みなさん、「ヤングケアラー」をご存知ですか?
こども家庭庁によると「ヤングケアラー」とは、本来大人が担うと想定されている家事や家族の世話などを日常的に行っているこどものことです。責任や負担の重さにより、学業や友人関係などに影響が出てしまうことがあると言われています。
もう少し具体的にイメージできるように事例を二つ紹介します。まだヤングケアラーという言葉が知られていなかった頃から、家族の介護やそこから生まれるさまざまな悩みを抱えるこどもがいました。そんな元ヤングケアラーの二人の事例です。
元ヤングケアラーの事例①:金子萌さん(20代)、認知症の父をケア
高校2年生の頃から、若年性認知症とパーキンソン病を発症した父親のケアをする金子さん。母親と一緒に、着替えの手伝い、食事、入浴、排泄などすべてのケアをしています。
朝起きてから夜寝るまで、体格のよい男性を支えてケアをするという肉体的な負担、そして認知症が進行し、変わっていく父親が受け入れられないという精神的な負担がありました。
「普通の高校生、大学生でいたかったし、可哀想な子と見られたくなかった」と金子さんは言います。父親のことを友人や担任の先生、周りの人に伝えることはできませんでした。
金子さんは自分だけが不幸で悲しいと感じていました。そんな時、友達の母親が乳ガンを発症。彼女ならわかってくれるのでは?と悩みを打ち明けると、「何か大変なことがあったらいつでも言ってね」と理解され、心が軽くなったそうです。
「話を聞いてくれるだけで、味方でいてくれているというのが伝わって楽になる」と金子さんは語ります。
現在、金子さんは在宅介護の経験を活かし、在宅介護者のケア事業を行う会社、株式会社想ひ人を立ち上げ、経営を行っています。
そんな彼女が周りの人に求めるのは「寄り添い」。特別扱いではなく、困ったときに味方になってくれる人がもっと増えてほしいと望んでいます。
元ヤングケアラーの事例②:仲田海人さん(30代)、きょうだいヤングケアラー
小学校高学年の頃から、3歳上の姉のケアを日常的に行っていた仲田さん。イジメがきっかけで統合失調症という精神疾患を抱えた姉は不登校となり、昼夜逆転の生活をしていました。様々な悩みを抱えた彼女の相談を夜な夜な受けるという毎日だったそうです。
当時の出来事を振り返りながら、「学校から帰ると姉が暴れていて警察が来ることもあったし、包丁を振り回したり、物を投げたり。喧嘩の仲裁をすることも多かった」と仲田さんは語ります。常に神経が張り詰め、睡眠時間も少なく、自律神経失調症の症状も出ていたそうです。
当時、工学部に行きロボットをつくりたい!という夢をもっていた仲田さん。しかし、父や母、姉も苦しんでいる状況で、自分だけが家から離れて自由になって良いのか?という後ろめたさがあり、夢を断念したそうです。
仲田さんが周囲に期待するのは「ヤングケアラーのこどもとの適切な向き合い方」です。「もしやりたいことができないことをこども自身が理解した時には、選択肢を提示して応援できるような大人の存在が大切」と考える仲田さん。こどもとちょっと先の未来について一緒に考え、こどもにやりたいことがあればその背中を押してほしいと望んでいます。
ヤングケアラーについて大切なのは、正しく知ること
上記で紹介した事例だけではありません。
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―家族に代わり、幼いきょうだいの世話をしている。
―目を離せない家族の見守りや声かけなどの気づかいをしている。
―家計を支えるために労働をして、障害や病気のある家族を助けている。
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一見して「家の手伝いをしている」「ふつうのことをしている」と思うかもしれません。しかし、これらの家族の世話などが日常的となることで、学校生活に影響が出たり、こころやからだに不調を感じるほどの重い負荷がかかっている可能性もあります。
ヤングケアラーについて大切なのは、正しく知ることです。「こども家庭庁」のウェブサイトに、ヤングケアラーのことを詳しく学べるコンテンツがありますので、ぜひご覧ください。
最後に
ヤングケアラーが相談できる場所、ヤングケアラーを一人にしない場所が少しずつ広がっています。ヤングケアラーが「自分は一人じゃない」「誰かに頼ってもいいんだ」と思える、「こどもがこどもでいられる街」をみんなでつくっていきましょう。