EV化?DX推進?その先は電力危機が経済・社会をぶっ壊す

EV化?DX推進?その先は電力危機が経済・社会をぶっ壊す

  • 現代ビジネス
  • 更新日:2021/06/11
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世界の「ベンチがアホやから」電力危機が起こる?

世界の電力が今後大きく不足し、「電力危機」を含む大きな厄災を人々に与え、「経済・社会混乱」の大きな原因にもなると考えている。

自由市場の経済活動の結果、電力不足になる部分ももちろんある。しかしそれをさらに加速するのは、科学的根拠が無い「(人類が排出する)二酸化炭素による地球温暖化論」と言える。

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by Gettyimages

残虐な宗教裁判を行った中世のカトリックあるいは戦前の日本の軍国主義のように世の中に蔓延し、「太陽が地球の周りをまわっている」(天動説)という非合理的な妄想が世界に広がることが「電力不足」の大きな原因になるであろう。

・2019年10月9日公開の「『地球温暖化騒動』の『不都合な真実』に目を向けよう」
・2019年10月22日公開の「日本人が知らない『温暖化対策』巨額すぎる無駄なコスト」
・2020年9月23日公開の「環境保護はそんなに儲かるのか?――膨大な対策費が闇に消えている」

などの記事で、「地球温暖化論の欺瞞」と「利権構造」について述べた。

例えば神父に「神の存在は否定されました」と言っても受け入れない。もし神が存在しなければ、教会もまったく無意味なものであり、神父も失業してしまうからだ。

同じように、地球温暖化論の利権で生計を立てている人々は、いまさら「地球温暖化論が間違い」であることなど認めるわけにはいかない。だから、科学的議論を一切行わずに「信じる者は救われる」という布教をするのだ。そして、恐ろしいことにそれが成功してしまっている……

もちろん、古代に宇宙人がやってきてギザのピラミッドを建設したという話を100%否定することが「悪魔の証明」と呼ばれて現実にはできないのと同じように、地球温暖化論についても「悪魔の証明」は難しい。

しかし、100万歩譲って地球温暖化論を前提にしても、「電動化」の推進はその対策としては、まったくもって無意味だ。

・2018年8月27日公開の「騙されるな、空前の電気自動車(EV)ブームは空振りに終わる」
・2020年12月19日公開の「本当はエコではない電気自動車の『強制』は地球環境にとって必要か?」
・5月18日公開の「水素エンジンはハイブリッドのように大ブレイクするか?」

で、EVの強制が全く馬鹿げていることを論じてきた。

そもそも、EV化など電気を爆食いする政策を進めるのにも関わらず、肝心の電気を大量に供給する方法にめどが立っていない。いわゆる再生可能エネルギーなど、クリーンエネルギーが、現代文明の巨大な電気需要を賄うとは考えられないのだ。

「電気を使う」ことばかり注目して、電気を供給する「発電」をないがしろにするのはどうかしている。現代文明をすべて「電化」するには、膨大な電力が必要だ。例えば、日本を走る自動車がすべてEVになることを想像すればすぐにわかる。

しかも、昨年5月6日公開の「原油先物マイナスでも『世界は化石燃料で回っている』と言えるワケ」で述べた化石燃料をないがしろにする行動を続けていれば現代文明は「電力不足」あるいは「エネルギー不足」で大打撃を受ける可能性が高い。

それでなくても、4月30日公開の「いよいよ『大転換』の時代に突入…『インフレ』と『金利上昇』はすぐそこまで来ている!?」で述べたように、食糧・エネルギーが主体のインフレで経済が大きな影響を受けようとしているのだ……。

「電気時代」を維持できるか?

石器時代、青銅器時代、鉄器時代という歴史区分がある。その流れに沿えば、エジソンの電球発明(1879年)以来の世の中を「電気時代」と定義することができるかもしれない。

また、1800年頃の産業革命以後、蒸気機関などの「機械」によって世界は大きく変貌した。その意味では、産業革命以後を「機械時代」と呼んでもかまわないだろう。現在の電子コンピュータも電気で動く装置=機械の中に含めることができる。

ここで気になるのが、電気は「石器」や「鉄器」のような道具なのかということである。

蒸気機関を動かすためには石炭、自動車のエンジンを動かすにはガソリン(原油)が必要だが、石炭時代や原油時代という言葉はあまり使われない。同じように「電気時代」という言葉も一般的ではない。それらは、鉄器や石器と違って「道具」ではないとされていることも一因であろう。

しかし、電気は石炭や原油と違って、エネルギーであるとともに「道具」としての側面も持っていると考える。

もっと言えば、電気は「エネルギーと道具の性質を兼ね備えている」のだ。つまり、エネルギーと道具の間を取り持つ「仲介役」と考えるべきなのである。

電気を溜めるのは非合理だ、「流れるもの」だ。

生物の体内には電気が流れているし、人体も同様だ。特に脳から流れる電流は脳波として一般的に知られる。だから、人間の脳は「電気回路」のようなものだと思われがちだが、実際には、人体を流れる電流は化学反応の結果生まれるものであり、脳のシナプスなどでの情報伝達にも化学反応が大きく関わっている。

つまり、「生物の動力はあくまで化学反応であり、『電気は化学反応の結果流れるもの』」と考えるべきなのである。

要するに、化学反応の結果電気を生み出し、その電気が「生物機械」を動かすための「仲介役」に使われているということだ。まさしく、電気がエネルギーと道具の中間的役割を果たしていることになる。

また、自然界で「電気(エネルギー)を採掘」することはできない。雷、静電気等色々な電気が自然界に存在するが、生まれるとすぐに消えてしまい、まとまった形で長時間残ることはない。

つまり、電気は「自然界では流れるものであり、その流れるものを溜めるのは反自然である」=とても困難ということだ。

電気をエネルギーとして使用する場合の最大の難関は「(電気を溜める)電池」だが、この部分が常に技術的問題になるのは、「自然界では電気は流れる」ものであるからだ。リチウム電池だ!全固体電池だ!と騒いでも、なかなか前へ進まないのは、「電気を溜めることが反自然的行為」であるからだと思われる。

実際、電池の性能は「陽極と陰極の電位差」に大きく依存する。つまり、プラス極とマイナス極にどのような材料を使うかによって電池の基本性能が決まるのだ。しかし、陰極は黒鉛(グラファイト)をしのぐ材料が長年見つかっていない(最近亜鉛が話題になっているが、2次電池用としての実力の程はまだ不明である)。

陽極にはもう少しバラエティがあるが、こちらも多くの物質がすでに試されており、画期的な性能を持つ材料が発見される可能性は低いと思う。だから、いくら世の中が騒いでも、「革命的性能」の電池はこれからも現れないのではないかと考える。

また、電気を溜めるのが難しい例としてわかりやすいのは、原油はタンクを準備すれば日本全国の使用量の180日分ぐらいの備蓄は簡単にできるのに、電気の場合は、たった1日分でさえ、現在の技術では無理だという事実である。

私が、前述の「騙されるな、空前の電気自動車(EV)ブームは空振りに終わる」、でハイブリッド車が本命だと述べたのも、「溜めることが難しい電気をガソリンの形(エネルギー)で持ち運び、その場で発電して極力電気を溜めない仕組み」が極めて合理的だからだ。

自動車に限らず、エネルギーを化石燃料などの形で保管し、必要に応じてその場で発電するのが最善の手法なのである。

原子力は……

「自然光」を発生させる太陽も、巨大な原子力発電所といえる。ただし、我々が地上で運用している「核分裂」を利用した原子力発電ではなく、「核融合」によるから原理は異なる。

「核融合発電」もしばしばメディアを賑わしてきた。しかし、核融合を行っている太陽中心部の温度は約1500万度。光の速度は秒速約30万キロだが、核融合で生まれた光子が表面に出るまで10万年かかるとされる高温・高圧という超絶環境下で行われる反応である。したがって、地球上でやすやすと実現可能な代物ではない。

当面は「核分裂」による原子力発電だけが頼りだが、福島原発のような事故の恐怖がある。

最近話題になっている小型原子炉は冷えやすい(小型の方が体積に対して表面積が大きい)ことなどから、事故の際の制御を行いやすく安全だと言われる。

たしかに、既存の原子炉よりも安全かもしれないが、「核廃棄物」の問題は変わらない。我々世代にとっては大きな問題にならないだろうが、「未来の人類」には厄災でしかない。

そのような危険物質を後世に残すくらいなら、現代の我々が煤煙にまみれた生活をしたほうがましだとも思う。「核廃棄物」ほど環境を破壊するものはない。

再生可能エネルギーだけでは文明を維持できない

電気というものは、まとめて発電して溜めておくのが難しいということは、これまで述べてきたとおりだ。

現在、我々が安定した電力供給を受けることができるのは、原油を始めとする化石燃料による発電などで「必要な時に必要な電力を供給する仕組み」を持っているからである。

ところが、太陽光、風力などのいわゆる再生可能エネルギーの発電は、要するに「お天気任せ」だ。蓄電池に溜めて必要な時に放出する手法も取り入れられているが、すでに述べたように電気の備蓄は「1日分」でさえ困難である。

このまま化石燃料(さらには原子力)を敵視して、「お天気任せの発電」に頼ることの強制を続けると「電気文明」崩壊の危機さえあると考える。

すでに電力不足が始まっている

化石燃料も原子力も使わないで電力供給を増やすのは、打ち出の小槌を要求するのと同じだ。そして、すでに「電力不足」が始まっているともいえる。

経済産業省が5月14日、2021年7~8月と22年1~2月は電力需給が逼迫するとの見通しを明らかにしている、特に、夏はここ数年で最も厳しく、冬は東京電力管内で電力不足が生じる恐れがあると伝えられる。

同じ日の記者会見で梶山弘志経産相は、逼迫の理由について「近年、事業環境の悪化などで火力発電の休廃止が相次いでいる」と述べている。脱炭素の流れなどから電力会社の火力発電所は縮小傾向で、電力の安定供給に支障が出やすい状況となっているとのことだ。

この状況で、EV化推進などと叫ぶのは、正気の沙汰とは思えない。

「地球温暖化論」によって、我々の経済・社会が壊滅的打撃を受けないよう願うばかりである。

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