「ポピュリズム」が絶対悪だと言い切ることはできない

「ポピュリズム」が絶対悪だと言い切ることはできない

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  • 更新日:2016/10/19

世界中に広がる「ポピュリズム」の流れ

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「ポピュリズム」が世界を席巻していると、巷間でよく語られている。アメリカでは共和党の大統領候補としてドナルド・トランプが指名された。イギリスでは国民投票によってEU離脱が決められた。フィリピンでは過激発言を繰り返して「フィリピンのトランプ」とも呼ばれるロドリゴ・ドゥテルテが大統領に就任した。

他にも、フランスでは移民制限と反EUを掲げる国民戦線が支持を伸ばし、党首のマリーヌ・ルペンが次期大統領の有力候補に挙げられていたり、オーストリアでは民族主義を掲げる自由党のノルベルト・ホーファーが大統領選挙で49.7%対50.3%という僅差の接戦を演じたりと、ヨーロッパでは民族主義的な右派政党の勢力が強まっている。

一方スペインでは、2011年に若者を中心として結党され、反緊縮や富裕層への増税、ベーシックインカムの導入などの政策を掲げる左派政党「ポデモス」が、総選挙によって350議席中71議席を獲得して第三党の地位を占めるようになった。
ギリシャでも反緊縮を掲げる「急進左派連合(SYRIZA)」が総選挙に勝利して、党首のアレクシス・チプラスが首相に就任した。アメリカでは、民主党の予備選挙で敗れはしたものの、ウォール街との対決姿勢を鮮明にして富裕層への課税強化や最低賃金の引き上げ等を訴える民主的社会主義者のバーニー・サンダースも多くの支持を集めた。

こういった人物や勢力の主張や発言は、過激で急進的なものである。だが、それは多くの民衆が抱えている本音でもあるのだろう。建前ばかりを言う現役の政治家に対して自分たちが感じている本音をズバリと言ってくれる姿に、現状に不満を抱えている多くの民衆は熱狂的に支持するようになるだろう。こうして、「ポピュリズム」が生まれる。

熱狂的な支持が集まる構造

「ポピュリズム」とは、一般的に大衆迎合的な政治のあり方のこととされている。民主主義の体制であっても、実際に統治に携われるのは少数の人間に限られてしまう。その少数の側になれるのは、エリートや既得権益を持っている家柄や集団の者である。

そういった少数の者は「エスタブリッシュメント」と呼ばれるが、体制に直接関わることができない社会の大多数の者たちは、「エスタブリッシュメント」だけが甘い汁をすすり、利益を守るために民衆を虐げているという感覚を常に持っている。そんな中で、腐敗して堕落した「エスタブリッシュメント」を攻撃する人物や団体が、時として熱狂的な支持を集めることとなるだろう。

難民や移民が押し寄せてくるヨーロッパ諸国の政府は、建前としては人道主義や寛容を掲げて難民や移民を受け入れてきた。しかし、その対策のための膨大な費用は自国民の税金で賄われる。異文化で言葉も違う群衆が大量に押し寄せてくることへの感情的な反発も生じるだろう。政府を運営する「エスタブリッシュメント」の建前に対して、民衆は感情的な本音で反発することとなり、右派的で民族主義的な政党や指導者を支持するようになる。

また、緊縮財政を強いられているスペインやギリシャ、格差が広がるアメリカでは、失業や貧困を強いられている立場から、無策な政府や、甘い汁をすすり続けて富を独占する富裕層への反発が高まることで、左派的な政党や指導者の支持が集まるようになる。

歴史を見れば、高い理想を掲げたワイマール共和国体制の中で苦境を虐げられた民衆が共産党やナチスを支持し、最終的にはナチズムとヒトラーを生み出したという事例もある。こういったことを考えれば、「ポピュリズム」が危険なものであることは確かだろう。

19世紀末のアメリカが掲げたポピュリズムとは?

だが、「ポピュリズム」は必ずしも全面的な悪であるとは言い切れない。民衆の不満が、時に社会改革の契機となることもあるからである。

アメリカ史において「ポピュリズム」という言葉は、19世紀末に「ポピュリズム」を掲げて西部と南部の農民を中心として支持を集めた「人民党(The People's Party)」によって行われた運動を指すこともある。

この19世紀末の「ポピュリズム」は、やがて20世紀初頭の「革新主義運動(progressive movement)」(市政や州政府を牛耳り腐敗や浪費を生み出していた政治マシーンの追放、マシーンやボスの拠点となっていた酒場を取り締まるための禁酒法運動、女性への参政権拡大など)や、1930年代の「ニューディール」へと継承されていくこととなる。

『アメリカの反知性主義』などの著作で知られる思想史家のリチャード・ホーフスタッター(1917~1970)は、『改革の時代――農民神話からニューディールへ』において、アメリカには小さな農場を持ち家族で助け合いながら耕作する独立自営農民こそが理想的な人間であり理想的な市民であるとする「農民の神話」があり、アメリカ人の思想を育ててきたと指摘した。

19世紀末には工業化と都市化、建国期とは異なる地域(南欧や東欧など)からの移民の流入によって、その神話と現実との乖離が大きくなっていく。一方、アメリカの農民たちは、新たな土地を求めて西ヘ西へとフロンティアを開発し続け、政府によって「フロンティア消滅」が宣言された1890年以後も、新たな農場を開発し続けていった。

そのような状況の中で、農民たちは「グレンジ」と呼ばれる互助組織を結成して、鉄道運賃や倉庫料を規制する法律を州レベルで制定させたり、複数の「農民同盟」を結成して実際に議会に多くの議員を送り込んだりするという運動を行ってきた。また、農場開設のために多額の負債を負っていた農民たちは、通貨量の増大を要求する政党「グリーンバッグ党」を支持した。

1880年代末に農業不況が到来すると、「グレンジ」「農民同盟」「グリーンバッグ党」そして初期の労働組合である「労働騎士団」などが一つにまとまり、1892年に「人民党」が設立される。同年7月の独立記念日に行われた第一回全国大会において採択された綱領では、次のような文句で「エスタブリッシュメント」への激しい怒りが表現された。

「腐敗は投票箱を、州立法部を、連邦議会を支配し、司法部の法服にさえ手を触れる」

「人類に対する共同謀議(金本位制の導入)が二大陸間(ヨーロッパとアメリカ)で行われている」

「二大政党を支配する勢力がこの恐るべき状態を抑止するための真剣な努力をせずに見逃してきたことを、われわれは非難する」

「二大政党を支配する勢力は、資本家、大企業、連邦銀行、トラスト、高利貸などの横暴を見失わせようとし、略奪された人民の叫びを押し沈めようと提議している」

「この共和国の政府を、その起源をなした階層、すなわち『平民』の手に回復することを、われわれは求める」

いまも昔も、ポピュリズムの危険性は変わらない

家族や小さな共同体で助け合ってきた農民たちは、農業不況によって苦境に立たされていた。一方、都市では個人主義的な営利主義が蔓延っていて、財閥が経営する鉄道会社や銀行が彼らを苦しめていたのである。アメリカにおける理想的な市民とされ、アメリカの中核を担っていると自負する農民たちは、都市や資本の抑圧に対する義憤を抱いていたのである。

そのため、「人民党」は政策として、累進課税制度の導入、鉄道、電信、電話の公営化、8時間労働などの当時としては急進的な政策や、人民投票、人民発議、リコールなどの直接民主制的な政策を掲げた。選挙に臨むと、「人民党」の大統領候補は有権者の9%にあたる約100万票を獲得し、上下両院に合わせて十数人の議員を送り込むことに成功した。

だが、「人民党」が掲げる「ポピュリズム」は二大政党の一角である民主党に取り込まれることとなる。1896年の大統領選挙の民主党全国大会では、不況とデフレの元凶と考えられていた金本位制に反対して銀貨の自由鋳造による通貨量の増大を政策に掲げた若干36歳のウィリアム・ジェニングス・ブライアン(1860~1925)が、「労働者に茨の冠をかぶせ、人びとを金の十字架(金本位制から生じる苦境)にかけるべきではない」と主張する、いわゆる「金の十字架演説」によって指名を勝ち取った。ブライアンの政策や考え方は「人民党」と近かったため、「人民党」も独自の候補を出すことなく、ブライアンを候補として指名した。

この1896年の大統領選挙では、急進的なブライアンに危機感を感じた大実業家たちから多額の選挙資金を得た共和党のウィリアム・マッキンリー(1843~1901)が僅差で勝利する。ブライアンはこの後も合計三回、大統領選挙を争ったもののいずれも敗れている。だがその後、1913年にウッドロウ・ウィルソン大統領(1856~1924)によって国務長官に任命され、累進課税制度、女性参政権、上院議員の直接選挙、禁酒法などの「革新主義運動」による改革の下地を作ることとなった。

その一方、「人民党」は民主党候補に相乗りしたことで存在意義がなくなり、その組織と支持層は民主党に吸収されることとなった。このことが、アメリカの民主党がリベラルな政策を掲げるようになったきっかけの一つともなっている。

とはいえ、19世紀末のアメリカにおける「ポピュリズム」には大きな負の側面も存在する。「人民党」の綱領にあるように、ポピュリストたちは大資本との対決姿勢を鮮明にしたが、大銀行や大企業などの資本はユダヤ人に握られているとして、陰謀論に基づく反ユダヤ主義に傾いていた。

また、「人民党」が黒人票を十分に獲得できなかったのは黒人の無知に由来するとしたポピュリストたちは、やがて激しい人種分離主義者となり、南部における「ジム・クロウ法」と呼ばれる人種差別的な諸法の制定を推進することとなった。

このような陰謀論や人種差別の他にも、ナショナリスティックな排外主義、知識人への反発、移民への恐怖など、現在の「ポピュリズム」が備えている性格の多くを備えていたのである。

何事にも利点と欠点、長所と短所があり、批判されることが多い「ポピュリズム」にもその両面がある。様々な形の「ポピュリズム」において表現されているのは、民衆にとって切迫した問題への、建前を抜きにした直接的で本音に基づく不満であろう。その全てをそのまま受け入れるわけにはいかないとしても、「人民党」の主張を取り込んだ「革新主義運動」のように、社会をより良くしていくための問題提示として受け入れていくことはできるのかもしれない。

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