遠藤保仁、偉業の先に見据えるもの「もっと楽しく、もっと上手くサッカーがしたい」

遠藤保仁、偉業の先に見据えるもの「もっと楽しく、もっと上手くサッカーがしたい」

  • Forbes JAPAN
  • 更新日:2019/08/25
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ガンバ大阪の大ベテラン、39歳のMF遠藤保仁が公式戦通算1000試合出場の偉業を達成した。心身のコンディションを常にベストに整え、所属クラブと日本代表でコンスタントにピッチに立ち続けてきたからこそ日本人選手で初めて、海外の現役選手でもほんのひと握りのレジェンドしか達成していない大台に到達した。

ピッチの内外で飄々とした自然体を貫く、稀代のプレーメイカーが歩んできたサッカー人生をあらためて振り返りながら、視線の先に刻まれている遠藤の飽くなき目標を探った。

所属チームと母国の代表チームの両方でフル回転したとして、プロサッカー選手の場合、年間で出場する試合は多くて「60」だろうか。心身のコンディションを常に整えながら勤続したとして、17年という歳月を要してようやく「1000」という数字に到達できる。

指揮官が代わるたびに新たな戦術や要求に応えなければいけないし、時間の経過とともに忍び寄る肉体的な衰えとも真正面から向き合い、乗り越えていかなければいけない。高く、険しいハードルが数多くそびえ立っているからこそ、プロになって22年目を迎えたガンバ大阪の大ベテラン、39歳の遠藤保仁が打ち立てた金字塔はまばゆい輝きを放つ。

敵地ノエビアスタジアム神戸で2日に行われた、ヴィッセル神戸との明治安田生命J1リーグ第21節。後半19分からFWパトリックに代わって遠藤がピッチに立った瞬間、日本人選手にとって前人未踏であり、未来永劫にわたって破られないであろう大記録が生まれた。

公式戦通算1000試合出場がいかに達成困難な記録なのか。海外の現役選手を見わたしても、元イタリア代表GKジャンルイジ・ブッフォン(ユベントス)、元スペイン代表GKイケル・カシージャス(FCポルト)らのほんのひと握りのレジェンド、それも選手生命が比較的長いとされるゴールキーパーしか到達していないことからもよくわかるだろう。

ガンバによれば、Jリーガーとしてデビューした1998シーズン以来、遠藤が出場してきた1000試合の内訳は下記のようになっている(数字はすべて2019年8月2日のもの)。

・J1リーグ:621試合(歴代2位)

・J2リーグ:33試合

・Jリーグチャンピオンシップ:3試合

・YBCルヴァンカップ:72試合

・天皇杯全日本サッカー選手権:48試合

・ゼロックススーパーカップ:6試合

・FIFAクラブワールドカップ:3試合

・AFCチャンピオンズリーグ(ACL):58試合(日本人歴代2位)

・スルガ銀行チャンピオンシップ:1試合

・A3チャンピオンズカップ:3試合

・日本代表(国際Aマッチ):152試合(歴代1位)

631試合のJ1最多出場記録保持者で、42歳だった昨シーズン限りで引退した元日本代表GK楢崎正剛さん(前名古屋グランパス)が出場した公式戦は878試合だった。52歳の現役最年長選手、FW三浦知良(横浜FC)でも届いていない大記録にも、遠藤はいつものように飄々としていた。

「現役で長くやれてこその数字だと思うので、非常に嬉しく思います。いろいろな人に支えられながらここまで来たので感謝の気持ちと、これから先、少しでも伸ばしていければいいかなと」

目の前の公式戦に、コンスタントに出場し続けてきただけではない。2001シーズンから所属し、キャリアのほとんどを捧げてきたガンバ大阪を常に勝たせてきたからこそ、リーグ戦の上位チームやカップ戦の覇者が出場権を得られる国際大会のピッチにも数多く立ってきた。

たとえば58試合を数えるAFCチャンピオンズリーグ(ACL)は、今年5月にFW興梠慎三(浦和レッズ)に更新されるまでは、日本人選手の歴代1位にランクされていた。対照的にYBCルヴァンカップの出場試合数が歴代14位にとどまっているのは、ガンバがACLに出場し続けてきたことで、日程が重複するグループリーグを前身のヤマザキナビスコカップ時代からシードされてきたからだ。

日本代表でもジーコ、イビチャ・オシム、岡田武史、アルベルト・ザッケローニ、そしてハビエル・アギーレの歴代監督のもとで152試合に出場してきた。中盤の底から長短の正確なパスを配球する稀代のプレーメイカーは戦術理解度が高く、一方で好不調の波が小さいがゆえに常に重用されてきた。

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(Hiroki Watanabe /by Getty Images)

遠藤に次ぐ歴代2位が、浦和レッズでプレーした2002年に引退したDF井原正巳さん(現柏レイソルコーチ)の122試合であることを見ても、いかに群を抜く数字であるかがわかる。歴代4位、現役選手ではFW岡崎慎司(マラガ)の119試合に次ぐ117試合に出場しているDF長友佑都(ガラタサライ)は、遠藤の記録に挑むと明言した一方で、自身のツイッターでこんな言葉をつぶやいている。

「ここにきて改めてヤットさんの凄さを痛感する。152試合て。。数字積み重ねてるはずやのに、遠のいていく感覚。ここからがより一層厳しくなるのを俺なりに知ってるんだよ」(原文のまま)

栄光の二文字に彩られてきただけではない。日本代表では辛さも味わされている。たとえば、ワールドカップ代表に初めて選出された2006年のドイツ大会。ジーコ監督に率いられた日本代表で、20人を数えたフィールドプレーヤーでただ一人、出場機会が訪れなかった。

ジーコジャパンそのものも大きな期待を寄せられながら、ひとつの白星もあげられないままグループリーグで敗退した。後に遠藤自身に聞いたことがある。あのドイツ大会が、サッカー人生で一番悔しかったのか、と。返ってきたのは意外な大会名だった。

開幕するまでにけが人が出て入れ替わらない限りチャンスが訪れない、予備登録メンバーとして現地まで赴いた2000年のシドニーオリンピックが、遠藤のなかで長く原点として刻まれてきた。

「ドイツ大会は自分にとっても初めてのワールドカップで、選ばれただけでも嬉しいという気持ちもあった。ピッチに立てなかったことはもちろん悔しいけど、シドニーオリンピックでは現地まで行ったのに一緒に練習することもできなかったし、みんなが活躍して注目されていくのをスタンドで見るのも何となく嫌だった。一方でもっと勝ち上がってくれという気持ちもあって、非常に難しい立場でしたね。予備登録メンバー同士ならばまだ愚痴を言い合うこともできたんですけど、僕は主力だった(中村)俊輔と同部屋だったので、チームの雰囲気を乱すのはまずい、と思って。でも、若いときにああいう経験をしたからこそ、少しぐらい外されても自分の力で取り戻す、と思えるようになりました」

1000試合のなかで最も記憶に残っている一戦を問われれば、迷うことなく自身のデビュー戦をあげてきた。強豪・鹿児島実業高から、いまはなき横浜フリューゲルスに加入した1998年。完成したばかりの横浜国際総合競技場(現日産スタジアム)で3月21日に行われた、横浜マリノスとのファーストステージ開幕戦が遠藤の大記録の出発点となっている。

「プロとしての第一歩だったので、あの試合はよく覚えています」

FCバルセロナを率いた経験をもつカルロス・レシャック監督に見初められ、高卒ルーキーながら先発メンバーに抜擢。堂々のフル出場を果たし、5万2000人を超える大観衆が見守るなかで、延長戦の末に2-1で勝利した一戦で、フリューゲルスのゴールマウスを守っていたのが楢崎さんだった。

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(Masahiro Ura /by Getty Images)

そのシーズン限りで消滅し、マリノスへ吸収・合併されたフリューゲルスのメンバーで、いまも現役でプレーしているのはついに遠藤だけになった。フリューゲルスからグランパスに移籍し、昨シーズン限りでユニフォームを脱いだ楢崎さんがもつJ1最多出場記録を、いよいよ視界にとらえた。残り試合の数を見れば、今シーズン中にも追いつき、追い越すことが可能だ。

「できれば抜きたいな、と。でも、こればかりはやってみないとわからないので、ひとつの目標としてリスペクトの思いを抱きながら、目指していければいいかなと思いますけど。ポジションは違いますけどやはり大先輩の記録ですし、ここまで来てあらためて正剛さんの偉大さも感じているので」

J1の通算出場試合数の歴代ランキングを見れば、現役組で遠藤に続くMF阿部勇樹(浦和レッズ)とGK曽ヶ端準(鹿島アントラーズ)はほとんど出場機会を得ていない。10位に名前を連ねる38歳のMF中村憲剛(川崎フロンターレ)も、今シーズンの前半戦はけがで欠場が続いた。大卒選手という事情もあり、今後4年半ほどコンスタントに出場し続けてようやく600試合の大台に到達する。

ウィルス性肝炎で戦列を2度離れたことはあるものの、大きなけがとはほぼ無縁のサッカー人生を歩んできた遠藤のすごさがあらためて伝わってくる。試合中に怪我を負わないのはポジショニングに秀でているからであり、日々の練習などでは不必要な負荷をかけないように体との会話を続ける。ストレスもやがては故障につながると考え、食事にもほとんど制限を設けてこなかった。

立ち居振る舞いと同様に私生活でも飄々と自然体を貫いてきたからこそ、前人未踏の数字に到達した。もっとも、ヴィッセル戦がそうだったように、直近のリーグ戦では途中出場の方が多い。中盤ではリオデジャネイロオリンピック代表の25歳、矢島慎也が存在感を高めている。40歳を前にして押し寄せてくる世代交代の波に、それでも真正面から抗っていきたいと遠藤は静かに闘志を燃やす。

「もちろん何歳になっても先発で出て、チームを数多く勝たせたい。そういう思いは18歳のころから何も変わらないし、ただ単に(出場試合の)数字を重ねていってもしょうがない、という思いもあるので。ただ、監督が決めることなので、練習からいいパフォーマンスを見せ続けて、あとは自分ではどうすることもできないと思っていますけどね」

このオフは楢崎さんだけでなく、川口能活さん(前SC相模原)、中澤佑二さん(前横浜F・マリノス)、同じ1979年度生まれの黄金時代の一人、小笠原満男さん(前鹿島アントラーズ)ら、日本代表でも喜怒哀楽を共有した盟友たちが続々と現役に別れを告げた。

一方で今夏には41歳のMF中村俊輔がジュビロ磐田からJ2の横浜FCへ、黄金世代のトップランナーだったMF小野伸二が北海道コンサドーレ札幌からJ2のFC琉球へそれぞれ出場機会を求めて移籍した。J3ではMF稲本潤一(SC相模原)、MF本山雅志(ギラヴァンツ北九州)が、九州サッカーリーグではFW高原直泰が沖縄SVの代表、監督、そして選手と三足の草鞋を履いて奮闘している。

「世代が近い選手たちが現役をやめる年齢ではありますし、若いときから一緒に戦ってきたメンバーがいなくなるのは寂しい部分もあります。ただ、お互いに努力を積み重ねて、ライバル視しながらやってきた仲間たちを誇りに思うし、そういう選手たちと戦ってきたからこそいまの自分があるとも言える。だからこそ日々努力して、もっと楽しく、もっと上手くサッカーがしたい」

1979年度生まれの黄金世代のなかで、トップカテゴリーのJ1リーグで最も濃密な軌跡を刻み続けている遠藤は、こんな言葉をつけ加えることも忘れなかった。

「自分自身はいまのところ、やめる気はまったくないので」

公式戦1000試合出場の偉業も、遠藤にとってはあくまでも通過点。ガンバの悲願だった2005シーズンのJ1初優勝を選手同士で味わった宮本恒靖監督へのアピールも込めながら、遠藤はまだまだ上手くなる自分自身の姿を貪欲に、そしてマイペースで追い求めていく。

連載:THE TRUTH

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