文句が書いてあります。

いわゆる普通のサラリーマンの月収が100円だったこの時代になかなかの好待遇が保証されていたわけで、こうした立身出世への欲求も、多くの青少年が軍の飛行兵を目指した背景と考えられます。

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真珠湾奇襲に向かう操縦士たち(Photo by gettyimages)

1930年に海軍は飛行予科練習生制度(15歳以上17歳未満の青少年を飛行兵とする)を創設しますが、翌年の採用者は志願者5807人に対して79名とかなりの高倍率でした。

――飛行兵のなかには、殉職するものもいたはずです。銃後の社会のなかに飛行機は怖いと思う風潮はなかったのでしょうか。

飛行機の発展途上だった大正から昭和初期にはかなりあったはずで、昭和に入ると飛行機が発達して事故も減ったから安全だと書かれた一般向けの軍事啓蒙書も書かれるようになっていきます。

――真珠湾奇襲では、飛行機が戦果を挙げたのだと思いますが、太平洋戦争を通じて、飛行機の役割はどのようなものだったのでしょうか。

広大な洋上で行われた太平洋戦争では、日米とも制空権を獲得して味方の輸送船団を安全に敵地へ送り届けることが重要になっています。

戦争後半、守勢に立った日本軍は点在する太平洋の島々に飛行機の基地を建設して米軍の船団を撃破しようとしますが、米軍は大量の航空母艦に飛行機を載せてこれを撃退しました。結果として日本軍は各地で米軍の上陸を許し、最終的には沖縄を失い、残るは本土のみというところで降伏に追い込まれます。

その他の役割は、都市爆撃です。米軍は1944年にサイパン、グアムなどの島々を占領しますが、目的の一つは日本の都市を焼き払い、日本の軍事工業を壊滅させるとともに国民の士気を低下させ、降伏に追い込むというものです。その最終形態が原子爆弾です。

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長崎に投下された原子爆弾(PPhto by gettyimages)

「玉砕」も「万歳突撃」もない

――太平洋戦争で、日本は飛行機の増産に乗り出します。どれくらいの飛行機が生産されたのでしょうか。

アメリカ合衆国戦略爆撃調査団の報告書『日本戦争経済の崩壊』は、飛行機の生産高として、1942年1万0236機、43年2万0243機、44年2万6364機という数字を載せています。

航空産業の雇用者数は41年12月の31万4300人が45年4月には125万8000人へと激増しており(下請けも入れると150万人を越えたとされる)、少なからぬ人々が飛行機生産のため働いていました。この点から見ても、太平洋戦争は戦艦ではなく飛行機の戦争だったはずです。

――松根油も採っていたそうですね。

戦争末期にガソリン不足を補うべく、松の根を乾溜して得られる松根油の生産が行われました。全国の人々が松の根を掘り返すという重労働を強いられましたが、得られた油はごく少量で、戦局挽回にはなんら寄与しませんでした。

――飛行機というと、特攻を思い浮かべる人も多いと思いますが、飛行機で玉砕していくという戦法はいつ頃生まれたものでしょうか。

大正期のいわゆる日米仮想戦記に日本の飛行士がアメリカの軍艦に体当たりするという描写があり、対米劣勢を補うためには飛行機で体当たりするしかないという発想自体はかなり古くからあったようです。この発想が航空特攻というかたちで実行に移されるのは1944年10月、レイテ沖海戦の時です。

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神風特攻隊(Photo by gettyimages)

当初は米空母の甲板を破壊して飛行機の発着を不可能にすればよいという発想で始まったようですが、予想よりも戦果が挙がったため、終戦まで継続されました。特攻で米軍将兵の命を奪い続ければ米国内の世論が転換して日本に有利な形での和平が実現するかもしれない、という希望的観測が特攻の継続された背景にありました。

――特攻に加えて、ゲリラ戦も行われていたと、著書の『飛行機の戦争』にありました。どのようなことがおこなわれていたのですか。

陸上での夜間斬り込み戦です。米軍に昼間、正面から立ち向かっても勝ち目はないので、夜間に少数で米軍の陣地を不意打ちし、引き上げるという戦法です。

日本軍といえば「玉砕」「万歳突撃」の印象が強いのですが、戦争末期の日本軍は玉砕をせず(国民の士気低下を恐れ、報道などでも玉砕という言葉の使用は控えたという研究があります)、フィリピンなどでは山に立て籠もって持久戦を行い、米軍に出血を強いて米国内世論の転換をまつという戦法に切り替えています。

――航空戦が拡大するにつれて、日本の社会はなぜ多くの未成年を含む若者を戦場に送ることができたのでしょうか。

明治以来の国家主義的教育における愛国心の鼓吹、戦争協力への同調圧力など複合的な要因があると思います。

――飛行機という観点から、あの戦争を捉え直した場合、日本はなぜ敗北したのだと思いますか?

質と量の両論からなる飛行機の生産能力において、米英に劣っていたからでしょう。

――いま、70年以上前の「飛行機の戦争」について考えるのには、どのような意味があるとお考えですか?

基本的には読者が判断することだと思います。ただ、戦前の日本ではこれからの戦争は飛行機だ、飛行機で戦争に勝てるという軍の宣伝はたくさんあったのですが、その飛行機の質や量を日米で比べるとどうなのか、という肝心なデータが軍機保護の名目で隠された結果、国民は正確な判断ができず、国が亡ぶ寸前まで追い込まれてしまいました。

秘密の保持は大事でしょうが、なんでもかんでも隠すのが当たり前だ、という風潮が広まると、また同じ間違いが繰り返されるのではないでしょうか。

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