本田圭佑も!最も奇妙な「背番号3」だった8人の異端児

本田圭佑も!最も奇妙な「背番号3」だった8人の異端児

  • Qoly
  • 更新日:2021/09/16
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リトアニア1部のFKスードゥヴァ・マリヤンポレーへ加入した本田圭佑の背番号が3に決まった。

ここでは、ポジション的に似つかわしくない背番号3をつけた選手たちを取り上げてみる。

ニクラス・ベントナー

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何かとお騒がせだった元デンマーク代表FWは、アーセナル時代に「52」という奇妙な番号もつけた(足すと好きな7になるから)。

ヴォルフスブルクに所属した2シーズンはなぜか「3」番を着用してプレー。その理由は「母が私のために番号を選んだ」から。

アテム・ベナルファ

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チュニジアにルーツを持つ天才ドリブラー。ただ、性格面に難があり、ポテンシャルを開花させ切れず。

半年間の無職期間を経て、シーズン途中に加入したバジャドリーでは3番をつけることに。

8、12、15番も選べたはずだったが、「(3番が)このユニフォームにはかっこいいと思ったから」というのが理由。

アサモア・ギャン

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ガーナ代表の最多出場と得点記録を持つレジェンドストライカー。

10代の頃から3番をつけていた理由について「重い物を持ち上げる時に1、2、3と言うだろ?」、「警告する時、人は三度目にアクションを起こす(“仏の顔も三度まで”のような意味合いか)」と話している。

フェリペ・メロ

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強靭な肉体を駆使したパワフルな守備とシンプルな展開を武器にブラジル代表でもプレーした“狂犬”。

当初ガラタサライでは10番を背負っていたが、それをヴェスリー・スナイデルに快く譲った後に3番に変更した。

宗教的な意味合いに触れつつ、ガラタサライのレジェンドであるビュレント・コルクマズが着けた大事な番号であるとも口にしていた。

なお、パウメイラスでプレーする現在は30番を背負っている。

モハメド・カロン

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アタッカーにもかかわらず小さな背番号を好んだシエラレオネ代表FW。

代表では10番が多かったが、レッジーナやヴィチェンツァでは2番、インテルでは3番を着けた。

モハメド・カロン「僕が加入した当時のインテルにはセードルフ、ロナウド、ヴィエリたちがいて、自分が欲しい背番号を選ぶことは不可能だった。だから、空いてる番号を探した。3番を目にして、それをとったんだ。レッジーナで2だったのは、アンドレア・ピルロが10だったからさ。インテルでは100番だろうと喜んでプレーしたよ」

バカリ・サニャ

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アーセナルなどで活躍したフランス代表の右サイドバック。

デビューしたオセールでは29番だったが、アーセナルとマンチェスター・シティでは3番をつけ続けた。右SBといえば2番のはずだが…。その後も83番(1983年生まれ)や33番と3にまつわる番号をつけた。

フェデリコ・ビラル

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GKにもかかわらず、3番に愛着を持っていた元アルゼンチン代表。

左サイドバックとしてプレーした父への敬意として3番を着けることが多かった。

母国では無名の存在だったが、メキシコではリーグ最高GKの1人になり、当時監督だったディエゴ・マラドーナが代表に初招集した。

ピンポイントで味方に届ける低弾道の高速パントキックは世界最高峰レベルにあり、その技術を活かしてFKでゴールを決めたことも。

ルチョ・ゴンサレス

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アルゼンチン代表でも活躍したMF。ずば抜けたものがないため地味なタイプながら、総合力の高い実力派だった。

ルチョ・ゴンサレス「8番だったマルセイユを退団した際に3番に変えた。自分はずっと8番をつけていたけど、当時のポルトではすでに空いていなくてね。この番号を与えられたものの、最初は好きじゃなかった。でも、多くを意味する番号だと言われて、これにし続けたのさ。チームは2位か3位だったのが、最終的には優勝したんだ。それが“印”になった。当時の自分には3人の子供がいて、それも一致していた。今ではこの番号が気に入っているよ。普通はDFが着けるものだけどね」

ポルトに復帰してから3番に愛着を持ち、首にも3のタトゥーを彫るほどの筋金入りである。

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彼らのほかにも、ファビーニョ(現リヴァプール)やシャビ・アロンソ、遠藤航もMFながら背番号3をつけている。

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