チェ・ゲバラ没後50年! キューバ革命の英雄の遺体が30年以上も行方不明だった理由

チェ・ゲバラ没後50年! キューバ革命の英雄の遺体が30年以上も行方不明だった理由

  • HEALTH PRESS
  • 更新日:2017/10/12
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写真左下がゲバラの墓標(撮影:西牟田靖)

チェ・ゲバラが亡くなった1967年10月9日から、今年でちょうど50年になる。

ゲバラといえばフィデル・カストロらとともにゲリラ戦を戦った末、キューバ革命を完成させた伝説的な人物だ。そんなゲバラは39歳でボリビアの山中で客死している。亡くなったことは確認されたが、その後、遺体のありかは30年間にわたって、わからなくなってしまった。

彼はなぜボリビアの山中で亡くなったのか? そして、なぜ30年も経ってから、彼の遺骨は発見されたのか——。

1967年10月、ボリビアで拘束され銃殺

1959年、革命が成立した後に、ゲバラはカストロらとともにキューバ政府の中枢を担うことになる。その当時、大臣を経験したり日本を訪れたりしたが、そうした安定は長く続かなかった。冷戦の真っただ中、彼はキューバ政府での地位や家族との暮らしをなげうって、革命の旅に出たからだ。

彼が命を落とすことになる南米ボリビアへ渡ったのは1966年11月。目的は南米全体の革命を目指すため。そのためには大陸の中央に位置するボリビアが最適だと彼は思ったのだ。

ゲバラは部隊を率いてゲリラ戦を行った。しかし、キューバのように農民たちの支持は広がっていかなかった。食糧は足らず、飢えにも悩まされた。そして次第に、ボリビアの特殊部隊らによって追い詰められていく……。

当時、ボリビアは、アメリカの傀儡国家だった。そのため、ボリビアの特殊部隊は、アメリカのCIAによって訓練されていたのだ。

1967年10月8日、ボリビアの南東部にある2000メートルを超える渓谷で挟み撃ちにされたゲバラは脛を撃たれ、あえなく拘束されてしまった。しかし、すぐには殺されず、そのままヘリコプターで近くにあるイゲラ村へ運ばれた。そして教室が2つしかない平屋の校舎に、両手両足を結ばれた状態で監禁される。

ゲバラは銃殺をためらう兵士に向かって「おい、撃て、恐れるな」と叫んだという。ゲバラの強い気持ちに圧倒された兵士は、なかなか撃てず、致命傷を外したまま教室の外に出ようとした。

しかし、仲間の兵士たちから「意気地なし」となじられ、奮起した末にさらに2発、首筋と胸に銃弾を撃ち込んだ。それでもまだ絶命していなかったゲバラを、最期は仲間の兵士が至近距離から心臓をめがけて発射し、ようやく殺害に至った。ゲバラの絶命は翌10月9日の午後1時ごろであった。

3時間ほど経った午後4時すぎ、ゲバラの遺体は60kmほど離れたバジェ・グランデという町にヘリで運ばれる。町へ到着すると、彼の遺体は町の病院に安置され、医師による検死や、遺体の一般公開が行われた。と同時に、軍により「8日の戦闘によってチェ・ゲバラは死亡した」と公式発表がなされた。

翌日も病院では、ゲバラの遺体が公開される。国を転覆させようとした外国人のゲバラとはどんな男なのか――。一目見ようと一般市民が大勢が押し寄せた。

公開が終わると、ゲバラは両手を切り落とされ、石膏によってデスマスクを取られた。両腕を切断されたゲバラの遺体は11日未明に運び出され、それ以降、どこにあるのか、公開されることはなかった。

1年半に及ぶ調査の末、1997年6月28日に遺骨を発見

ボリビア政府は後ろめたさを感じていたのかも知れない。裁判を受けさせず、ゲバラを殺害し、「戦闘中に亡くなった」という嘘の発表したのだ。しかも、それが嘘だとわかれば、世界中から非難を浴びかねない。

そのことを何より恐れたために、ゲバラの遺体のありかをボリビア政府は隠蔽し続けた。そのため「火葬された」「軍の敷地内の井戸に沈められた」「他国に持ち出された」などというデマが流され、死の真相はボリビア政府の箝口令によって隠され続けた。

しかし、四半世紀が経ったある日、事態は急展開を見せる――。ボリビア陸軍のある中尉が、自身の処遇に不満を持ったことから、外国人記者に「ゲバラの遺体はバジェ・グランデの空港と共同墓地の間に埋められている」と明かしたのだ。

そのニュースは世界中に報道され、事態は一変した。ボリビア政府はもはや隠しきれなくなった。

キューバとアルゼンチンの考古学者たちによる発掘チームが、1995年から1年半に及ぶ調査の末に、ゲバラら7人の遺骨を発見した。キューバは言わずもがなだが、アルゼンチンのチームが加わったのは、ゲバラの祖国だからだ。

アルゼンチン側の持ってきたカーボン探査機によって、調査は進展した。これは地中にある骨に反応するもので、もともとは恐竜やマンモス発掘用のものであった。これを使うことで、滑走路の一箇所に、かなりの骨が埋まっていることがわかったのだったのだ。

これにより1997年6月28日にゲバラやそのほかの同志6人の遺骨が発見された。町外れにある滑走路脇の土の中に、ゲバラはうつぶせで、白骨化した状態で発見された。遺体には、緑色の軍服がかけられていた。

遺体はすべてDNA鑑定で特定されたが、ゲバラの場合、それ以外の決定的な特徴は遺体にあった。それは、両手が切り落とされていたことであった。

彼の遺骨が発見された場所は、現在、博物館となり、町(バジェ・グランデ)の観光資源として役立てられている。また、処刑されたイゲラ村の小学校も博物館となり、村にはゲバラの大きな立像や胸像が建てられている。イゲラ村やバジェ・グランデは、アルゼンチンをはじめとするゲバラ信奉者たちのひそやかな聖地となっているのだ。
(取材・文=西牟田靖)

西牟田靖(にしむた・やすし)
ノンフィクション作家。1970年大阪生まれ。神戸学院大学法学部卒。日本の領土問題や、戦後の植民地・戦地からの引揚問題など、硬派なテーマを取材執筆。著書に『僕の見た「大日本帝国」』『誰も国境を知らない』『本で床は抜けるのか』など。

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