選手から球団職員転向の元ロッテ2投手 野球人生におけるターニングポイントは?

選手から球団職員転向の元ロッテ2投手 野球人生におけるターニングポイントは?

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  • 更新日:2020/11/21
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「パーソル パ・リーグTV Meetings 第3弾」が実施【写真:(C)PLM】

ロッテのOBである上野大樹さんと古谷拓哉さんは球団職員として活躍

10月18日、パシフィックリーグマーケティングとシスコシステムズ合同会社による企画「パーソル パ・リーグTV Meetings 第3弾」が実施された。ロッテのOBである上野大樹さんと古谷拓哉さん、ロッテのイベントMCを務めるMCまさなりさんをお迎えし、ファンとともにリモート観戦を楽しんだ。

第3弾となった今回は、同日に開催された「マリンフェスタsupported by リポビタンD」中に実施された試合の裏解説&トークイベント「マリンフェスタWatch Party」を、パーソル パ・リーグTVの試合ライブ映像とともに観戦できる形。もちろん、これまでと同様に「Cisco Webex」の映像チャット機能を使用して、上野さん、古谷さんとファンとのリアルタイムな交流も行われた。

――今シーズン最後のマリンフェスタが終わりました。今シーズンのマリンフェスタで一番印象的だったことは?

上野さん「今回はオンラインマリンフェスタという新たな試みでスタートしたので、最初は『どんなコンテンツにしたらいいのかな』と試行錯誤するなかから始まったんですけれど、だんだんやっていくうちにいろんなことが見えてきて、ファンの方の反応などもいただきながら楽しい企画に育ってきたというイメージがあります。僕も出演者としていろいろなコンテンツに出していただいて、すごく楽しく配信ができたなと思います」

古谷さん「ただ試合を見て内輪だけでやるのではなくて、ファンの皆さんとも交流できたっていうのは(大きい)。お互いにリモートもちょっと慣れてきているというような時期でもあったので、違和感なくできたなと思います。試合をお互いに見ているなという感じも伝わってきましたし、直接やり取りできるっていうのもすごく楽しかったですね」

――確かに、今まで実際にファンの方の顔を見ながら観戦する経験はなかったですよね。

上野さん「本当に楽しかった! 途中途中で全然関係のない質問とかがあったりして(笑)すごく僕自身も楽しかったですね。いつもはチャットとかSNS(ツイッター)で質問をもらって答えていましたが、顔を見ながら本当に対面で質問を受けているような感じですごくいいなと。また新しいかたちで、どんどんできるようになればいいなと思いましたね。

ファンの皆さんは僕たちのことを見ていますが、僕たちはどんな方が質問されているのかは(SNSだと)わからない。質問者のお顔が見えるっていうのも良かったですね」

なかなか聞くことのない「球団職員」という仕事とは

――現在、お2人は球団でどのようなお仕事をされているのでしょうか。

上野さん「今はファンサービスグループのおもてなし担当というところで仕事をしています。基本的には、来場されたお客様にその1日を気持ちよく過ごしていただけるような施策などを考えて運営しています。また、お客様が気持ちよく過ごしていただくためには、球場のスタッフ(クルー)の皆さんも気持ちよく、そして楽しく働いていただければ、来場されたお客様がより楽しい空間を作っていけるのかなと考えています。なので、クルーの皆さんも気持ちよく働いて楽しく働ける環境を整えたりすることも私の仕事です。今年から、今回の『Watch Party』やオンラインマリンフェスタもそうですし、イベント設計も新しく担当することになりました」

――今年初めの段階で、YouTubeデビューすると思っていましたか?

上野さん「今までは『現役の頃応援してました!』と言われて『ありがとうございます!』だったんですけど、最近はゲートとかに立っていると、『この間YouTube見ました』と言ってくださる方が本当に多くて(笑)。最近は8割方そっちのお声がけのほうが多くて、非常にありがたいなと思ってます。ここ1年で『マリーンズのYouTuber』みたいな感じです(笑)」

――古谷さんは今どのようなお仕事を球団でされているのですか?

古谷さん「今年の2月、営業部から球団本部運営部育成メディカル担当に異動となりまして、その名の通り、若手の選手の育成や栄養のサポートや、トレーニングやコンディショニングの部分も包括したかたちでメディカルと呼んでいます。選手のサポートをしているトレーナーさんやコンディショニングコーチさん、栄養士さんらに対して会社側からサポートをする。

例えばインフラを整えてあげるとか、新しい取り組みをしたいという要望に対して、現場と会社の間にいるような立ち位置で今仕事をやらせていただいてます。まだ新しくできたばかりなので、自分がどのようなポジションでやっていけばいいのかと、チームづくりを踏まえつつ、(自分の)スタイルを確立していければなと思います」

――新型コロナウイルスの影響でそれぞれのお仕事でも難しい部分はありましたか?

古谷さん「これはマリーンズに限らず、どの球団、スポーツ団体でもそうだと思いますが、選手やチームがスケジュールに沿ったかたちで準備をしていくなかで、今まで経験したことのないような状況になってしまったので、結構手探りの状況が続いていました。ありがたいことに6月に開幕はしましたが、前半は選手のコンディショニングなどをどう維持していけばいいのか、開幕に向かってどう調整したらいいのかというのもありました」

――あらためて古谷さんの立場でやってみたいことはありますか。

古谷さん「中長期的にチームをビルドアップしていくためにはどうしたらいいのかっていうところですと、FAで選手を補強することももちろんチームを強くしますが、ドラフトでとったような若い選手に対して、彼らが目指すべき姿と球団が期待している選手像をマッチさせたうえで目標を立てて、かつ目標をどうやって施策に落とし込んでいくか、実際のプログラムに落とし込んで結果を出していくかという部分ですね。そこにフォーカスしていくためには、中長期的にどういうふうに現場を見ていけばいいのかということを今は考えてます」

現役生活の長い選手はやはりストイック

――ここからは現役時代のお話を。当時最も「ストイックだな」と思ったチームメートは誰ですか?

上野さん「パッと頭に浮かぶのは福浦(和也)さんですかね。あの歳まで(現役を)やられていたというのがすごいのと、その影での努力がすごいという方なので。僕も結構1人で残って練習をやるほうでしたが、常に福浦さんも同じウエートルームでトレーニングや素振りをされてました。僕もそういった背中を追って練習をしてきたので、福浦さんをはじめいろんな先輩の背中を追って、僕も成長していった部分もありましたね」

古谷さん「2人でもいいですか。1人目は中継ぎで活躍されていた藤田(宗一)さん。自分に課している練習がすごくハードに見えましたね。私が入った年はすでにベテランと呼ばれるような年齢ではあったんですけれども、若手より全然練習量が多くて、『プロの中で長い間活躍する選手はこうやって練習するんだな』と衝撃を受けました。藤田さんは毎日すごい量を走っているイメージでしたね。もちろん質の面でもダラダラ走っているのではなくて、ストイックな姿勢で走っていたという印象はありますね。

2人目はストイックとは少し違うかもしれないですけれども、『プロフェッショナルだな』とすごく感じたのは里崎(智也)さんですね。すごくおしゃべりというか、達者な方で(笑)。でも、語彙も多くて、厳しい方なんです。現役の時も怒られたりしましたが、言う代わりに自分でもすごく一生懸命やっていたし、キャッチャーですから頭を使っていろんな情報をいつでもすぐ答えられた。常日頃からそうした意識をしていて、プロフェッショナルで素晴らしい方だなと感じていましたね」

上野さん、古谷さんが「どこに投げても打たれる」と感じた選手とは

――対戦していて一番嫌だった選手は。

上野さん「『これどう投げても打たれるな』という選手が僕の中で1人いますね。ソフトバンクの松中(信彦)選手。僕が現役の時は代打で出られることが多かったのですが、僕が登板すると毎回代打で出てこられて、本当に何投げても打つな、みたいな。やっぱりバッティングってタイミングなんだなと思いましたね」

――古谷さんもすごく頷かれてますね。

古谷さん「そうですね。やっぱり相性というのはすごくあると思いますね。僕の場合は、今も活躍していますが西武のメヒア選手ですね。ホームランしか打たれていないという印象です(笑)。投げにくいという感じはないんですけれども、やっぱり大きい分ストライクゾーンが広くて、とにかく打たれているなという。自分で想像以上に考えてしまっていた部分もあると思うんですけれども、結果として印象に残っているのはメヒア選手ですね」

大学で一度は野球部入部を選ばなかった古谷さん、野球の道に引き戻したのはあの選手

――野球人生におけるターニングポイントは?

上野さん「2年目にちょっと怪我をしたんですね。1年目はルーキーとしてそこそこ投げられて、2年目に怪我をしてほとんど1軍で投げられなかったんです。その年(2年目)に結婚をして、次の年に結婚式を挙げるというスケジュールだったんですけど、2年目でずっこけて『このままじゃヤバイな』と。それなのにオフに怪我の影響もあってちょっとふっくらしちゃったんですよ。

そこでダイエットしよう、絞ろうと思って、奥さんにもダイエットメニューを作ってもらって、オフシーズン2か月ぐらいで体重を落として体にキレを作って翌年、初先発で初完封できたんです。それでその年は先発ローテーションの一角として投げさせていただいたので。2年目に怪我をした、結果が出なかったというなかで結婚をして、次のシーズンで結果を出せたっていうのが僕の中でのターニングポイントかなと思います」

古谷さん「大学に進学したんですけれども、最初は硬式野球部に入らなかったんです。当時の自分としては、このまま野球を続ける情熱もなかったし、単純に大学生活を楽しみたいなというところもあって。そこで一般の大学生というか、アルバイトを始めてみたりとか、髪の毛を染めてみたり、昼夜逆転したような生活をしていて。1人暮らしも初めてでしたし、半年間ぐらいすごく楽しかったんです。

でもふと気づくと、物足りなさを非常に感じていたんです。部屋でダラダラしていたときに、オリンピックをちょうどやっていて、ちょうど1年上の松坂世代のまさに松坂(大輔)さんが投げていて。『これはちょっと酷いギャップだな』と。

レベルは違いますけど、同じ高校野球で頑張ったので、『ちょっとこれはいかんな』と思って。知人を介してお願いをさせていただいて、本当に運良く『左ピッチャーだし、入れさせてあげるよ』と大学の野球部に入れていただきました。大学の時は活躍できなかったんですけれども、そこで野球を再開することで、いろんな方の支えがあって今の人生が開けました。そこが最大のターニングポイントだと思います」

「自分1人のために野球をやらなくなった」ことが上野さんのターニングポイント

――上野さんは努力家でも有名ですが、そのメンタリティの原点となっているものは?

上野さん「学生時代は自分1人のために野球をやってきていました。プロ1年目も独身でしたし、自分のために野球をやっているという部分が比重としては大きかったんです。でも、結婚をして守る人ができ、そこから周りも良く見えるようになっていって、僕のことをこんなに応援してくれる人がいるんだということが見えてきました。自分1人のために野球をやらなくなったんですよ。

どんな負け試合でも、僕が登板して『負け試合のなかで投げてます』という感じで投げているのを、試合を見た人がすごくガッカリした気持ちで帰っていく姿を想像した時に『それでは良くない』と、僕がプロ野球選手になった意味もないと思いました。やっぱりプロ野球選手となったからには、自分のプレーを見て何かを感じてもらう。『負け試合だけど、上野、頑張ってたな』『見て良かったな』とかそれぐらいでもいいので。そうしたことを感じてもらえるような、誰かのためになるようなプレーをしていこうと思うようになりました。ちょっと手を抜きたいな、辛いな、と思う時期ももちろんありましたけど、そこでもう一踏ん張りするためにはそういう思いがすごくあったと思います」

――今の思いがそのまま今のお仕事につながっているような感じですね。

上野さん「そうですね。来場されたお客様に対して『おもてなし』という形でやっているんですけど、現役時代応援していただいたファンの方もたくさんいるので、球場にきていただいたいろんな方に感謝の気持ちを伝えられるように。今後もいろいろな部署で働くかもしれないですけれど、そういう気持ちは忘れずに球団職員として働いていきたいなと思ってます」(「パ・リーグ インサイト」吉田貴)

(記事提供:パ・リーグ インサイト)

「パ・リーグ インサイト」吉田貴

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