斉藤和巳が松坂世代に抱いたジェラシー「20勝してもまだ足りない」

斉藤和巳が松坂世代に抱いたジェラシー「20勝してもまだ足りない」

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  • 更新日:2019/05/23

負けないエース・斉藤和巳が歩んだ道(2)

斉藤和巳は2003年、26試合に登板して20勝3敗、防御率2.83という驚異的な数字を残した。球数を意識しながらも、完投が5試合もあった。4月4日のファイターズ戦で初完投勝利を挙げると、8月13日にはロッテ戦で初完封勝利もマーク。シーズンが終わった時には、プロ入り最多の194イニングを投げていた。

その年は最多勝、最優秀防御率、最高勝率のタイトルを獲得。ベストナイン、沢村賞にも選ばれている。チームは82勝55敗3分、勝率5割9分9厘でリーグ優勝を果たし、日本シリーズではセ・リーグ覇者の阪神タイガースに4勝3敗で競り勝った。

前年の4勝から斉藤が大躍進を遂げた陰には、1998年の甲子園を沸かせた「松坂世代」の存在があった。

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2003年に20勝を挙げ、チームの日本一に大きく貢献した斉藤

【まばゆい存在だった「松坂世代」】

2003年のホークスの投手陣の中心にいたのは、25歳の斉藤和巳だった。開幕投手に指名されたことからも、当時の王貞治監督、尾花髙夫投手コーチの期待の高さがわかる。しかし、プロ7年間で9勝しか挙げていなかった斉藤にとって、2001年ドラフト3位の杉内俊哉、2002年ドラフトの自由獲得枠で入団した和田毅と新垣渚は、まばゆい存在だった。

3人に共通するのは、松坂大輔が甲子園で春夏制覇を達成した1998年夏の甲子園に出場した「松坂世代」であることだ。

鹿児島実業の杉内は1回戦の八戸工大一(青森)戦でノーヒットノーランを達成。沖縄水産(沖縄)の新垣は、大会史上初めて151キロを記録した。ふたりに比べると浜田(島根)のエース・和田は目立たない存在ではあったが、強豪の帝京(東東京)などを下してベスト8進出を果たした。

さらに3人は高校卒業後に輝かしいキャリアを積み重ねた。三菱重工長崎に進んだ杉内は2000年シドニーオリンピックに日本代表として出場し、新垣は九州共立大学で全国制覇(1999年)を成し遂げ、大学の日本代表にも選ばれている。早稲田大学に進学した和田は、江川卓(元読売ジャイアンツ)が持つ東京六大学リーグの奪三振記録(2002年)を塗り替え、4年時にはチームの春秋連覇に貢献した。

斉藤は彼らについてこう語る。

「3人はアマチュア時代の実績が全然違う。彼らが入団した時から、『自分よりも上』だと思っていました。むしろ、『自分のほうが劣っている』と感じていました」

高校時代に目立った実績を残せなかった斉藤は、松坂世代に対してジェラシーを感じていた。

「僕には何もない。こっちが年上で、プロでは何年かやっているけど、誇れるものはありませんでしたから」

キャンプの段階から、彼らの周りには報道陣が集まっていた。

「僕が先輩だとは言っても、言葉に重みはない。ちゃんと聞いてくれるかどうかはわからない。だから、まず自分を律したうえで、『こいつらに成績で負けたらあかん』と思いました」

【「松坂世代」に勝つには成績を残すしかない】

2002年に73勝65敗2分、勝率5割2分9厘で2位に終わったホークスは、2003年には勝利数を9増やし、敗戦数は10も減らした。勝率は5割9分9厘に跳ね上がった。

しかし、2003年に斉藤が投手部門のタイトルを総なめにした後も、松坂世代に対するジェラシーは消えなかった。

斉藤が続ける。

「20勝してからも、それはずっとありました。彼らが高校時代から培ってきたものは、1年ぐらい活躍しただけではひっくり返せない。オフシーズンの取材やテレビ出演も、彼らのほうが多かった。『20勝してもまだ足りないのか』と思いました。他球団を見れば松坂がいて、松坂大輔はやっぱり松坂大輔なんですよ。だから『あいつを超えるには、数字で勝ち続けるしかないんやな』と」

アマチュア時代の実績はプロでは何の関係もない。だが、甲子園のヒーローたちは依然として輝きを放ち続けていた。斉藤には、「甲子園に出ていない」という負い目があった。

「もう、松坂世代には絶対に負けんぞという、僕の意地だけですね。彼らには甲子園の実績があるけど、僕は真っ白。高校時代に戻ることはできないので、プロで成績を残すしかない。僕が勝てるとしたら、数字だけ。本心を言うと、甲子園を経験した人がうらやましかった」

【斉藤の第一印象は「デカくて怖い」】

斉藤より3歳下の杉内は、斉藤和巳という投手のことをあまり知らなかった。「肩を痛めたドラフト1位」程度の情報しか持っていなかった。

杉内が入団当時を振り返る。

「入団する前はあまりプロ野球を見る機会がありませんでした。和巳さんのことはもちろん知ってはいましたが、詳しいことは全然・・・・・・。僕が入る前に何勝かしたかな、という感じ。第一印象は『でかい』と『怖い』でしたね」

身長175センチの杉内よりも、斉藤は17センチも大きい。頭ひとつ分は違っている。

「入団した2002年は、周囲を見渡す余裕が僕にはなかった。キャンプは、僕が一軍スタートで和巳さんが二軍だったから、顔を合わせる機会がなかった。何かしら会話はしたと思うんですが、印象に残るものはない。全然、覚えてないです」

プロ1年目の開幕カード(第3戦)で先発登板し、初勝利を挙げた杉内にとって、斉藤は「たくさんいる投手のひとり」に過ぎなかった。

「とにかく自分のことで精いっぱいで、まわりとコミュニケーションを取る余裕はなかった。和巳さんはきっと、他人に興味のないタイプだったと思います。1年目の途中に僕が二軍落ちした夏くらいに、和巳さんが一軍で投げているのを家電量販店のテレビで見た記憶があります」

杉内が斉藤の存在を認めたのは2003年だった。

「まだ”飛ぶボール”の時代だったのに、和巳さんが投げれば勝つ。負けん気の強さとか気迫とか、そういう部分は『すげー! かっけー!』と思いました。和巳さんは僕にとって、『投げれば勝つピッチャー』でした。和巳さんがタイトルを総なめにしたあと、ピッチャーで20勝したらこれだけの名誉が手に入るんだと思い知らされました」

【練習中も鬼気迫る表情だった】

斉藤がジェラシーを感じていたことを告げると、「本当にそんなことを言ってるんですか? もちろん、こっちは感じましたけど」と言う。

「和巳さんには圧倒的なサイズがあって、本気でうらやましかった。あの高さから150キロのストレートとフォーク、カーブを投げられたら、そりゃバッターは打てんよな、本当にずるいなと。

パ・リーグのいいバッターもみんな打てなかった。僕みたいなタイプは、いろいろなことを考えて、全力で投げないと抑えられない。なのに、和巳さんはあっさりと抑えているように見えた。『簡単に勝つなぁ』という印象でしたよね」

だから、自分たちにジェラシーを感じていたことが信じられない。

「あの人がジェラシーだなんだと言うのはおかしい。だったら一度、僕の身長で投げてみてほしい」

杉内も和田も、プロ野球の中では大きいほうではない。185センチを超える大型投手はいくらでもいるが、コンスタントに勝ち星を挙げられる一流選手は意外と少ない。コントロールに難があったり、故障が多かったりと、何かしらの弱点があるものだ。

「和巳さんは大きいけど、コントロールもよかったし、フィールディングも牽制もうまかった。それに、本当に黙々と練習していました。絶対に手を抜くことはなかった。おそらく、肩に不安があったせいで『いまできることは全部やろう』と思っていたんじゃないでしょうか。練習中も鬼気迫る表情でした。こんなふうに練習しないと、あれだけのピッチャーになれないのかと思ったものです」

【先輩相手でも自分から口を出す】

投手陣のリーダー的な存在になってから、斉藤は先輩にも後輩にも積極的に関わるようになっていく。

杉内が言う。

「和巳さんは背中で引っ張るタイプじゃないです。どんどん自分から『ああしよう、こうしよう』と口を出してくる。相手が先輩でも裏方さんでも、ガンガンいく。時には言い合いになることもあったように思います」

個性派揃いの投手陣をまとめるには、普通のリーダーシップでは足りなかったのかもしれない。斉藤の周囲を「巻き込む力」によって、投手陣のまとまりはより強いものになっていった。

感情だけで人は動かせない。論理立てて話すことで、賛同者を増やしていった。

「いろいろなことを勉強したんじゃないですか。すごかったです。やっぱり尊敬できる先輩でした。ランニングの時にはよく競争もしましたけど、ストライドが長くてうらやましかった。あの体格を自在に使いこなせれば怖いものはないでしょうね。ピッチャーとして、理想的な体型をしていますから」

【投げる試合は全部勝とうとした】

杉内が斉藤からから学んだのは、技術よりも精神的な部分だった。

「技術面ではマネできないし、マネしようとも思わなかったけど、精神面は勉強になりました。気持ちの部分は、ものすごく参考になりましたね。

1年間ローテーションを守ったら、25、26試合は先発する機会がある。普通のピッチャーなら、その中で10勝とか15勝しようと考えるんです。ということは、10敗くらいはしてしまう計算になります。だけど、和巳さんは、全部の試合を勝とうとした。負けを想定することを拒否している。『負けてもいい』と考えるのが嫌な性格なんでしょうね。

そういう話を和巳さんから聞いて、『オレも全部勝つつもりで投げよう』と思いました。実際には、なかなかできることではありませんけど」

長いシーズンを戦っていれば、勝つこともあれば負けることもある。誰かのミスで勝利が消えることも珍しくない。時には、割り切りが必要な場合もある。

「和巳さんはそれを許さなかった。負けることを絶対に認めない気持ちの強さがありました。もしかしたら、そういう気持ちが強かったから、ピッチャーとしては短命だったのかもしれない。でも、あれこそが理想です。僕には、和巳さんに憧れる気持ち、尊敬があります」

2018年限りで現役を引退した杉内はプロ17年間で通算142勝をマークした。2003年にホークスでローテーションを組んだ投手の誰よりも多くの勝ち星を稼いだ。彼にとって、斉藤和巳とはどんな存在だったのか。

「もちろんライバルですよ。いい先輩だったけど、ライバルでもありました。ピッチングスタイルはまったく違いますけどね」

斉藤が先頭を走り、その背中を杉内と和田、新垣が追いかけた。2003年に構成されたホークス先発陣が長く日本プロ野球を牽引することになる。その源は、斉藤の松坂世代へのジェラシーだった。

(つづく)

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