日ハム・白村に送りたい、投手→打者転向の成功者・雄平の言葉

日ハム・白村に送りたい、投手→打者転向の成功者・雄平の言葉

  • Sportiva
  • 更新日:2019/04/16

ヤクルトの試合前練習でのこと。雄平は石井琢朗打撃コーチとのティーバッティングで一心不乱にバットを振り抜いていた。そしてティーバッティングが終わり、雄平がとびっきりの笑顔を見せると、練習を眺めていた河田雄祐外野守備・走塁コーチが「雄平! まぶしすぎるから、そのすばらしい笑顔をやめてくれ」と、たまりかねたように叫んだのだった。

「なんか照れちゃってね(笑)。あの笑顔には癒されていますよ。なにより、34歳になってもまだうまくなりたいと、守備や走塁にも向上心を持って取り組んでいる意識がすばらしいですよね。僕はその手助けができればと思っています」(河田コーチ)

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今季も開幕から「不動の5番」としてチームを引っ張るヤクルト・雄平

雄平のプロ17年目、打者として10年目のシーズンが始まった。2003年にプロ入りしてからの7年間は投手として18勝19敗の成績を残すも、制球難を克服できず、2010年に打者転向となった。

2011年にはファームで規定打席到達者のなかでトップの打率.330を記録。打者として順調なスタートを切ったが、一軍のレギュラーをつかみかけた2013年に右ひざ前十字靱帯断裂。それでもその翌年、見事な再起を果たし打率.316、23本塁打の大活躍。2015年には14年ぶりの優勝を決めた試合でサヨナラヒット。昨年も5番打者として打率.318をマークするなど、今や欠くことのできない主軸としてチームを牽引している。

「ピッチャー時代を考えれば、ここまでやれるとは想像もしていませんでした。最初は一軍でレギュラーになりたいとか、一軍のレギュラー選手と比較することすらなかったですから」

雄平は「打者としてのスタートが遅かったので、走攻守すべてにおいて、ほかの選手より何倍も練習しようと意識していました」と、野手に転向した当時を振り返った。

「二軍では試合後に1時間の特守をして、それが終わればバッティングとウエイトでしたね。本当に体が疲れ果てるまで、毎日練習しました。オフシーズンも毎日1000スイングしていましたし……ピッチャーを7年やったといっても、まだ25歳くらいでしたからね。たくさん練習できる体だったので、そこはすごく大きかったと思います」

とはいえ、プロで7年間もピッチングに打ち込んだ人間にとって、打者転向は戸惑いの連続だったのはないか。

「壁にぶち当たったかと聞かれれば、本当にゼロからのスタートだったので……ポジティブというか、ヘタクソな人はうまくなるしかないんですよ。この感覚わかりますか? ほとんどが失敗なんですけど、ちょっとずつうまくなっていく喜びがあり、練習はすごく楽しかったですね。バッティングはピッチャーが投げたものに対して受身なのでちょっと違うんですけど、守備や走塁での打球判断やスタートなど『あっ、やりたいことができた』とか、ちょっとした喜びが積み重なっていくことで『もっと、もっと』という気持ちになってきました。

レギュラーになりたいという意識が明確になったのは、一軍に昇格してからで、試合で打てたら『もっと打ちたい』ってなるし、打てなければ『悔しい』と。そうなると、今度はたくさん試合に出るにはレギュラーになるしかないんだと……」

野手として結果を残せた要因について聞くと、「コーチや先輩方のアドバイスがすべて正しいと思って、それに挑戦できたことじゃないですかね」と言った。

「打ち方はもちろん、守備や走塁でも、ほんとうにたくさんのことを試しました。自分には合わないことだったり、アドバイスを理解しきれなかったりしましたが、挑戦を続けることが進歩の重要な要素だと思っているので……。この考えは今も同じです」

まもなく終わろうとしている”平成”の時代に、投手から打者に転向して活躍した選手は、雄平のほかにもいる。

「嶋(重宣/現・西武コーチ)さんや糸井(嘉男/現・阪神)さんの存在には勇気づけられました。ふたりとも首位打者になっていますし、嶋さんは高校(東北高校)の先輩でもあります。僕はふたりを追いかけて練習してきました。

また西武の木村文紀とは、お互いが投手の時にハワイのウインターリーグで一緒にプレーしたという”不思議な縁”もあり、「今はふたりとも一軍にいますけど、ファームにいる時はよく話をしましたし、仲間意識があります。今も成績をチェックしながら、応援しちゃうというか……」と言って笑った。

そして、今年2月に打者に転向した日本ハムの白村明弘からは、オフに日本ハムからヤクルトへ移籍してきた高梨裕稔を通じて連絡があったという。

「細かい話はまだですが、何かあったらいつでも聞いてくれと伝えました。まずは、どんどんトライしてほしい。経験を重ねることでわかることもあるし、ティーバッティングひとつにしても。ほかの選手よりも”感覚”がないわけですから……。ただし、ただやみくもに数だけを振っても意味はないので、しっかり考え、感じ取りながら数をこなすということですね」

じつは、ヤクルトには石井琢朗打撃コーチと宮出隆自打撃コーチという、投手から打者に転向した経験があるふたりのコーチがいる。

「宮出さんはピッチャーの時から知っていて、琢朗さんは2000本安打のイメージが強すぎて転向していたことをたまに忘れちゃうんですけど(笑)。そうした経験者がコーチにいてくれて、僕は運がいいなと思います。毎日、バッティングについて話をしてくれますし、本当にありがたい存在です」

雄平は昨シーズンの練習中に「僕にはまだまだ”伸びしろ”があります」と、石井コーチ、宮出コーチ、宮本慎也ヘッドコーチの前で言ったことがあった。

「僕は技術的にも未熟なところが多いので、その部分が伸びしろになると思っています。今、練習であれだけ飛距離が出ているということは、試合でも同じタイミングで同じスイングができれば、数字も一気に伸びるはず。もちろん、試合となればボールは速いですし、(対戦する投手は)いろいろな球種を投げてくるので難しいのは当たり前です。でも、考え方だったり、タイミングの取り方だったりがまだアジャストできていないからで、それができるようになればもっとよくなると思うんです。そういったところで、細かい調整やタイミングの取り方がまだまだ上手じゃないので……そこらへんですね」

石井コーチに雄平について聞くと、「向上心の塊ですよね。それに尽きます」と言った。そして”伸びしろ”について話を向けると、「あとは頭の伸びしろだけ」といたずらっぽく笑うのだった。

「雄平は投手としての実績は僕らよりもあるわけだから、もっと投手心理で考えたらバッターボックスで余裕が持てると思うんですけどね。僕も現役の時は、自分なりにピッチャーの心理状態を考えながらやっていました。それだけで数字は変わってくると思うんです。伸びしろということでは、あの年齢で粗削りな部分だらけですからね(笑)。そういう意味でも、ふたりで『40歳でキャリアハイに持っていこう』と話をしていますし、その可能性を感じさせてくれる選手です。それが雄平らしさで、こじんまりしたらアイツらしさが消えてしまう気もするんだけど、いま言ったように頭の伸びしろというか、まだまだ変わる要素はあると思っています」

雄平に石井コーチとの話を伝えると、苦笑いしながらこう言った。

「わかっていますが、なかなか難しいんです(笑)。もちろん、投手経験を利用したいんですけど、配球に関しては正解がないので。とにかく狙ったボールが来たときは、練習どおりに自分のポイントで打てるかどうか。そこの精度を高めることを意識しています。これもなかなかできないんですけどね(苦笑)」

4月7日、朝8時30分。午後1時からのデーゲームのこの日も、雄平は全体練習前に早出のティーバッティングを始めていた。小川淳司監督が雄平の姿を見つけて歩み寄ると、「朝からティーをやりすぎじゃねーか(笑)」と、うれしそうに声をかけていた。

「僕は技術的に足りてないことがたくさんあるので、キャリアハイには(40歳になるぐらいまでの)月日が必要なのかなと。もちろん、今日にでも『これだ!』となればいいですけど、やっぱり地道に一日一日を過ごすことが大事だと思っています。とにかくトライしなければ、同じ結果が続いてしまいます。維持することも悪いことじゃないんですけど、レベルアップすることがひとつの喜びですからね」

すっかり打者として貫禄がついた雄平だが、気持ちだけはいつまで経っても投手から打者に転向した時と変わらない。雄平は永遠の若手なのかもしれない。

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