函館に旅行するなら絶対行くべき! おすすめ人気観光スポット14選

函館に旅行するなら絶対行くべき! おすすめ人気観光スポット14選

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  • 更新日:2016/10/19
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北海道はどんな季節でも人気の観光スポット。大学生のみなさんも、北海道への旅行を一度は検討したことがあるのではないでしょうか。なかでも渡島半島南東部に位置する函館は、自然、歴史、グルメと見どころがたくさんあって人気の都市のひとつです。今回はそんな函館に旅行するなら絶対に訪れたい、おすすめの観光スポットについて紹介します。

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「五稜郭」は、江戸時代末期、江戸幕府によって現在の北海道函館市)郊外に建造された稜堡式の城郭です。星形の城郭は、中世ヨーロッパで普及していた形で、防御側にとっての死角が少ないなどの利点がありました。建設途中で財政難に陥り、一部の計画変更を余儀なくされましたが、この大工事には最盛期で5、6千人の人夫が携わり、箱館は大いに繁栄したそうです。函館山の麓に置かれた箱館奉行所の移転先として築造されましたが、1866年(慶応2年)の完成から2年後に幕府が崩壊。箱館戦争で旧幕府軍に占領され、一時その本拠にもなりました。

明治期には、陸軍の練兵場として使用されていましたが、その後、1914年(大正3年)からは五稜郭公園として市民に一般開放が実現しています。この時、函館毎日新聞が発行1万号を記念して、10年かけて数千本のソメイヨシノを植樹。この桜は現在も約1,600本が残っており、五稜郭は北海道内有数の花見の名所となっています。

1925年(大正11年)には史蹟名勝天然紀念物保存法に基づく史蹟に指定され、戦後に文化財保護法が制定されると、1952年(昭和27年)に特別史跡に指定されました。戦後になってからは、北洋漁業再開記念北海道大博覧会の会場に使われたり、発掘調査・復元工事が行われる以前には中広場で地元の運動会や夏季の林間学校などが行われ、また、お堀の水質がよかった頃にはプールやスケートリンクとして使用されたこともあったそうです。現在では、「五稜郭と箱館戦争の遺構」として北海道遺産にも選定されています。

■住所:北海道函館市五稜郭町43-9
■交通:市電「函館駅前」〜「五稜郭公園前」下車、徒歩で約15分
http://www.goryokaku-tower.co.jp/

◆函館山

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「函館山」は、函館市の市街地西端にある山ですが、陸続きの島でもあります。標高334m、周囲約9km。牛が寝そべるようにも見えることから、「臥牛山(がぎゅうざん)」とも。また、展望台のある御殿山(334m)、薬師山(252m)、つつじ山(306m)、汐見山(206m)、八幡山(295m)、水元山(280m)、鞍掛山(113m)、地蔵山(286m)、入江山(291m)、エゾダテ山(129m)、観音山(265m)、牛の背山(288m)、千畳敷(250m)の13の山々の総称でもあります。

その成り立ちは、約100万年前に海底火山の噴出物が土台となり、そこから噴火を繰り返して大きな島の広がりになり、約5000年前には渡島半島と陸続きとなりました。 函館市の中心街はこの砂州の上にあることになります。かつて、「函館山」には、要塞地帯法(明治32年法律第105号)により7年ほどかけて1905年までに砲台や発電所、観測所など17の施設が「津軽要塞」として建設されました。そのため、一帯は軍事機密に一般人の入山や函館山の写真撮影も厳しく制限されています。

第二次世界大戦終結以後、「津軽要塞」は解体され。翌1946年10月に函館山は一般市民に再び開放されることに。1948年に函館市はこの一帯326.6haを都市計画法に基づく都市計画緑地「函館山緑地」と認定。戦後は夜景の名所として全国的に有名な観光地となりました。約半世紀もの間、立ち入りが禁止されてきたので、一帯の自然が守られ、絶滅寸前といわれるエゾヒキガエルなども函館山に生息しています。

展望台からの眺めは、特に夜が美しく、神戸の摩耶山掬星台および長崎の稲佐山とともに「日本三大夜景」ともなっています。また、ミシュランガイドブックでは「極上の眺望」で三つ星として載っていることでも有名です。

■住所:北海道函館市函館山
■交通:函館空港から タクシー、車で30分
http://www.334.co.jp/jpn/

◆金森赤レンガ倉庫

1988(昭和63)年4月に函館のベイエリアにオープンした、函館の代表的な観光スポットといえば、「金森赤レンガ倉庫」。ここには、土産物や雑貨などを扱うショップなどによる一大コンプレックスが形成されており、地域一帯は重要伝統的建造物群保存地区、街並みは北海道遺産にも選定されています。倉庫群はテーマによって(1)「函館ヒストリープラザ」、(2)「金森洋物館」、(3)「BAYはこだて」と3つのエリアに分かれていますが、ここはかつて大分県出身の実業家、初代渡邉熊四郎が明治時代に開業した「金森洋物店」が起源。赤レンガ倉庫倉庫群は今から100年以上前に建てられたもので、壁面にある「曲尺(かねじゃく)」に「森」のトレードマークは、その開業時の商標の名残です。

(1)「函館ヒストリープラザ」には、当時の面影を残したまま利用したガラスミュージアムショップ「函館浪漫館」があり、明治の浪漫を感じさせてくれます。

(2)「金森洋物館」は、ヨーロッパの生活文化がテーマ。広大な館内には、金森倉庫の形をしたパッケージに入ったクッキー、チーズオムレット、北海道産牛乳で作ったミルクジャムなどのお店、またインポート品、生活雑貨、アンティーク品などのお店があります。

(3)「BAYはこだて」は、1882(明治15)年ごろに築造された掘割沿いにあり、チーズケーキ・メルチーズの販売店、オルゴールの専門店、函館近海で獲れたイカの墨で染めた製品が並ぶお店などがあります。

館内外には『函館ビヤホール』、『はこだてミルク工房』、『ベイサイドレストラン みなとの森』などもカフェやレストランも。ほかには季節に応じた多彩なイベントもあり、函館市民や観光客を飽きさせることがありません。

■住所:北海道函館市豊川町11番5号
■交通:JR函館駅より徒歩15分
http://www.hakodate-kanemori.com/facilities/

◆八幡坂

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コマーシャル撮影やドラマでのロケハンの担当者に聞くと、具体的な風景もさることながら、大切にしたいのは、やはり、その場にしかない「空気感」だという答えが返って来たものです。その選択基準からいっても、おそらくトップレベルに入るであろう場所が、ここ函館にはあります。それは、「八幡坂」。傾斜の急な、まっすぐで幅広な斜面が270メートルほど続いています。坂の下から上まで登り切るには、かなりな苦労。サンフランシスコのようにケーブルカーが欲しいところです。下りる方も前のめりに転ばないよう注意が必要なほどですが(両歩道脇には、坂上まで手すり付きの階段が整備されています)、そこからの函館湾の眺めが素晴らしいと誰もが大絶賛。

登って行くと、突き当たりには、演歌歌手・北島三郎の出身校、函館西高校。さらにその先に見えるのは函館山。下っていく側からの景色では、ま正面に函館湾に記念館として港に係留展示されている青函連絡船・摩周丸が見え、坂を下りたあたりは赤レンガ倉庫が建ち並ぶウォーターフロント。観光客などにとっては、そうした見どころも、このまわりにはいっぱいあるので、そのワクワク感がなおさらに坂の美しさを際立たせてもいるのかもしれません。

函館山からの夜景と並んでベスト・ビュースポットとして紹介されることも多い「八幡坂」。その名の由来は、かつてこの坂を登り切ったところに函館八幡宮があったため。別名として、以前CMで年配の夫婦が手をつなぎながらスキップするシーンがここで撮影されたことから「チャーミーグリーンの坂」とも呼ばれています。

■住所:函館市末広町
■交通:市電 「末広町」電停下車徒歩1分
http://www.hakobura.jp/db/db-view/2010/09/post-17.html

◆函館ハリストス正教会

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「函館ハリストス正教会」は、ロシア正教会の聖堂です。1858年(安政5年)に函館にまず日本初のロシア領事館が置かれ、その翌年の1859年(安政6年)、初代ロシア領事、ゴシュケヴィツチが現在の教会所在地にロシア領事館の敷地を確保。その領事館の附属聖堂として1860年(安政7年)に建てられた「主の復活聖堂」が日本で最初と位置づけられます。

初代司祭はすぐに帰国しましたが、翌1861年に来日した修道司祭(役職当時)の亜使徒聖ニコライ(ニコライ・カサートキン)によって、1868年(慶応4年)、函館において最初の日本人三名の洗礼が行われ(パウエル澤辺琢磨、イオアン酒井篤礼、イアコフ浦野大蔵)、それが日本でのロシア正教会の原型となりました。一時はキリスト教の禁制の時代もありましたが、明治に入ってからはその禁制も解け、それからは順調に正教会伝道が行われました。

1907年(明治40年)には、函館の大火で最初の建物は焼失しましたが、1916年(大正5年)には現在のロシア風ビザンチン様式の聖堂として再建されています。1882年(明治15年)には管轄司祭として初めて日本人の司祭ティト小松韜蔵が着任し、次第に日本の正教会として根付いていくことになりました。1983年には国の重要文化財にも指定されています。

聖堂は、レンガ造りの建物の壁は白色の漆喰塗で仕上げられ、緑色の銅板を用いた屋根には冠型をしたクーポル(ドーム状の小塔)が6つ。そのそれぞれには十字架が添えられています。正面玄関上にそびえる八角形の鐘塔に現在取り付けられている鐘は現在5代目。市民には、鐘の音から「ガンガン寺」の愛称で親しまれ、その鐘の音は1996年(平成8年)、環境省「残したい日本の音風景100選」に選ばれました。

■住所:北海道函館市元町3-13
■交通:市電「十字街」電停下車徒歩15分
http://orthodox-hakodate.jp/

◆旧函館区公会堂

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函館市元町、函館港を見下ろす高台に建つ旧函館区公会堂は、明治43年(1910年)に建てられたコロニアルスタイルの歴史的建造物。昭和49年には国の重要文化財に指定されておりブルーグレーとイエローの外観の配色がゴージャスな雰囲気です。

歴史をたどると‥‥‥明治40年(1907年)の大火で、町会所が焼失。新たな集会所の建設に地元の豪商、相馬哲平が50,000円の寄付を申し出、明治43年(1910年)、工費58,000円余りで完成したのがこの建物です。当初、ここでのホテル営業も構想されましたが実現していません。明治44年には大正天皇が皇太子殿下として行啓の際、ここに宿泊され、館内は貴賓室や130坪の大広間など、当時の華やかな雰囲気をそのままに残しています。札幌の豊平館と並び、明治期の洋風建築として典型的なものと言えるでしょう。

左右対称のポーチの袖妻には唐草模様。玄関や回廊を支えるコリント式の円柱の柱頭には洋風の装飾。和様混交のバランスも見事です。本館の延べ床面積は1,761.308平方メートル(533.73坪)。付属棟は138.815平方メートル(42.06坪)の広さがあります。ここで、観光客などに嬉しいのは、「ハイカラ衣裳館」で好みの歴史衣装が借りられ、さらに美容師が、貸し出される衣裳に合わせたヘアスタイルを整え、ポイントメークも施してくれること。ドレスに合うティアラ・ネックレス・イヤリングなどのアクセサリーも借りられます。函館観光の思い出に、広大なダンスフロアで、明治の令嬢になりきってみるのも一興です。

■住所:函館市湯川町1-32-1
■交通:市電 (函館駅前電停→函館どっく前行き)「末広町電停」下車 徒歩7分
http://www.zaidan-hakodate.com/koukaido/

◆はこだて明治館

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1911年(明治44年)に函館郵便局として建てられた赤レンガの重厚な建造物が、戦争・大火を耐え抜き、函館の歴史を語る建造物として今日に至るまでその原型を昔のままに残しています。

現在の「はこだて明治館」の建物は、1911年(明治44年)に完成した旧函館郵便局舎でした。局舎移転により、1962年(昭和37年)に建物自体は民間に払い下げられることになり、商社の事務所・倉庫などに再利用された後、1986(昭和61)年にショッピングモール「はこだて明治館」へと生まれ変わりました。函館郵便局の方は移転した後に名称を中央郵便局と変え、今も函館市民の生活を支えています。

この建物のトレードマークは、外壁を這うように伸びるツタ。春から夏にかけては、葉の緑とレンガの赤が鮮やかな対比を、葉の落ちた冬には鮮やかなレンガの赤が際立ちます。
個性的な半円形のアーチ型の窓枠や正面破風部分の装飾など、細部にまで趣向を凝らしたデザインの外観は昔と変わっていませんが、建物の中は大きく変わって、現在はオルゴールやガラス製品・ガラス工房と土産物・雑貨などのショッピングモールに。特に、ガラス製品ではサンドブラストの体験工房があったり、オルゴールも部品を自分で組み立てたりと製作体験できるコーナーが人気。旅の体験の中で、自らの手で作り上げた一品モノは、旅のいい思い出にもなります。

■住所:函館市豊川町11番17号
■交通:市電「十字街」にて降車後、徒歩約2分
http://www.hakodate-factory.com/meijikan/

◆土方歳三の碑

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新撰組副長の副長、土方歳三は、鳥羽伏見の戦いの後、新撰組を率いて各地を転戦しながら北上。江戸開城の後、仙台にて旧幕府海軍副総裁の榎本武揚が指揮する脱走軍艦隊と合流し共に蝦夷地を目指します。1868年(明治1年)10月に蝦夷地(北海道)に上陸した榎本軍は、箱館を占拠して新政権を樹立するに至り、土方は陸軍奉行並の要職につきました。そして、翌明治2年4月、敵、新政府軍の箱館総攻撃により、榎本軍は各地で敗退してしまいます。しかし、約300人の兵で新政府軍800人を撃退した箱館戦争で最も激戦と言われた二股口の戦いでは、土方歳三が司令官として二股口(現北斗市)を守り抜き、最後まで落ちませんでした。

ところが、同年5月11日、新政府軍の箱館総攻撃が始まり、ついに箱館も新政府軍によって陥落。弁天台場が包囲され孤立したため、土方は、約50名の兵を率いて出陣します。その時、折悪しく、土方歳三は、一本木関門で新政府軍と鉢合わせ。必死に応戦したのですが、銃弾に倒れてあえなく絶滅しました。

当時の一本木関門場所が若松町とされたことから、若松小学校敷地内に碑が建てられ、その後、地区の開拓により若松緑地公園に移設されています。公園の一角には、小さな庭園のような場所があり、そちらに土方歳三最後の地碑と一本木関門が残されています。毎年慰霊祭が行われ、熱心な土方歳三ファンたちが今も数多く訪れます。

■住所:北海道函館市若松町33
■交通:JR函館駅より徒歩15分
http://www12.plala.or.jp/k-hirao/kankou/27_21.html

◆函館博物館郷土資料館

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明治から昭和にわたり、未曾有の大火を経験してきている函館。明治11(1878)年、12年と相次いでの2度にわたる大火では、ほとんどの市街全域と言っていいほどの地域を失っています。それに対し、開拓使は、市街地域の区画整理事業と不燃質家屋の奨励に踏み切りました。明治12年の2度目の大火で被災した初代渡辺熊四郎もさっそくその施策に応じています。翌年11月に開店させた洋風不燃質店舗「金森洋物店」がそれ。

この建物には、開拓使、茂辺地煉瓦石製造所の煉瓦を使用しています。その当時の「金森洋物店」は、舶来製の小間物、雑貨品を取り扱っていました。大正14年(1925年)まで金森洋物店として使用されていた建物は、昭和38年、北海道指定有形文化財指定。昭和44(1969)年からは「市立函館博物館郷土資料館」として使われていましたが、すでに100歳以上という建物は老朽化が著しく、平成10年(1998年)から休館して修復が加えられることに。2年後の平成12(2000)年10月1日には、明治13年の建設当時の形に限りなく近い形に復元され、新たに「市立函館博物館郷土資料館(旧金森洋物店)」という名称でリニューアル・オープンしています。

館内の展示は「明治時代の函館のハイカラ文化」がテーマ。入口付近にある1台のオルゴールは、1892(明治25)年に金森洋物店創業者の初代渡辺熊四郎が欧米漫遊旅行時に、イタリア・ジェノバで購入したスイス製のものです。他にも、明治時代の店の繁栄をわかりやすく紹介したジオラマ、明治の商場、帳場の様子の資料、ロウ管式蓄音機、アイスクリーム製造機、ドイツ人が使用していたストーブなど、貴重なものがいろいろ。現在では、北海道で最も古い開拓使による家屋改築施策の記念物として、北海道指定有形文化財となっています。

■住所:北海道函館市若松町33
■交通:函館空港タクシー乗り場から郷土資料館まで約10km(所要時間約25分)
http://www.city.hakodate.hokkaido.jp/docs/2015022500023/

◆中華会館

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北海道函館市にある歴史的建造物「中華会館」は、1906年12月8日に最初、洋館風の建物として建設されたのですが、翌年、函館全域を見舞った大火で焼失してしまいます。その3年後の1910年、その同じ場所に、現在の関帝廟形式の「中華会館」は改めて造られています。その二代目の「中華会館」は、初代の洋館風とは異なり、日本国内で唯一現存する清朝末期の建築物。中華街で有名な横浜や神戸の中華会館は、太平洋戦争で失われて戦後に再建されたものですが、この函館のものは、建築当初の姿をそのまま残す国内唯一の「中華会館」。国の登録有形文化財及び函館市景観形成指定建造物にも指定されています。

「中華会館」の建築には中国から招かれた技師と職人が設計を担当。建築にあたっては、中国人大工8人、上海からの彫刻師2人、漆工5人のほか、日本人の大工、左官、鋳物工らが集められました。そして、壁に赤レンガを使用し、釘を一本も使わない清朝末期の建築様式統工法に基づいて、3年の歳月を費やして竣工したのでした。

会館内の貴重な美術品に加え、木材の大部分や祭具、イス、テーブルなどの備品は全て中国から運び込まれており、清朝末期の中国文化をそのままに今に伝えてくれていますが、現在は入場者の減少や建物の老朽化などを理由に一般公開を休止中。期間限定で公開されたこともありますが、外観のみ見学可能となっています。

■住所:函館市大町1-12
■交通:市電 「大町」電停下車徒歩3分
http://www.hakobura.jp/walk/post-134.html

◆函館市旧イギリス領事館(開港記念館)

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以前のイギリス領事館は、函館が国際貿易港として開港した1859年(安政6年)年からアメリカ、ロシアに次いで函館では3番目に活動を開始していました。当初はまだ現在の弥生小学校付近にあった称名寺内に建てられた仮設の建物でした。

1863年(文久3年)に現在のハリストス正教会(函館市元町3)付近に新築した後は、幾度かの大火に見舞われ、今のこの地に再建。現在の建物は1913年(大正2年)にイギリス政府工務省上海工事局の設計によって建てられ、1934年(昭和9年)に閉鎖されるまで領事館として使用されていました。その後、1979(昭和54)年には函館市の有形文化財指定。1992(平成4)年の函館市市制施行70周年を記念して復元し、この年から「開港記念館」として一般公開をしています。さらに、2009(平成21)年の開港150周年を機に、館内をリニューアルして同年3月にオープン。

そこからは、体験型展示を重視し、展示室のうち、領事執務室と家族居室は3代目領事リチャード・ユースデン氏が使用していた当時を再現。椅子にかけたり、調度品に直接触れることもできるようにしています(一部を除く)。ユースデン氏は、函館公園(同市青柳町17)の造成を提唱するなど、函館の町づくりにおおいに尽くした人物でした。館内では、ペリー来航の歴史をパネルで学べるほか、天井がガラス張りの開港記念ホールには、ペリーのたどった航路や世界地図を描いたカーペットも見られます。また、1階のティールームには、本場イギリスの紅茶や焼き菓子などもあります。

■住所:函館市元町33-14
■交通:市電「末広町」電停下車徒歩5分
http://hakodate-kankou.com/british/

◆恵山

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恵山は、標高618mの、新第三紀緑色凝灰岩層を基盤とする外輪山熔岩と、円頂丘熔岩とからなる二重式火山です。渡島半島の東南端で太平洋に突き出すように位置する気象庁の「常時観測対象」の活火山です。山頂には三等三角点(点名「恵山」)が設置されており、恵山道立自然公園に指定されているほか、新日本百名山、北海道百名山にも選ばれている風光明媚な山です。

恵山は、はじめにからあった成層火山の山頂部に、大爆発によって大きな火口原が形成されました。その火口原にさらに安山岩質の溶岩ドームが押し出され、現在の姿になりました。溶岩ドームにより閉じ込められたガスは火口原に小火口をいくつか開け、飛ばされた火山岩が「賽の河原」とも呼ばれる火口原の景観を形作りました。その鬼気迫る景観も手伝って恵山は昔から霊場として信仰されています。

また恵山では、火山としては比較的新しく、土壌が未発達なこと、噴火湾に突出した形で位置しているため海霧の影響が強いことなどから、低標高にもかかわらず数多くの高山植物が見られます
主なものとして、イワカガミ、ウラジロタデ、エゾイソツツジ、オオバノヨツバムグラ、オヤマリンドウ、ガンコウラン、クルマユリ、コケモモ、ゴゼンタチバナソウ、コメバツガザクラ、サンカヨウ、ショウジョウバカマ、シラタマノキ、ハクサンチドリ、ヒメスギラン、マルバシモツケ、ミネズオウ、ヤナギランなど。山麓一帯には、5月から6月には60万本ともいわれるエゾヤマツツジやサラサドウダンの花々が咲き乱れ、山裾が真紅に染まるほどです。

■住所:函館市柏野町
■交通:JR函館駅から車で1時間
http://www.pref.hokkaido.lg.jp/ks/skn/environ/parks/esan.htm

◆朝市

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函館の朝市は、戦後の闇市がその起源ですが、ここは、日本で最も古い市場のひとつに数えられます。昭和20年頃には函館駅前広場の片隅で立ち売りを路上で設営。露店の形態で営業していたといいます。昭和31年ごろには現在の場所に移転。魚介類、野菜類、乾物から衣料品まで、400軒あまりもの店舗がひしめきあっていたそうです。近年は昔ながらの風情を残しながら改修も行われ、かわらぬ人気を誇ります。

場所は、JR函館駅西口徒歩1分。函館空港からは、JR函館駅行きのシャトルバスで約20分という近さ。夏には朝の5時・6時から開く店もあるので、函館に着いたら、まずここで朝ごはんという人も多いとか。なかでも人気の食事スポットは「函館朝市どんぶり横丁市場」。ここには海鮮丼を提供する食堂10店以上が軒を並べます。2005年春のリニューアルオープン以来、冬期や悪天候でも大丈夫と好評。中央には無料休憩スペースもあり、団体客などの待ち合わせにもよく利用されています。

出店店舗の内訳では、「函館朝市」の信用と秩序を保つ連合会推奨店看板の「あさいっちゃん推奨店看板(あさいっちゃんマーク)」を掲げる連合会員、および渡島蔬菜農業協同組合加盟店の約150店舗、 函館朝市協同組合連合会約160店舗(4法人・3任意組合・1株式会社・7個人) 渡島蔬菜農業協同組合、あさいっちゃん会、その他周辺店舗を合わせて約280店舗。2011年3月11日の東日本大震災では津波被害で大半の店舗が被災したものの、市民ボランティアの支援で、早くも4月1日には営業を再開しています。

■住所:函館市若松町9-19
■交通:函館市電函館駅前駅から徒歩1分
http://www.hakodate-asaichi.com/

◆トラピスチヌ修道院

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北海道函館市郊外にあるトラピスト会(厳律シトー会)系の女子修道院「トラピスチヌ修道院」というのは「天使の聖母トラピスチヌ修道院」の通称。「天使園」とも呼ばれる日本最初の観想女子修道院です。もちろん男子禁制なのは言うまでもありません。本国フランスで、修道規律の改革が起きたとき、ノルマンディー地方にある「トラップ修道院」の厳しい規律に従ったシトー修道会のグループを「厳律シトー修道会」、修道院の場所の名を取って「トラピスト(女子はトラピスチヌ))と呼んでいました。

この「トラピスチヌ修道院」は、1898年(明治31年)、フランスから派遣されたカトリックシトー会の8人の修道女によって創立されました。現在も修道女たちが厳格な戒律のもと、自給自足の生活を送っていることで知られています。

聖堂内部の見学はできませんが、一部は一般向けに開放されており、修道院の歴史を紹介する資料展示室を見学することができます。修道院内には売店もあり、修道女が作る添加物を使用しないマドレーヌやクッキー、バター飴などがはとても美味しいと評判。多くの観光客がお土産に買って帰るほどです。場所は函館駅から少し遠くにあり、本数は少ないもののバスなどでも行けます。静謐な空気を漂わせるこの一帯は、日本とは違う雰囲気さえ感じます。しばらくいるだけで心が洗われるようです。

■住所:北海道函館市上湯川町346
■交通:JR函館駅よりバス約30分 湯川団地北口下車徒歩約15分
http://www.hakobura.jp/db/db-view/2010/04/post-49.html

◆青函連絡船

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今でこそ、青函トンネルがあり、本州−北海道間はクルマやバス、鉄道で移動できますが、そのトンネルがなかったころ、「青函連絡船」は、1908年(明治41年)から1988年(昭和63年)までの間、青森県の青森駅と北海道の函館駅との間を結んだ日本国有鉄道(国鉄)・北海道旅客鉄道(JR北海道)の航路(鉄道連絡船)でした。本州・北海道を結ぶ動脈の役割を担っていた青函連絡船は、1971年〜73年頃(昭和46年〜48年頃)にピークを迎え(貨物855万3033トン・1971年(昭和46年)、旅客利用者498万5695人・1973年(昭和48年)、それ以降は貨物も利用客も次第に減少。航空機とフェリーの利用が次第に増え、また、国鉄の鉄道利用客(旅客と荷主)の減少などの要因により「国鉄離れ」の加速は止まらず、「青函連絡船」の末期には閑散としていました。

そして、1988年(昭和63年)3月13日の青函トンネルの開通に伴って、同日をもって青函航路の通常運航は終了。青森 - 函館間の連絡は青函トンネルにバトンタッチされる形となって、「青函連絡船」は津軽海峡から姿を消します。「青函連絡船」最後の日まで運航していた摩周丸は、今では、その実際の乗り場であった旧函館第二岸壁に係留・保存して公開。操舵室(船橋)・無線通信室が当時のままに見学できるほか、前部グリーン船室も展示室に改装され、実物部品や模型等の展示、パネル・映像などで青函連絡船の歴史やしくみが詳しく分かるようにしてあります。

また、1964年8月12日に就航した八甲田丸は歴代の青函連絡船55隻のなかで23年7か月と現役期間が最長。青函連絡船の最終航行船の大役も務め、現在は青函連絡船メモリアルシップとして当時の桟橋付近に係留展示されています。

■住所:北海道函館市若松町12番地先
■交通:JR函館駅から徒歩4分
http://www.mashumaru.com/

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