知れば世界の見え方が変わる「中動態の世界」

  • Forbes JAPAN
  • 更新日:2018/01/14
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人生は選択の連続だ。きょうのランチで何を食べるかから転職先をどこにすべきかまで、私たちは日々何かを選びながら生きている。

だがここでひとつ疑問が浮かぶ。私たちが何かを選ぶとき、それを選んでいるのは誰だろうか? もちろん「自分」と答える人が圧倒的に多いだろう。だが、そういう人には重ねてこう問いかけてみたいのだ。「選んでいるのは本当にあなたですか?」と。

たとえばこんな経験はないだろうか。

年始に「今年こそダイエットをする」と目標をたてたあなたは、ある日仕事帰りに寄ったコンビニで新作のアイスクリームが発売されているのを発見する。ついこの間、ダイエットを誓ったばかりのあなたは迷うはずだ。新年早々誓いを破るようではあまりに意志が弱すぎる。頭ではそう理解出来てはいるものの、そのアイスは大好きなブランドのものだし、どうしても食べてみたい。理性とは別の強い欲求が湧き上がってくるのをあなたは押し止めることが出来ない……。

結局、アイスに手を伸ばしてしまった。この時、あなたにアイスを手に取らせたのはいったい誰だろうか?

もしかしたらいたずらに話をややこしくしていると思われているかもしれない。だがたとえばこれがアルコール依存症の患者だったらどうだろう。この手の葛藤は彼らが日々直面しているものだ。

昔、ある依存症の患者グループを取材したことがある。その時の患者の話が忘れられない。その人は日々の暮らしをこんなふうに表現した。

「私たちは毎日、湖に張った薄い氷の上を歩いているようなものなんです」

この言葉の裏には、時には冷たい湖に落ちることもあるという現実が含まれている。そんな時、彼らは強烈な自責の念に駆られてしまうという。

「やっぱりあいつは意志が弱い」

周囲の人たちをそんなふうに失望させてしまったに違いない──。そう思うと、後悔と恥ずかしさに押し潰されそうになって、いっそ破滅してしまったほうがましとばかりに自暴自棄に拍車がかかってしまうのだという。

意志の強さですべてが判断されてしまう世の中はなんとも窮屈だ。「意志」とセットで語られがちなのは「責任」や「主体」、「自己」といった言葉だが、世の中には意志が弱い人だっているし、責任を負うのは苦手という人だっている。にもかかわらず、社会では意志の強さや自己の確立を求められることが多い。

『中動態の世界 意志と責任の考古学』國分功一郎(医学書院)は、そうした風潮にでっかい風穴を開ける一冊だ。

読書の醍醐味をひとつだけあげろと言われたら、迷わず「読んだ後に世界がまるで違って見えるようなスゴイ本と出合えること」と答えるが、本書はまさにそういう一冊である。いや、そんな表現ではとても足りない。本書はあなたに、まさに世界観の転換といっていいくらいのインパクトをもたらすだろう。

世にあふれる自己啓発書には、「人生に能動的に関わる生き方と受身の生き方ではどちらがいいか」みたいな問いかけがしばしば見られる。これまでであれば、何の疑問も抱かずにスルーしてしまうところだが、本書を読んだ後ではそうはいかない。そもそもこの問いかけは間違っている。なぜなら世の中には「能動」と「受動」の区分けしかないということを前提にしているからだ。

本書は世界にはかつて「中動態」なるものが存在していたことを教えてくれる。私たちが慣れ親しんでいる「能動=active」と「受動=passive」は、動詞の「態=voice」を表す文法用語だが、これらに加えて過去には「中動態=middle voice」なるものが存在したというのだ。著者はインド=ヨーロッパ語から出発して、かつては日本語にも中動態があったことを示す。

「能動」と「受動」の区別は、すべての行為を「する」と「される」とに振り分ける。この二分法はあまりに強固で、いちどこの考えを所与のものとしてしまうと、「能動」と「受動」以外のあり方をなかなかイメージ出来なくなってしまう。名だたる哲学者のほとんども、当然のことのようにこの区分けを前提にして「意志とは何か」について論じてきた。だが、「する」と「される」という単純な二分法だけでは、意志の問題を論じることは難しい。

たとえば「昼食にはラーメンを食べたいが、友だちが蕎麦にしようというので仕方なく蕎麦にする」といったケースをどう考えればいいだろうか。

世の中にはこういう「仕方なく〇〇する」というケースがたくさんある。というか、仕事なんて「仕方なく」だらけではないか。もっとも仕事の場合は「仕方なく」の裏に「イヤイヤ〇〇する」というニュアンスがあるが、依存症患者の「仕方なく」は切実だ。なぜなら本当にどうしようもなくその行為をしてしまうからである。

「酒を飲んでは駄目だとわかっているのに飲んでしまった」「ギャンブルをしてはいけないとわかっているのに買ってしまった」わかっているのにしてしまうのは、本人の意志に基づいた能動的な行為だ、とこれまでは考えられてきた。だが本書でひとたび「中動態の世界」を知った者は、そうした断罪の仕方に疑問を抱くようになるだろう。

私たちは自由にものを考えているつもりになっている。だが、私たちの思考の可能性は、実は言語によって大きな影響を受けている。そして言語は、歴史や社会によってその姿を変える。私たちが当たり前のように使っている言葉の外側には、私たちが知らない別の豊かな世界が広がっているかもしれないのだ。

中動態という歴史の地層に埋もれた概念を発掘していく過程がスリリングなのはもちろん、思考の幅を拡げていくにはどうやればいいかということも著者自らが実践してみせてくれている。こんな哲学書にはそうそうお目にかかれない。本書はおそらく今後、哲学本の古典となるだろう。

中動態はなぜ姿を消したのか。意志の強さが評価されるような社会が出現したのはなぜか。そして私たちが中動態を取り戻した時に、世界の見え方はどう変わるのか。ぜひ本書を手にとってあなたも一緒に考えてみて欲しい。

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