「ふくりんひ」思わず吹き出すテキトー翻訳 江戸にアメリカ旋風巻き起こる

「ふくりんひ」思わず吹き出すテキトー翻訳 江戸にアメリカ旋風巻き起こる

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  • 更新日:2016/11/29

黒船来航は江戸末期の日本を揺るがす大事件でした。見たこともない巨大軍艦を引き連れた異国人にクールに渡り合った幕臣の態度や江戸庶民が固唾をのんで見守った通商交渉の内容、そして江戸の庶民が大好きなちょっぴり下世話なネタまで抜け目なくしっかり伝えていました。

「これはないでしょう」と思わずツッコミを入れたくなるような「江戸時代版 日本語英語対照表」など、歴史の教科書には載っていない、 思わずクスッと笑ってしまう、かわら版が伝えた黒船フィーバーを大阪学院大学准教授の森田健司さんが解説します。

庶民も固唾をのんで見守った「幕府VS黒船」

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1854(嘉永7)年発行のかわら版「海陸御固御場所附」(筆者所蔵)

1853(嘉永6)年6月3日、浦賀沖に来航したペリー艦隊は、6日後の9日に久里浜に上陸を許される。その際、ペリーは約300人もの兵を率いて、仮設された応接所まで行進したという。フィルモア大統領からの親書を浦和奉行に渡した後、艦隊4隻は、12日に日本を離れた。10日間にわたる「黒船フィーバー」の終わりである。

しかし、付言するまでもなく、黒船はこれで「撤退」したのではなかった。翌年1月16日、ペリー艦隊は再来航する。今回は、3隻増えて7隻、うち3隻が蒸気船だった。さらに、2月6日に1隻、2月21日にまた1隻が加わり、合計9隻の大艦隊となる。しかも彼らは、一切の許可なくして、今度は江戸湾の内海まで侵入してきた。

これは全て、ペリーによる「意識的な示威行為」だった。つまり、日本を怖がらせようとしていたのである。自分たちの希望を受け入れなければ、江戸が火の海になるという、無言の脅迫だった。前年同様、ペリーは実際には戦力を行使するつもりはなかった。しかし、やりたい放題の大艦隊を目にして、庶民の中には不安を覚える者も多くいたようである。

冒頭に掲載したかわら版「海陸御固御場所附」は、そういった庶民の気持ちを投影したものと言える。「御固」は「おかため」と読んで、幕府の「警備、防衛」を意味する。つまり、黒船に対して、幕府がどのような警備体制を敷いているか、それを具体的に説明する刷り物だった。

かわら版の左側には、荒い多色刷りで、黒煙を上げる黒船と、上陸して行進する米兵たちが描かれている。なんとも勇ましく、強そうな一行である。それに対し、右側に並ぶのは、江戸湾を防備する大名の名前である。こちらも錚々たるメンバーが、警備担当地域、役職、家紋などと共に記載されている。

これを見て庶民は、「黒船は強いだろうが、これほど力のある大名が警備にあたってくれているなら、日本は安泰に違いない」と安心したことだろう。もちろん実際には、もしペリー艦隊が本気で攻撃を加えれば、幕府は一溜まりもなかった。しかし当時の庶民に、軍事力の差など知る由もなかった。

黒船関連の「御固」かわら版は、1854(嘉永7)年、極めて数多くの種類が発行されている。それだけ、庶民は「黒船 VS 幕府」に関心を持っていたということだろう。

アメリカと堂々と渡り合った幕臣もビックリ 度肝を抜かれたすごい手土産とは?

ところで、アメリカの議会がペリー艦隊に課した仕事は、「通商、薪水・燃料補給、遭難民の保護」の三つを、日本に認めさせることだった。この三つの内容を織り込んだ条約によって、日本と国交を結ぶことができれば、ペリーは任務を完遂したことになる。

しかしながら、アメリカが最も期待していた「通商」に関して、ペリーは日本側に認めさせることができなかった。それは日本側交渉役のトップが、余りにも手強かったからである。その役人の名は、林復斎(ふくさい、1801~59年)。彼の当時の肩書きは大学頭(だいがくのかみ)で、今で言うならば「東京大学の総長」に相当する人物だった。

ペリーは通商の意義について懇々と説いたが、復斎は巧みな弁論術と、圧倒的な知性で、その裏にある真意を暴いてみせた。つまり、通商はただアメリカの利益のみを追求するものであって、制限貿易という日本の政策を批判する正当性はどこにもないことを論理的に説いたのである。一介の海軍軍人のペリーは、復斎に反論することができず、不本意ながら、通商の要求を取り下げざるをえなかった。

圧倒的な軍事力の差があったにもかかわらず、幕臣たちは臆することもなく堂々とアメリカ側と渡り合った。そして、一切戦火も交えず、平和的に事態を収拾したのである。アジアの周辺国が、次々と欧米列強の植民地、あるいは半植民地とされていく中で、この結果を導いた日本側交渉役たちの力量は賞賛に値する。

かくして、日米和親条約は締結され、その後、両国による贈り物の受け渡しが行われた。その際、アメリカ側が贈ってきたものの中に、幕府の役人の度肝を抜く品があった。それは、次に掲げるかわら版に描かれている。

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1854(嘉永7)年発行のかわら版「献上之品物」(筆者所蔵)

そう、これは蒸気機関車なのだ。ただし、実物の4分の1サイズの「模型」だった。ただし、模型と言っても侮るべからず。この機関車は、横浜村の応接所の前に敷設されたレールの上を、なんと時速32キロメートルで走ることのできる代物だったという。

実際に、風を切って走る蒸気機関車を目にして、幕臣たちは心底驚いたらしい。そして、この不思議な贈答品に関する情報は、どこからか、かわら版屋に漏れるのである。不思議なことに、庶民が興味を持ちそうなネタは、決まってかわら版屋の元にもたらされたのだった。この情報ネットワークは、驚愕に値する。

かわら版屋は、この高性能な乗り物を、大きさを誇張して絵に描かせ、それに詳細な説明を添えて、見事な一枚刷りとした。このかわら版、予想通りだが、売れに売れたようである。昨年は蒸気船のかわら版で、今年は蒸気機関車のかわら版。期せずして、黒船はかわら版屋に大きなボーナスを運んできた。

「うれしいこと」は「さんちょろ」? 思わず吹き出さずにはいられない翻訳センス

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1854(嘉永7)年発行のかわら版「阿女里香通人」(筆者所蔵)

黒船が去った後もしばらくは、庶民の中で「アメリカ関連のもの」が熱かった。中でも、今まで聞いたことがなかった「アメリカの言葉(=英語)」は好奇心の的となった。

そんな中で発行されたのが、次のかわら版「阿女里香通人」である。

これは簡単に言うと、日常的に使われる日本語と、それに対応する英語を書き並べたものである。「江戸時代版 日本語英語対照表」とでも言うべき、一枚刷りだ。しかしここには、かわら版の本領発揮と言うべき「恐るべき適当さ」が満ち満ちている。

まず、人物の絵である。制作者はアメリカ人のつもりで描いているようだが、現代人の目には、とてもそうは見えない。いや、当時の人であっても、実際にアメリカ人を見た者からすれば、疑問符を付すべき絵だったことだろう。このイメージに最も近いのは、中国人だろうか。

そして、書かれた英単語に目を移したい。上段の1番目には、「めでたいこと」を英語で言うと「きんぱ」である、と自信いっぱいに書かれている。これは一体、何だろう。描かれたアメリカ人(らしき人)も、「きんぱ、きんぱ」と言いながら小躍りしているが、どういった英語を「きんぱ」と聞き取ったのか全く不明である。

それに対し、次にある単語は結構しっかりと書き取れている。「うれしいこと」は英語で「さんちょろ」と言う、と書かれているが、これは間違いなく「サンキュー」のことだろう。実際に海軍兵が「サンキュー」と喋っているのを聞いて、メモしたに違いない。「ちょろ」の部分が危ういが、少し微笑ましくもある。

ほかに、英語の原型をわずかにでも留めているのは、「子ども」は「ちゃあ」である、ぐらいだろうか。これは「チャイルド」が崩れたものと思われる。残りは見事にデタラメで、「かなしい」の「めつそ」などは、「めそめそ」という日本語から考えたものだろう。「どうらく者」を「とろんこ」、「父親」を「あちゃさん」、「母親」を「かあとん」とするなど、両方とも日本語にしか思えないものもあり、脱力必至である。「ふんどし」も英語では「ふくりんひ」などとあるが、そもそもアメリカには、ふんどし自体ないはずである。爽快なまでの適当さだ。

なお、選ばれた言葉に「下ネタ」が多すぎるのも、本かわら版の特徴である。いや、全般的に、江戸時代の庶民は下ネタが大好きだった。このかわら版の終わりの2単語など、現在は放送禁止用語に相当するため、心を鬼にして、モザイク処理せざるをえなかったのである(ギリギリ大丈夫と思われる言葉は、そのまま残しておいた)。

以上でわかるように、このかわら版をどれほど読み込んでも、「アメリカ」の「通」にはなれない。しかし、実は制作者自身、そのことは百も承知である。訳者として「紀 於呂香(おろか=愚か)」なんて奇妙な名を記していることからも、明らかだろう。初めから、「これを勉強しても英語なんてわかりませんよ、だって愚か者が訳を作ったんだから」と、メッセージを発しているのである。

ところが、このデタラメな日本語英語対照表は随分ウケたようで、ほかのかわら版にどんどんコピーされ、広く親しまれることとなる。遠い過去のことながら、江戸の庶民のことが少し心配になってしまう話である。

黒船来航、および再来航は、幕府にとっては面倒な出来事だった。しかし、庶民には、良い意味でも悪い意味でも、お祭りのようなものとして受容された。だからこそ、かわら版屋にとって、絶好のもうけ時となったのである。後の二つは、学校の教科書からはちょっと読み取れない、「歴史の真実」ではないだろうか。

(大阪学院大学 経済学部 准教授 森田健司)

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