エホバの証人事件で息子の輸血を拒否した父親と、演じたたけしの距離

エホバの証人事件で息子の輸血を拒否した父親と、演じたたけしの距離

  • 現代ビジネス
  • 更新日:2016/10/20

俳優・ビートたけしはこれまで多くの「昭和の大事件」の当事者を演じてきた。大久保清、千石剛賢、田岡一雄、金嬉老、東条英機。さらには、3億円強奪事件の犯人、豊田商事会長刺殺事件の犯人、エホバの証人輸血拒否事件で死亡した男児の父親……。

そうした現代史とたけしの半生を重ね合わせながら、戦後の日本社会を考察する好評連載第4回。今回は、「エホバの証人」事件で息子の輸血を拒否した父親とたけしの「距離」に着目した。

第1回~第3回はこちらから(http://gendai.ismedia.jp/list/author/masatakakondo

たけし、市井の人間を演じる

1984年、ビートたけしは、週刊誌『朝日ジャーナル』の「若者たちの神々」という連載対談に登場した。このころのたけしは、政治や社会問題などへの発言も増え、著書も出すようになっていた。対談では同誌編集長・筑紫哲也がそれを踏まえて

「あなたの書いているものは、自分たちの影響力よりはるかに強いと思う。教祖になってしまうのではないか」

と訊ねると、《だから、宗教団体にするといちばん儲かるといわれてる。あの本は三〇〇〇円で売るべきだと。普通の値段だとまずいんで、高くして経典とすれば売れるって》と返している(筑紫哲也ほか『若者たちの神々Ⅰ』新潮文庫、1987年)。

文字どおり若者の教祖となったたけしは、宗教や信仰をテーマにした映像作品にもたびたび出演している。

1985年にTBSの単発ドラマ『イエスの方舟』(八木康夫制作、池端俊策脚本)で教祖(モデルは実在の宗教団体「イエスの方舟」の主宰者・千石剛賢)を演じたのをはじめ、1993年には、自著の同名小説(1990年刊)を原作とする映画『教祖誕生』(天間敏広監督)に新興宗教の教団幹部の役で出演した。

『教祖誕生』と同年、1993年には、やはり宗教をとりあげたTBSの単発ドラマ『説得――エホバの証人と輸血拒否事件』にも出演している(3月22日放送)。先の2作が宗教団体に焦点を絞ったものだったのに対して、『説得』では個人の信仰がテーマとなった。

『説得』のモデルとなったのは、前回とりあげた豊田商事会長刺殺事件と同月、1985年6月6日に川崎市で実際に起こった事件である(ただしドラマのなかでは日付は変えられている)。この日、小学5年生の男児が自転車に乗っていてダンプカーと接触、両足などを骨折して同市内の病院に救急搬送された。

医師の指示で手術を受けることになったが、駆けつけた両親が、自分たち家族の信仰するキリスト教の一宗派「エホバの証人」の教義を理由に輸血を拒否する。このため医師らはほとんど手の施しようがなく、男児はけっきょく出血多量で死亡した。

このドラマでたけしは、事故に遭った男児の父親を演じている。その役柄はたけしにとってはやや異質といえる。彼がドラマや映画で演じてきた人物の多くは、暴力のイメージがつきまとうが、本作の父親にはそれが一切ないからだ。そもそもまったくの市井の人物(元サラリーマンで、事件当時は小さな書店を経営していた)という役どころからして、たけしには珍しい。

ただ、テレビドラマには難しいテーマをとりあげた点では、ほかのたけし主演の実録ドラマと同じだ。先述のとおり、たけしはこれ以前に『イエスの方舟』で教祖を演じているが、そこで焦点となった宗教と家族の問題は、形を変えて『説得』に引き継がれているともいえる。

子を見殺しにする親

このドラマは、TBSのプロデューサー八木康夫が、ノンフィクションライターの大泉実成の同名の著書(現代書館、1988年)を原作に企画したものである。

くだんの事件に際してマスコミでは、病院に運ばれた男児が「生きたい」と訴えたと報じられ、そう叫ぶ子供をなぜ救うことができなかったのかという批判が渦巻くことになる。

当時大学院生だった大泉は、少年がなぜ「生きたい」と叫んだのか、そしてその意志はどこにあったのかを知りたくて、関係者たちのなかに飛びこんでいったという。

大泉が真相を探るためにとった手段は、男児の父親が出入りしていたエホバの証人の集会所に自らも通い、聖書研究に参加しながら父親と接触するというものだった。いわば潜入ルポというわけだが、しかし大泉は、たとえば鎌田慧がトヨタ自動車の工場に季節工として潜りこんで書いた『自動車絶望工場』のように告発のためにこの手段を選んだわけではない。

そもそも大泉がこの事件に惹きつけられた理由は、何よりもまず、彼自身が少年時代にエホバの証人の信者だったからだ。それゆえ本書の取材においても、あくまで父親に寄り添うように、その心情を探ろうとしている。

ただ、こうした手法で書かれたノンフィクションをそのままドラマにはしにくいはずだ。それに加え、先述したとおりテーマ的にもハードな問題をはらんでいる。事実、脚本を担当した山元清多は、八木康夫から渡された原作を読み、その新しいスタイルに魅かれつつも、テレビドラマにするとなると正直腰が引けたという。

《舞台や映画ならともかく、お茶の間の視聴者に、いかなる理由があるにしろ輸血すれば助かったはずの子供に輸血させないで言わば見殺しにしてしまうという親の選択が説得力を持つのだろうか?》

というのがその理由であった(日本脚本家連盟編『テレビドラマ代表作選集 1994年版』日本脚本家連盟、1994年)。けっきょく山元は、台本を書き始めるまでに、依頼されてから2年近く躊躇の時間をすごしたという。

事件の当事者は普通の人たちだった

躊躇の末に山元が選んだのは、ホームドラマというスタイルであった。

もともとは劇団黒テントの座付き作家・演出家である山元には、テレビでの代表作として、『ムー』シリーズや『時間ですよ 平成元年』『パパとなっちゃん』などホームドラマも多い。ちなみにたけしとは、彼の初の主演ドラマである『刑事ヨロシク』に脚本家の一人として携わっていた。

『説得』では、たけし演じる父・昇と大谷直子演じる母・ますみが、息子の健が交通事故に遭ったことを知らされ車で病院へと向かう。病院に到着するまでのあいだ、回想シーンが折に触れて挿入される。そこでは時間を13年ほどさかのぼり、ともに服地問屋で働いていた昇とますみの馴れ初めから、結婚して子供をもうけ、事故当日を迎えるまでの日々が丁寧に描かれている。

ホームドラマという形式をとって、ひとつの家族が形成されるまでの推移がくわしく描かれたのは、事件の当事者があくまで普通の人たちであったことを強調するためだろう。

昇は、長女に続き健の生まれるころ全国チェーンのスーパーマーケットに転職し、各地を転勤しながら、仕事に生きがいを感じるようになっていた。だが、店次長に昇進後、小学生となっていた長女が引っ越し続きの生活に不満を抱き家出騒ぎを起こしたあたりから、働きづめの日々に疑問を覚え始める。

昇の勤める店舗に対して本社からのノルマもきつくなるばかりだった。そんな本社の売り上げ至上主義に、昇は「俺たちは“安売りの機械”じゃない」とすっかり嫌気が差して、ついには退職してしまう。

昇がますみの勧めで聖書を読む会に参加し、信仰に心のよりどころを求めていったのもちょうどこのころだった。退職後、生まれ育った川崎に戻って個人経営の書店を開いてからは、教派の集会所の建設にも協力、信者同士のつながりを深めていく。

ちなみに、現実の男児の父親が勤めていたのは大手スーパーのダイエーである。1970年に入社した彼は、ダイエー創業者で当時の社長だった中内功(功は正しくは工に刀)の「国民の生活レベルを向上させよう」などのスローガンに共鳴していたという。

しかし、高度経済成長が終わり、大量生産・大量消費から、消費の個性化・個別化へという時代の変化に、ダイエーはうまく乗れなかった。消費者の流れは、ダイエーに「より安く」だけを求め、「よい品」はほかの店で買うというふうに変わっていたのだ。

だが、現場がそのように報告しても本社は聞き入れず、一方的な割り当てをして強制的に商品を送りこんでくる。当然、商品は一向に回転せず、在庫が増えるばかりだった。これに父親は不満を募らせていく。

そこへ来て1980年、中内は小売業界初の売上高1兆円を達成したのを機に、今度は1985年度までに新規事業を含めダイエーのグループ全体で4兆円の総売り上げを出そうという構想を打ち出す。

しかしそれには莫大な設備投資を必要とし、そのしわ寄せは一気にダイエー本体へと及んだ。内部での足の引っ張り合い、首切りが始まるなかで、店次長となっていた父親はそれまでに蓄積した不満を一気に爆発させ、翌81年には退職を決意したのだった。

なお、ダイエーの4兆円構想はその後、1983年より連結決算で3期連続の赤字を出したことで頓挫する。中内の呼号する売り上げ至上主義と、徹底した本部中央集権制はここでようやく見直しを迫られたのである。

劇中での「安売りの機械」というセリフは、現実の父親がダイエーで言われ続けてきた「おまえたちは売る機械だ」との言葉がもとになっている。これに彼は何度も「なぜ人間として扱われないのか」と強い反感を持ったという。これがやがて退職の動機となった。

男児は最後に「生きたい」と言ったのか

スーパー勤務時代、家庭をほとんど顧みず仕事に邁進した父親の姿は、高度成長期以後の日本のサラリーマンの最大公約数といえる。

サラリーマン生活から自らの意志で離脱し、信仰を心のよりどころとしたのは全体でいえば少数派だろうが、しかし父親が聖書を読む会で知り合ったのは、ごくごく普通の人たちであった。

事件が起きてから、病院側に決意書まで提出して子供への輸血を拒んだ両親に批判が集まった。なかには両親を狂信者的に扱い、センセーショナルに伝える報道もあった。

だが、実際には両親、とくに父親には、病院側に輸血拒否の意志を伝えてからもそうとうの葛藤があったことが、『説得』の原作でもドラマでもあきらかにされている。

父親は、息子を助けたい気持ちと、仲間の信者たちを裏切ることで家族の心のよりどころを失いたくないという思いとのあいだで板挟みとなった。病院では何度となく、医師と、集まった仲間の信者とのあいだを往復してそれぞれに相談する。

医師たちは当然、輸血を訴えるのに対して、信者たちはあくまで輸血の拒否を主張した。そのなかで父親は、輸血せずに手術できないかと医師たちに懇願する一方で、ほかの病院でそれが可能なところがあるならそこに息子を移すつもりで電話で探し求めたりもした。

医師たちのあいだでも、あくまで両親を説得してから輸血するという意見と、有無を言わさず輸血するという意見とに分かれた。ドラマでもその様子が描かれている。なかでも印象深いのは、小坂一也演じる整形外科部長だ。彼は自身がカトリック信者である立場から、信仰をできるかぎり尊重しながら説得を試みる。

病院に乗りこんできた警官(演じるのは斎藤晴彦)が「信仰が人間の命より大事なのか!」と叫んだのに対し、小坂演じる部長は「人間は信仰のために死にもすれば、殺しもするんですよ! いま世界中で、宗教の違いからどれだけの紛争や戦争が起きているか知っているのか!」と言い返す。

このあと、男児の容体がいよいよ危なくなり、麻酔担当医が輸血を強行しようとしたときにも、「私は、人間がなぜ信仰を必要とするか理解しなければ、説得はできないと言ってるんだ!」と訴え続けた。

この整形外科部長はおそらく、原作で取材に応じた一人で、男児の運ばれた病院の理事長がモデルと思われる。理事長もまたカトリック信者であり、

《どんな宗教であっても、僕自身が大事にしてると同じように、他の人達も大事にしてる。だから、相手を、僕はやっぱり尊重したいっていう気持ちがあった》

と語り、輸血拒否に対し悩みに悩んだことを打ち明けていた(大泉実成『説得 エホバの証人と輸血拒否事件』講談社文庫、1992年)。

最終的に「子供の意志を確認してから輸血するように」と指示したのもこの理事長だった。取材した大泉は、理事長の真意を、自身もカトリック信者として少年時代を送った体験から、男児の宗教的信念に配慮したがゆえ、最後の最後でその意志を確認させたものと思いこんでいたという。

「肩透かしを食ったよう」

だが、理事長に訊ねたところ、そう指示を出したのは、当人から輸血を希望する声を引き出せば、両親を動かせるという期待によるものであったとの言葉が返ってきた。これに大泉は「肩透かしを食ったように感じた」と書いている。

ドラマでもこれを踏まえて、最終的に理事長の指示で、患者の健自身の意志を確認することになる。医師のなかには、昏睡状態で自分の意志を言えるわけがないと疑念を抱く者もいたが、健に呼びかけ、ちょっとでもうなずいたら輸血することにしたのだ。

医師たちは健の顔を叩くなどしながら「手術しよう、な、生きたいだろう!」と必死に呼びかける。そばにいた昇もまた健の名前を叫んだ。しかしもはや手遅れだった。このあと、昇は妻のますみに、健が最後の最後で「生きたい」と言ったと打ち明ける。

「生きたい」と男児が言ったというのは、事件後に父のコメントとしてマスコミで報じられたものだ。本当に男児はそう言ったのか。大泉が病院側に訊ねたところ、現場にいた複数の医師が否定したという。証言によれば、医師らの声には何も反応しなかった男児だが、父親が「お父さんの言うとおりでいいんだな」と耳元でささやくと、うんうんとうなずいたというのだ。

となると、男児は父の意志にしたがって輸血を拒んだことになる。もちろん、はっきりとした意識のない状態であり、明確な輸血拒否とまではいえないだろう。だが、この男児のうなずきが結果的に、輸血を強行できなかった最大の理由となったのである。

とはいえ、男児は「生きたい」と言っていたと、父親が新聞記者に伝えたのはまぎれもない事実だ。大泉に対しても父親は次のように語っている。

《[引用者注――父親が子供の名前をその耳元で叫んだところ]口元が、かすかに動いた、それが、生きたい、と言ったように、私には見えたんです。でも、後で聞いたら、誰も確認できなかったみたいなんですね。でも、私にはそう見えたので、新聞記者に伝えたんです》(大泉、前掲書)

ドラマでは事件から1ヵ月半後のシーンで、昇があらためて、息子の健が「生きたい」と口にしたように見えたと、事件当日の当直医(演じるのは小日向文世)を相手に語っている。しかし、もし健がそう言ったとするなら、どういう意味でだったのか。医師がそう訊ねると、昇はこう答えるのだった。

《さあ……ふつう、五年生の子が生きたいかと聞かれたら、生きたいと答えるんじゃ……それ以上の意味は……》(日本脚本家連盟編、前掲書)

この答えは、大泉が最後に父親と会ったときに聞いた《ふつう、小学校五年ぐらいの子供が、死の瀬戸際に立って、生きたいか、と聞かれたら、生きたい、と答えると思うんですよね。それ以上の意味はないと思うんです》という言葉をほぼそのまま採用している。

ここから大泉は《彼は、父として一〇歳の息子を見たのだ。エホバの証人であろうとなかろうと、大[引用者注――息子の名前]は彼の息子以外の何ものでもなかった》と、事件を追いかける動機となった当初の疑問にひとつの解答を得たのだった(大泉、前掲書)。

「生きたいかと聞かれたら、生きたいと答えるだろう」という父親の言葉は、息子を救えなかった自責の念ともとれる。それだけに、ドラマのラストで、昇がすでにいない息子を相手にうれしそうにサッカーのゴールキーパーを演じる様子はせつなく感じられる。

なお、事件から3年後の1988年、神奈川県警と高津署は、医学鑑定の結果、男児は輸血をしても命は助からなかったものとして、両親や医師の刑事責任は問わず、事故を起こしたダンプカーの運転手だけを業務上過失致死容疑で書類送検する判断を下した。

この間、男児を受け入れた病院が、今後は輸血が必要とあれば、医師の判断で強行すると決定したほか、各病院がそれぞれガイドラインをつくって対応するようになる。

しかし統括的なガイドラインの素案ができるまでには、2008年まで待たねばならなかった。

医療関連学会5つからなる合同委員会のまとめた素案では、亡くなった男児のように義務教育を終えていない15歳未満の患者に対しては、医療上の必要があれば本人の意思にかかわらず、また信者である親が拒否しても輸血を行なうと定められた(大泉実成『説得 エホバの証人と輸血拒否事件』草思社文庫、2016年)。

自らの意志で手術を拒否したたけし

ところで、エホバの証人の信者が輸血拒否したのとは事情は異なるが、たけしもまた、自らの意志をもって手術そのものを拒否したことがあった。それは『説得』が放送された翌年、1994年8月にミニバイク事故で瀕死の重傷を負ったときのことだ。

一命をとりとめたたけしは、治療を続ける過程で主治医から、複雑骨折した頬骨などを治すため顔面の整形手術の必要性を説明される。当初は手術を拒もうとしたものの、状況としては拒否のしようがなかった。

整形手術を受けたのち、今度は顔面麻痺などの治療として、その原因と思われる神経の断裂を確認するための手術の承諾を求められる。だが、一通り説明を聞いたたけしは、きっぱりとこれを断っている。翌日、所属事務所の社長が医師からあらためて話を聞いて手術するよう説得したものの、気持ちは変わらなかった。

手術を拒否した理由をたけしは手記のなかで、《緻密な論理とか推論ではなく、動物的な勘だった》《確たる根拠などなかった。ただ、これまでの芸人生活で、大きな岐路にさしかかったとき、オレは自分の勘を頼りにやってきた、という事実だけがあった。その勘働きで生き残ってきた》というふうに説明している(ビートたけし『顔面麻痺』幻冬舎文庫、1997年)。

また、べつのところではこんなことも語っていた。

《医者と対決するんじゃないけれど、どこかの部分で自分を出しておかないと、誰でもない単に生かされているだけの人間になってしまう。そのぐらいだったら、死んだ方がいいってこともある。医者と自分、それから生死の問題。この三つを三角関係でうまくバランスを取って対応しないと、何のために生きているのかわからなくなるよ》(ビートたけし『たけしの死ぬための生き方』新潮文庫、1997年)

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【PHOTO】gettyimages

論理でも、ましてや信仰でもなく、たけしは「いままで自分の勘を頼りにやってきた」という体験から、医師の勧めを拒否したのだった。そうすることで彼はアイデンティティを守ったともいえる。

もっとも、2ヵ月近くにおよんだ入院中にたけしは、生きる目的をどういうふうに考えればいいのかと、釈迦やキリストの言葉をじっくり読んでみたいとも語っていた。そのために手塚治虫のマンガ『ブッダ』を読むなどしている。

だが、そこでわかったのは、仏教にかぎらず、あらゆる宗教は「人間はなぜこの世に生まれて死んでいくのか?」ということについて、本質的には何も言っていないし、どういうことをしろとも言っていないということだった(『顔面麻痺』)。

そんなたけしも、事故直後、意識が戻ってきたときには、自分の頭がどうにかなって、神様でも降りて来て、おまえはこういう存在であるとか、人生とはこういうものだとか、耳元でささやいてほしいと期待したこともあったという。しかしついに神も悪魔も現れなかった。これには正直、困ったという。

《顔はぐしゃぐしゃにしたけど、脳だけは損なわないようにしてくれた。どうも神様が、「たけしよ、自分で答えを出せ。そのために脳は残したんだぞ」と言ってるような気がした。「一所懸命考えろ」って。だから、とんでもない難しい宿題を出されたようで困ったんだ》(『たけしの死ぬための生き方』)

考えてみれば、この「とんでもない難しい宿題」を出した神とは、たけしが事故以前からことあるごとに語っていた「自分を客観的に見るもう一人の自分」ではなかったか。

少年時代よりすでに、ペンキ屋だった父親の仕事を嫌々ながら手伝っているとき、「あ、たけしだ」などと言われると、彼の心のなかには「これは本当のおいらじゃないんだ」と思っているもう一人の自分がいたという(『アサヒ芸能』1993年5月6・13日号)。

以来、たけしはそのもう一人の自分に支えられ、ときには突き放されながら、人生の岐路に立つたびに選択してきたのだ。そうした生き方を思えば、『説得』でたけしが演じたエホバの証人の信者は彼からもっとも遠い役柄であったともいえる。

『説得』の父親は、宗教を超えたところで息子の存在のかけがえのなさに気づいた。だが、事件後、一般の人なら悲しみに打ちひしがれるであろうところを、家族で頑張って来られたのは、息子が復活することを信じているからだとも、同書のなかで語っている。けっきょく信仰が彼ら家族の心のよりどころであることは、事件後も変わりなかったのである。

これに対してたけしは、事故に遭ってから、宗教を超えたところで人間の生き死にについて考えようとする。もっとも、それは事故以前のたけしとほとんど変わりない態度だったともいえる。

実際、彼は事故から復帰後、事故の体験を何か特別なものとして語りたくはないと、次のように明言していた。

《これからテレビとかに復帰する時に、ワイドショーとかいろんなことするんだけど、下手すると、一回死にかけた男とか、帰ってきた男の意見みたいなことを言われたらかなわねえなと思ってるんだ。(中略)「たけしさんは、一回ひどい事故で死にかけたんですけど、そこからどんな意見がありますか?」なんて言われたら、なにもないよ(笑)。ただバイクで倒れただけっていう、それだけの問題であってね。

こっちはいろいろ考えるけども、それを前面に出して生きていきたかない、ぜんぜん》(中沢新一との対談「生と死の境で」、『大真実 これからを生きるための43章』、『新潮』1995年4月臨時増刊)

このとき彼は、入院しているあいだ自分が重病人となったコントなどを考えていたと冗談めかして打ち明けてもいた。一時は死の淵に立たされながら、それすらも笑いに変えてしまおうという態度は芸人ならではだ。

しかし、芸人なら誰しもそれをできるわけでもないだろう。自分を突き放し、ときには笑い飛ばしてしまうことこそ、たけしのたけしたるゆえんであり、かつて若者たちから教祖と崇められた「カリスマ性の本質」ともいえるのではないか。

(以下、最終回へつづく)

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