日本を代表する優良企業の一つ旭化成が、2023年3月期に1,050億円の最終赤字となる見込みです。2003年3月期以来、実に20年ぶりの最終赤字。旭化成はリーマンショックやコロナ禍でも、赤字になることはありませんでした。1兆2,000億円規模だった売上高は、20年の時を経て2兆7,000億円まで拡大しました。堅実に成長してきた旭化成に何があったのでしょうか?

本業で利益が出ているにも関わらず赤字に転落した理由
旭化成は「サランラップ」といった生活製品や、「へーベルハウス」などの住宅、建材、医薬品、デジタル端末向けセンサなどを提供する、総合化学メーカーです。売上規模は富士フイルムホールディングスに次いで4位。日本を代表する化学メーカーと言えます。
化学製品・繊維・センサなどを含むマテリアル領域が売上高の半分を占めています。住宅領域が3割、2割がヘルスケアです。
2022年3月期の売上高は前期比16.9%増の2兆4,613億円でした。2023年3月期は同11.2%増の2兆7,370億円を見込んでいます。

※決算短信より
大幅な増収要因は、石油価格高騰を受けて提供する製品に価格を転嫁。販売価格が上昇したことがあります。エネルギー価格高騰の影響は値上げ効果で打ち消すことができたものの、為替の影響を受けて営業利益は38.3%の減益となる見込みです。
減益ではあるものの、2023年3月期は本業での利益を出しています。ここが今回の最終赤字の一番のポイントです。
旭化成の赤字の主要因は、買収で生じたのれんとその他無形固定資産の1,850億円にものぼる減損損失でした。
1,800億円もののれんを計上した
旭化成は2015年8月にアメリカのバッテリーセパレータのメーカー、Polyporeを2,100億円で買収しました。セパレータとは、電池の正極と負極の間に設置される、電池部材の一つ。Polyporeはリチウムイオン二次電池用セパレータ「セルガード」という主力製品を持っていました。
「セルガード」は、電気自動車向けの部品として需要の増加が見込まれていました。買収当時、旭化成は「ハイポア」というスマートフォン、タブレットなどのデジタル端末向けのセパレータを製品化しており、これを戦略的製品と位置付けていました。
セパレータという分野で、電子デバイスから将来的な成長期待の高い電気自動車向けへと市場を広げようとしたのです。
旭化成はPolyporeの評価額を2,100億円としました。200億円超の現金を持っていたため、支出額は1,900億円でした。実はこの取引で、旭化成は1,800億円超もののれんを積んでいます。それだけ、Polyporeの技術力や成長性を高く評価していたのでしょう。
のれんとは、買収する会社の純資産と買収額の差。固定資産の無形固定資産に計上し、旭化成が採用する日本の会計基準では、20年を上限として償却する決まりです。
買収時の事業計画通り、収益性や成長性を保っていれば何の問題もありません。しかし、業績が悪化すると、のれんの評価を正しいものに修正する必要があります。
減価した場合はその額を損失として損益計算書に計上します。これを減損損失と呼びます。
旭化成が計上した1,850億円の減損損失の大部分がこののれんの減損でした。
提供する製品の幅を広げて多様なニーズに応えた
Polypore買収で生じたのれんの減損損失を計上しているということは、当初見込んでいた収益性が得られなかったことを示しています。また、金額の大きさを考えると、のれんのすべてを潰し切ったと考えられます。なぜ、買収から8年の年月を経て、赤字を出してまでの徹底的な減価を行ったのでしょうか。
これには、セパレータの種類が関係しています。セパレータには乾式と湿式の2種類があります。乾式は製造方法がシンプルで、低コストという長所があります。ただし、素材の制御が難しく、機能性が低いという短所があります。湿式は製造工程が複雑で高コストですが、機能性が高いという特徴があります。
旭化成の「ハイポア」が湿式、「セルガード」が乾式です。2015年の段階では需要が拮抗しており、需要が急拡大する車載用はどちらが主力となるのかわかりませんでした。
旭化成は2016年4月に発表した新中期経営計画において、2025年度にバッテリーセパレータ事業でNo.1のポジションを強固にするという方針を打ち出しています。

※新中期経営計画より
湿式・乾式の総合力で戦おうとしたのです。
しかし、湿式の需要拡大が鮮明になります。旭化成は2021年3月15日に、300億円を投じてセパレータの生産能力増強する計画を発表しました。生産拡大するのは湿式の「ハイポア」で、生産能力を年間3.5億㎡としています。
この増強により、旭化成のセパレータは湿式が13.5億㎡、乾式が5.5億㎡となり、圧倒的に湿式の需要が高いことを示しています。
世界のトップ企業と乾式セパレータの合弁会社を設立
それでは、Polyporeの買収が完全な失敗だったのかというと、そうでもありません。旭化成は2021年9月22日に、セパレータのトップ企業である上海エナジーと乾式セパレータの合弁会社を設立すると発表しています。
「セルガード」に関連する技術を提供し、ESSと呼ばれる電力を貯蔵するシステム向けの乾式セパレータを中国で製造販売します。
ESSという領域においては、乾式セパレータの需要が強いのです。ESSは太陽光発電などの再生可能エネルギーの普及に欠かせないもので、業務用から家庭用まで幅広く使われています。また、最近では通信規格の世代交代により、5G基地局向けのESSの導入が中国で本格化しています。
中国に設立した合弁会社は、2028年ごろに生産能力を10億㎡にする計画です。決して乾式の需要が消失しているわけではありません。
旭化成は、成長期待の高いセパレータのシェアを拡大するために湿式と乾式の両方の製品を手にしました。しかし、乾式の需要が思うように伸びずに、のれんの減損損失を計上します。減損損失は一時的な赤字要因となりますが、中長期的には償却負担が軽くなって利益が出やすくなります。
水面下では、ESS向けの乾式セパレータを上海エナジーと共同で生産しており、中長期的な成長には期待できます。
今回の大赤字は、旭化成が攻めの経営姿勢を貫いており、次なる成長に向けた決断をしたと捉えることもできます。
取材・文/不破 聡