オールド野球ファンならば知っている...この時代に思い出してほしい昭和のスワローズ・八重樫幸雄「黄金伝説」!

オールド野球ファンならば知っている...この時代に思い出してほしい昭和のスワローズ・八重樫幸雄「黄金伝説」!

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  • 更新日:2017/08/24
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ヤクルトひと筋47年“伝説の翔燕”八重樫幸雄氏

「なぜ今、ヤエガシ特集なの!?」と思った読者の方には、逆にこう問いたい。「あなたの中のヤエガシは今、本当に足りてますか? 間に合ってますか?」

天性の素質、朴訥(ぼくとつ)な人柄、努力する才能、度量の広さにオープンハート…。“NO OPEN, NO LIFE”--今、日本人に最も必要なもの、それはヤエガシなのだ!

* * *

八重樫幸雄(やえがし・ゆきお)――。

オールド野球ファンならば、すぐにシルバーフレームの眼鏡をかけた彼の朴訥(ぼくとつ)な笑顔やあの独特なオープンスタンスが頭に浮かぶことだろう。

1969(昭和44)年のドラフト1位でプロの世界へ。以来、昨年までの47年にわたって、ヤクルトひと筋の野球人生を送り続けた。終身雇用制度がとっくに崩壊した現代において、個人事業主の集団であるプロ野球選手が47年間も同一企業に所属し、65歳まで己の仕事をまっとうしたのだ!

23年間の現役生活で放ったヒットは773本。全盛期のイチローならば3年で打てる数字だ。超一流選手ではなかったが、彼はユニフォームを着続けた。それは決して処世術に長けていたからではない。人柄はもちろん、天性の素質、努力する才能を兼ね備えていたからである。

ここに知られざる「八重樫黄金伝説」の数々を紹介したい。混迷の時代をサバイブするためのヒントはここにある!

【黄金伝説1】東北球界を代表する伝説の名プレーヤー!

仙台商業高校時代から、その豪打は東北全土に知れ渡り、「東北球界始まって以来の大型捕手」と評された八重樫は69年ドラフト1位でヤクルト(当時アトムズ)に。ちなみに、同年のドラフト7位では終生のライバの大矢明彦が入団している。当時の評価では八重樫が1位、大卒の大矢が7位だったのだ。このとき八重樫が手にした契約金1000万円、年俸144万円は、当時の高卒選手の上限額。チームの期待の高さがうかがい知れる。さらに八重樫は「金には頓着しない」と全額を両親にプレゼント。

当時の八重樫は俊足好打のスリムな青年。その抜群の身体能力を生かすべく、当時の首脳陣はショートへのコンバートを真剣に検討していたという。

【黄金伝説2】一本足打法をすぐにマスターした打撃の天才

世界の王貞治に一本足打法を伝授したことで知られる荒川博が、ヤクルトの打撃コーチに就任したのが73年のこと。すぐに八重樫の才能にほれ込んだ荒川は「徹底指導をする」と宣言。当時若手だった杉浦享と共に、荒川の自宅、通称「荒川道場」で猛特訓を開始する。パンツ一丁で真剣を握り、天井からぶら下げられた短冊や、わらの束を一本足でひと太刀。あの王でさえも「バットとは勝手が違って難しかった」と語る過酷な練習にもかかわらず、八重樫は「アレは簡単に切れるよ。意外とラクだったよ」とアッサリ。そののみ込みの早さに荒川も驚きを隠せなかったという。

【黄金伝説3】寝るときもバットを手放さない練習と努力の鬼

荒川コーチが監督になってからも、八重樫は朝から晩までバットを振り続けた。早朝練習から始まり、試合前練習、試合後には夜間練習。

「むしろ、試合中のほうが守備の間に休めた気がするよね」

手のひらはマメだらけ。一度バットを手放すと痛みがつらく、ずっとバットを持っていたほうが痛みは少なかったとか。寝るときもバットを手放さなかったという。

「あの頃、死ぬほどバットを振ったから、40歳を過ぎても速球に力負けしなかったんだと思う」

若き日の努力は、決して裏切らないのである。

【黄金伝説4】眼鏡用捕手マスク開発の生みの親

80年代前半、神宮球場の電飾広告によって乱視となった八重樫は、当時としてはタブーとなる「眼鏡の捕手」としてプレーする道を選択。当時のキャッチャーマスクは眼鏡をかけて装着することは想定されておらず、既存のものでは使用できなかった。そこで八重樫はスポーツメーカーとともに、現在では主流となった「眼鏡用マスク」を開発。彼の努力と苦労があればこそ、後に「眼鏡の大捕手」古田敦也が誕生することとなった。八重樫こそが、古田飛躍の大なる功労者なのである。

【黄金伝説5】天才・落合博満に打撃の極意を伝授

眼鏡をかけてプレーすることになった八重樫は「眼鏡対策」を求められることとなった。というのも、当時の眼鏡は現在のようなスポーツタイプのものではなく、あくまでも視力矯正器具。そのため、投球がフレームの外にはみ出てしまうと、球筋を見失うことになり、もはやお手上げ状態。そこで考案されたのが、あのオープンスタンスだった。足を開いて構え、投手と正対することによって眼鏡問題を解消したのだ。

「投手は内角を投げづらくなったようだし、ボールはよく見えるし、一石二鳥だった」

さらに八重樫は言う。

「落合博満の『神主打法』ってあるでしょ? あれはオレのオープンスタンスをかなり参考にしていると思うよ」

なんと通算2371安打の大打者に影響を与えていたとは! やはり、天才は天才を知るのだ。

◆明るく、家族的なことから「ファミリー球団」ともいわれる東京ヤクルトスワローズ。その独特のチームカラーの正体を掘り下げ、多数のレジェンドOB、現役選手、首脳陣らを取材した単行本『いつも、気づけば神宮に』は絶賛発売中!

◆後編では、まだある“八重樫黄金伝説”の紹介に加え、7月15日に『週プレ酒場』にて開催された『いつも、気づけば神宮に』出版記念イベントでの八重樫幸雄氏を直撃インタビュー!

(取材・文/長谷川晶一 写真/下城英悟)

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