中国の人口減少 日本メディアの報道ほど単純ではない

中国の人口減少 日本メディアの報道ほど単純ではない

  • Wedge ONLINE
  • 更新日:2023/01/25
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1月17日、中国国家統計局が世界一の人口大国である中国で人口が減少に転じたことを明らかにするや、早速、わが国メディアからも喧々囂々とさまざまな議論が聞かれるようになった。

――「世界の工場の維持は危ない」「世界第2位の経済大国からの転落は不可避だ」「人口でそうであるように、経済規模でも程なくインドに追い抜かれる」「膨大な〝おひとりさま男子〟を抱えるイビツいな社会は目前だ」「結婚への経済的ハードルが高すぎるから、若者が結婚を避けるのだ」「超高齢化社会に突入し、2050年には1億人の独居老人を抱えることになる」など――

確かにそうだろう。このまま人口減少に歯止めが掛からず、少子高齢社会化が加速するなら、習近平政権が突き進んできた富強・大国化路線は、いずれ頓挫の憂き目を見るかもしれない。最悪の場合には、1950年代末に毛沢東が遮二無二突き進んだ大躍進路線と同じような悲惨な結末を招き寄せてしまうことだって想定される。

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中国では、61年ぶりに総人口が減少したと発表された(AP/アフロ)

だが立ち止まって考えてもらいたい。相手は、わが国にとって最も脅威であると大多数の日本人が感じている中国である。その国の国力の基盤でもある人口がピークを過ぎ、軍事力や経済力を背景とした総合国力が衰退に向かことになり、現在の軍事強国化路線に陰りが見え始め、中長期的に弱体化する。いわば「弱い中国」への道を緩やかに歩み出すことになるのなら、むしろ黙ってやり過ごした方が得策だと思う。

だから、中国の人口減少を、われわれ日本人が敢えて深刻ぶって論じることなど要らぬお節介というもの。相手の将来を慮って心優しく対応する必要も余裕も、今の日本は持ち合わせていないはずだ。

万有引力の法則に従うなら、上がったものは必ず落ちる。拡大も限界点を超えれば収縮に転ずる。であればこそ、この問題は中長期的視点に立って冷静に受け止めるべきではないか。

習近平政権発足前に出された〝提言書〟

1979年に始められた一人っ子政策(~2014年)の末期に近く、第1期習近平政権が発足する半年ほど前の2012年4月、ハードカバーで200頁超の研究書『中国人太多了嗎? TOO MANY PEOPLE IN CHINA?』(北京・社会科学文献出版社)が出版されている。「中国人太多了嗎?(中国人は多すぎるのか?)」との書名は刺激的に過ぎるが、一面では2年後の一人っ子政策廃止を示唆していたと捉えることもできるだろう。

第1次習近平政権発足を前にした2、3年ほどの間、中国では「大国化」、「中国の夢」、「中国崛起」、「中国復興の核心価値」など来るべき習近平政権の内外姿勢を事前に宣伝・教育するような勇ましい内容の書籍が続々と出版された。この『中国人太多了嗎? TOO MANY PEOPLE IN CHINA?』も、その種の政治的キャンペーンの一環であったようにも思える。

著者の1人である梁建章は米国のスタンフォード大学在籍時、「偶然にも中国の若者人口が急速に萎縮している状況を発見したことから、中国の人口問題と政策に興味を抱いた」ことで人口問題に関心を移し、この研究書を執筆したとのこと。

毛沢東が最大の政敵である劉少奇を倒し、文革の勝利を高らかに宣言した第9回共産党大会が行われた1969年に上海で生まれた梁建章は、対外開放の波に乗って米国留学を果たし、米企業のOracle中国支社勤務を経て99年にIT企業を立ち上げている。その後、スタンフォード大学で博士号(人口経済学)を取得。本書出版時は北京大学国家発展研究院客座研究員であった。

もう1人の執筆者の李建新は社会学人類学研究所教授。新疆ウイグル自治区の伊寧市に生まれ、新疆大学、北京大学、ムンバイ国際人口研究院(インド)、北京大学などで数学と人口学を専攻し、日本留学(東京都立大学)を経て米国に渡り、ミシガン大学で人口学の研究を続けた人口学法学博士である。

この研究経歴から推測するに、どうやら2人の若き研究者は対外開放政策の恩恵を全身に受けた〝勝ち組〟と言ってもいいだろう。

外国で最新研究を身につけて帰国した2人の若手研究者は日本を人口政策失敗の典型と捉え、このまま一人っ子政策を続ければ中国でも若者人口は激減し、科学技術は後退を余儀なくされ、活力なき社会の出現は避け難い。中国の成長は頓挫し、日本のように停滞一途の道を転がることになる。「中華民族の偉大な復興」なんぞ夢のまた夢。幻に終わりかねない、と危機感を煽る。そして日本のようになりたくなかったら、ともかくも「産めよ、増やせよ!」と熱く、饒舌に語り続けた。

一人っ子政策さえ廃止したら、食糧から環境・新エネルギー開発まで、中国の将来を左右する根本問題は解決する。「中国の夢」は正夢となるとの見立てだが、論拠薄弱な議論が先行し、首を傾げざるを得ない。

たとえば「民族関係と貧富の差に起因する社会の不公平問題さえ処理すれば、中国社会の安定は保てる。ならば今後の10~20年の経済成長によって、中国人の平均年収は2万米ドル超となり、高等教育普及率は50%を超え、中国の政治体制の安定と改革のリスクは大幅に低減する」と自信満々に示す。

書き連ねられるアジテーション

かくて、その先に「中華民族の偉大な復興」が実現するという青写真となるのだが、ここで疑問が湧く。「民族関係と貧富の差に起因する社会の不公平問題」をどうやって「処理」するのか、「政治体制の安定」はどう担保されるのか、どのようにして「改革のリスク」を回避しようとするのか――。これら肝心な点に関する具体的方策が見られないのが不思議だ。

だが考えて見れば、不思議でも何でもない。具体的方策を突き詰めれば、やはり共産党独裁の是非という大問題に突き当たってしまう。だが、そのアンタッチャブルな領域には足を踏み入れるわけにはいかない。

そこで、その代わりだろうか。研究書としては場違いと思えるアジテーション――やや皮肉を込めて表現するなら、「中華民族の偉大な復興」への応援歌、いや「拍馬屁(ヨイショ)」――が書き連ねられている。

「産児制限政策を完全に撤廃せよ。なぜ躊躇しているのだ」

「わが国の計画出産という公共政策を『人を本とする』本来の姿に立ち還らせ、人民に出産選択の権利を与えよ」

「中国の人口の長期にわたる均衡ある発展を保障することで、人口と社会経済、資源と環境の調和のとれた持続的発展が保証できる。こうしてこそ、21世紀が真の中国の世紀となりうる。世界の強国に伍し、長きに亘って成長し衰えることのない立場に立てる。中国の人口政策を徹底して解放せよ。いまや多産を奨励する時に立ち至った」

そして「可及的速やかに現行産児政策を転換しないかぎり、中国は将来、子供の数が最も早い速度で減少する国家の1つになってしまう」と危機感を前面に押し出した後、「中国人は多く生まれているわけではない。いや、むしろ少なすぎる。中国人は多く産むことができる! もっと、もっと、より多く生まれるべきだ!」

権力闘争にもなった人口施策

1949年10月の建国後、本格的に産児制限を主張したのは北京大学学長の馬寅初(1882~1982年)だった。1907年に米国に留学した彼はマルサスの人口論を中国に持ち帰り、社会経済発展にとっては人口抑制が必要であることを説いた。

57年7月3日、第1回全国人民代表大会(第4次会議)に「わが国の人口増加の速度は速すぎるから人口を抑制すべき」との主張を書面で提出した。7月15日になると『人民日報』に、(1)人口政策を国策の重要課題に組み入れ、(2)晩婚少子の利点を宣伝・教育し、(3)国民の生活に干渉し、出産の権利を制限し、(4)徴税方式によって多産に制限を加える――などを骨子とする「新人口論」を発表した。

当時、反右派闘争の吹き荒れていた時期であり、加えて「新人口論」は毛沢東の説く「人口資本説」に反することから、馬の主張は毛沢東を批判する「新マルサス人口論」と糾弾される。その結果、北京大学学長を解任され、遠く故郷の浙江省紹興に事実上幽閉された。もちろん文革に際しては、紅衛兵から激しく糾弾されることになる。

口を消費、手を生産力に喩える毛沢東は、「1人増えれば、口は1つだが手は2本増える。1人増えれば生産力は2倍になる。だから人口増は生産力増強の武器だ」と捉え、人口の増加は産業の発展を促し、経済力増強に寄与するとの「人口資本説」に基づいて人口抑制を戒め、多産を奨励した。

馬寅初の主張が否定されて以後、共産党政権は「人口資本説」に従った人口政策を79年まで継続することになるのだが、出版時期から判断して、『中国人太多了嗎? TOO MANY PEOPLE IN CHINA?』は習近平政権発足を見越しての、毛沢東の「人口資本説」の焼き直しバージョンと位置づけてもよさそうだ。

その後、経済発展と共に人々の生活レベルが向上し、一人っ子政策の見直しが始まり、2015年から21年までは「1組の夫婦で子供2人まで出産可」となり、21年8月になると「1組の夫婦で3人目の子供の出産可」となるなど、習近平政権は多産の方向に大きく舵を切った。だが、現に伝えられる限りの中国社会を取り巻く環境から判断して、少子化と高齢化の動きを逆転させる妙案は、素人目で見ても見当たりそうにない。

どうやら2期10年の習近平政権で航空母艦を建造し、月の裏側を探査する技術力は備わったものの、子供を増やす環境を整えることは容易ではなさそうだ。もっとも少子高齢化問題に関しては、「異次元」の口先介入に止まりかねないわが国であればこそ、余り発言権はなさそうではあるが。

「溺死」に「黒孩子」、数字には表れない側面

それにしても興味深いのが、同じ米国留学組でも馬寅初と『中国人太多了嗎? TOO MANY PEOPLE IN CHINA?』の2人の著者の違いである。前者は貧しく混乱した時代に米国で学び、中国社会の貧困と混乱の原因を多産に求めた。言い換えるなら外国列強に侵され(半殖民地)、大多数の農民が地主に支配され(半封建)た結果、「東亜病夫」とまで蔑まれた「弱い中国」を「マトモな国」に作り変えるには人口の抑制が急務であることを、敢えて絶対権力者の毛沢東に逆らってまで説いた。

一方、「富強の中国」のトバ口に立った時代に米国留学を果たした2人の若き人口学者は、習近平政権成立直前、「中華民族の偉大な復興」のためには多産が急務であることを力説した。

馬寅初と2人の若き人口学者の米国での研究者生活の間には、1世紀ほどの時間的な開きがある。この間の、米国と中国の紆余曲折の関係を考えた時、米国の中国に与える影響の大きさを改めて痛感させられる。

ところで一人っ子政策が行われていた時期の2008年、湖南省と重慶の農村を歩いた際の経験だが、湖南省で目にしたのは農家の真っ白の大きな壁に墨痕鮮やかに記された「厳禁溺死」の大きな4文字だった。重慶郊外では、道路沿いの農家の塀に「子供は国の宝。女の子でも大切に育てよう」とのスローガンが延々と書き連ねられていた。

「溺死」とは間引きである。男の子は大きくなって家を継ぎ両親の老後を見守るが、女の子は他家に嫁いでしまう。伝統的に男の子が尊ばれていたゆえに、生まれた赤ん坊が女子であったなら、水に浸けるなどの間引きが行われていた。

かねてから清朝末期の社会風俗に興味を持っていた筆者は「溺死」など清朝末期の特殊な社会環境での止むにやまれぬ〝庶民の知恵〟だと思い込んでいただけに、08年の「厳禁溺死」の4文字は衝撃だった。一人っ子政策にも拘わらず、女の子は相変わらず不幸な運命を背負って生を享けざるを得ないわけだ。

であればこそ、「女の子でも大切に育てよう」となるわけだろう。だが、最近でも中国の地方紙からは女の子とその子を産んだ母親の悲劇を読み取ることができる。

中国庶民の生き方として知られる「上に政策あれば、下に対策あり」だが、一人っ子政策が励行されていた当時、農村では第2子以降は政府に届けなかった。「黒孩子」と呼ばれた戸籍のない子供が社会問題化しメディアで取り上げられたことがあるが、今回の中国国家統計局が示す統計の中には、かつて話題となった「黒孩子」はカウントされているのだろうか。

〝おひとりさま男子〟の数を日中で比較し、「中国は日本の7倍に達するほどの異常な人口構成」と危機感を煽る声も聞かれるが、人口比で中国は日本の13~14倍である。単純に計算しても、社会全体に占める〝おひとりさま男子〟の比率は日本の方が高い。つまり将来の出産の可能性は、日本の方が低いことになる。いわば、この種のタメにする見解が日本人の中国に対する見方の妨げになっていると言わざるを得ないのである。

複雑怪奇な事象を習近平はどう解くか

1970年代末に鄧小平主導が導いた対外開放政策のカラクリを考えるに、共産党政権は海外から豊富なカネ(外資)とモノ(工場・技術)を呼び寄せ、これに内陸農村部に滞留していた膨大なヒト(余剰人口=労働力)を格安な人件費で供給した。

このようにカネ・モノ・ヒトの合体が現在につながる空前の経済発展を導いたと考えるが、毛沢東の「人口資本論」に基づき人口抑制を実施しなかったことが、中国大陸に予め膨大な労働力を備蓄しておくことができた大きな要因だろう。ならば皮肉にも、経済発展は毛沢東が〝後世に遺した遺産〟であったのかもしれない。

改めて1月17日の中国国家統計局による発表に接して、その背景は日本のメディアが伝えるほどに単純ではないと強く思う。共産党の統治体質、家系を軸とする伝統的な男子尊重の家族制度、そして経済発展が必然的にもたらす若者の家族観の変化――。これら質的に異なる要素を、はたして「中華民族の偉大な復興」に統合して取り組めるのか。

どうやら3期目に入った習近平政権を待ち構えていたのは、中国の社会経済発展と人口、中国人と家族という旧くて新しい大難題だったようだ。

樋泉克夫

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