男性の遺体から「赤ん坊」の死体が出てきた...昭和の日本を揺るがした猟奇事件の全貌

男性の遺体から「赤ん坊」の死体が出てきた...昭和の日本を揺るがした猟奇事件の全貌

  • 現代ビジネス
  • 更新日:2021/06/11
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1948年1月、胃ガンで亡くなった野口三郎さん(仮名)の遺体を火葬していると、その腹のなかから赤ん坊の死体が二つ出てきた。いったいなぜそんな異常な事態が起きたのか。警察の捜査が始まった。

【前編】「男性の遺体の腹に「赤ん坊」を縫い込んだ…東大卒医師の残酷すぎる行いのすべて

若き青年医

警察は野口さんの遺体が火葬場へ運ばれる直前、どこに入院していたのか調べることにした。野口さんの胃ガンが判明したのは前年1947年の11月末。入院当初から症状はすでに末期であり、手の施しようがなく1月26日未明に死亡した。この時の入院先は東京都内にある某総合病院でこの病院のベッドで亡くなったという。

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〔PHOTO〕iStock

警察は野口さんの死亡時に立ち会った医師および遺族に話を聞いたところ、火葬場へ運ばれる直前、ある医師が野口さんの死亡後に腹を切り、解剖していたことがわかった。警察はこの医師が野口さん遺体に腹赤ん坊を詰めた犯人ではないか、として事情を聞くことになった。

医師の名前は松木宗次郎(仮名:35歳)といい、東京大学で解剖学を学んだ若き青年医でこの病院には執刀助手として勤務していた。

松木助手は赤ん坊を野口さんの腹の中に縫い込んだ理由を隠すことなく警察に話した。

・執刀医を目指し勉強中の松木助手は、勉強のためガン患者の内臓をじっくり観察したいと考え、野口さんの体から内臓を抜き取り個人的に調べることにした。
・遺族には内臓を抜き出すことは明かさず「腹に溜まった水を取り出すため一度腹を切らせてもらう」とウソをつき解剖した。
・2体の赤ん坊(嬰児)の死体はホルマリン漬けにして病院に保管されていたものである。体が空っぽになるので抜き出した内臓の代わりに赤ん坊の死体を体に詰めることにした。
・それでも空いている部分には新聞紙を丸めて詰めた。

やはり赤ん坊を死体に縫い込んだ犯人は松木助手だったのだ。

この松木助手の供述に強い怒りを抱いたのが、当然ながら野口さんの遺族である。

遺族は、松木助手から腹から水を出す手術と説明を受けた際にも「あの人は(ガン手術で)何度も腹を切られていて、これ以上は切られるのは可哀そう」という理由で手術を断っていた。だが、何度も松木医師が遺族に頼みこみ、強引に手術を決めてしまったと訴えている。遺族は「腹を切られた上、見知らぬ赤ん坊の死体を縫い込むとは言語道断」と、法的に戦っていく姿勢を見せた。

「嬰児埋め込み事件」日本中を駆け巡る

「嬰児埋め込み事件」が新聞紙上で報じられた1948年1月29日。世の中は3日間に発生したばかりの帝銀事件一色であり、どの新聞も「警察が真犯人逮捕に向けて動き出した」「有力な容疑者は犯行に使われた名刺の印刷を頼んだ男」といった記事が相次ぐなか、「嬰児埋め込み事件」は以下のような見出しで報じられている。

「男の死体から嬰児 病院で医師が縫い込む」(読売新聞)
「○○病院解剖室の謎 腹の中から嬰児」(毎日新聞)
「火葬場のグロ 死児詰め死体」(時事新報)

どの記事も帝銀事件より扱いは小さいものの、一度見たら忘れられないであろう強烈な見出しが並んでおり、当時この事件に強い関心を示した東京都民は非常に多かったと思われる。

現に、写真記事を中心にした東京ローカル紙「サン写真新聞」(毎日新聞の系列夕刊紙)は、帝銀事件とほぼ同じスペース分の記事を用意し、掲載。大阪で発生した「女王丸事件」(1月28日、大阪港~多度津港間を結んでいた連絡船「女王丸」が沈没。200名近くが行方不明になった事件)と併せて報道され「全国で怪奇事件が発生」と報じられている。

看護師は語る

話を「嬰児縫い込み事件」に戻そう。最初の報道から一日が経過した1月30日の新聞紙上では「共犯者がいなかったか」「内臓の無断摘出は果たして罪になるのか」という2点が議論されている。

前述の通り、松木助手は「腹の中の水を取るために腹を切った」と遺族に虚偽の説明をしており、死体損壊罪などの罪に問われる可能性が高かった。なお、共犯者に関してはおらず、松木助手が一人で立てたプランだった。もっとも、手術には立ち会った人たちが複数おり、(嘘の報告に基づいて許可を出したと見られる)彼の上司にあたる医学博士の執刀医が監修する形で手術が行われたことをサポートした看護師が証言している。

なお、この看護師の話によると「内臓を抜き、空洞になったスペースに嬰児の赤ん坊の死体を入れる」というプランに対しては、サポートに入ったほかの助手や看護師も含め松木助手に反対する者はいなかったという。

看護師によると、後学の研究目的で遺体から内臓を取り出すことはよくあることだといい、空いたスペースに別の患者の内臓を詰めなおしたり、古い綿や新聞紙を詰め込むことは日常的に行われているという。

だが、今回のケースのようにホルマリン漬けの嬰児の死体を入れることは初めてであったという。また嬰児の死体は本来、産婦人科にあるもので外科室に安置されることはまずない。何故、手術日にホルマリン漬けの嬰児の遺体が外科室にあったのだろうか、と看護師は首をかしげているという。

医学者の立場から

1月30日の各新聞では本事件を受けて様々な医療関係者がコメントを寄せている。

東京のローカル紙である「東京タイムス」では、東京大学医学部(松木助手の出身大学でもある)の某教授のインタビュー記事が掲載された。教授は今回の事件に関しては強い憤りを感じていると言い「たとえ不要になったアルコール漬け(ママ)の標本でも他人の腹に詰め込んで葬るなんて酷い事はしていない」「これは東京だけではなく日本全国同じである。不要になった標本を処分する際は簡単な葬式をあげ合同火葬にする」と答えている。

そのような風潮のなかで「松木助手に同情する」という内容の記事を掲載していたのが毎日新聞であった。

毎日新聞は1月30日、「医学者の立場を語る」という記事を掲載。そのなかには当の松木助手の証言も掲載されており「私は別にやましい事をしたことはない。あくまで学理研究のためにやったことだ。解剖し凹んだところに嬰児や新聞紙を詰めただけで、解剖した後できるだけ原型に近い形で遺族に返したかっただけだ」という証言が掲載されている。

そのほか、某東大医学教授(注:東京タイムスの教授とは別の人物)は「私は解剖医(松木助手のこと)に同情する」とし「医学者にとっては死んでしまった人間は一種の物体である。異常な病気で死ねば詳しく研究したくなるのは医者の性である」「今回の事件はボロ布でも詰めたらいいのにわざわざ遺体標本を詰め込んだことにより結果的に怪奇性が増してしまったが、医学者の立場から見れば何でもないことである」と松木助手の考えを尊重するコメントを発表している。

だが、その一方、この医大教授は「生命を扱う以上は医者は人間として道徳的規範は守らないといけない」とも考えており「見知らぬ赤ん坊を縫い込むことは普通の感覚では残酷に見えてしまう。その配慮が足りていなかった」「遺族と葉内臓を貰うための正規の手続きは踏むべきであった」とコメントを残しており、あくまで公平な目でジャッジしていたことがわかる。

ホルマリンの中の嬰児

ここで、「第二の被害者」とも言うべき縫い込まれた嬰児たちについても触れておきたい。

埋め込まれた嬰児2人のうち、1人は身元が判明している。

母親は東京都墨田区の郵便局に勤める向田徹さん(仮名)の妻・涼子さん(仮名)で、涼子さんは出産のため1947年12月25日に入院。1月1日に出産の予定だったが、出産に耐えられず赤ん坊は死亡してしまった。死亡届は1月2日に役場に届けられ翌1月3日に葬儀となったのだが、その際、赤ん坊の遺体は病院から返してもらえなかったという。

家族や医者から「死産した子供の姿は見てはいけない」と言われていたためだといい、自分の子供がホルマリン漬けになっているとは、父母共に知らされていなかったようだ。

この嬰児は33センチ。妊娠7ヵ月程度で、死後ホルマリン漬けにされた理由は、母体にいる頃から膀胱を患ってたため、研究のために保存する、という名目で残されることになったようだが詳しいことは分かっていない。

もう一人の嬰児は妊娠4ヵ月程度で非常に小さく、火葬炉から出された時には既に火が回っており、炭化していたため身元の判明までには至らなかった。

名前を付けられず、両親とも会えずに冷たいホルマリンの中で過ごし、最終的に赤の他人の体内に詰め込まれてしまった2つの命が無事に成仏できたことを心から祈りたい。

事件解決

さて、帝銀事件とともに世間を騒がせてきた「嬰児埋め込み事件」は事件発生から4日後の1月31日、松木助手および手術のサポートを行ったとされる看護師、執刀医の医学博士の3人が死体損壊罪の容疑で送検されることになった。

検察の調べで松木助手は普段は真面目で研究熱心で悪意があったわけではないことが認められたが、遺族に虚偽の報告をし、勝手に他人の体を解剖するという行動は死体損壊罪が成立する可能性が高いと見られていた。本事件に関する続報はしばらく行われず、新聞紙上に再び登場したのは事件から1ヵ月強が経過した3月5日の事であった。

記事によると松木助手および執刀医の医学博士は1月31日から在宅起訴されていたが、2月4日をもっていずれも起訴猶予処分とされていたことが公表された。

記事によると遺族に無断で死体を解剖を行うのは当然、死体損壊罪に問われることになるが、病院を通じ松木助手が深く陳謝したことで、遺族との間で示談が成立したため罪に問われることはなくなった。

東京地検側は「嬰児を縫い込んだ行為には当然問題はあるが、当人が反省し遺族とも示談が完了した以上、これ以上の追及はできない」「遺体は物体という考えもあるが、道義上の問題として、今後取り扱いには敬虔の念(けいけんのねん)を持ってして当たるべき。病院側も監督するように」という裁断であった。

この日をもち、「嬰児埋め込み事件」は人々の記憶から忘れ去られることとなった。

本事件は「腹の中に死んだ赤ん坊を縫い込む」という猟奇性が世間の好奇心を沸き立たせた一方、その背景を追っていくことで当時の医学者たちの根底にあった「死んでしまった人間は一種の物体である」という考え方を浮き彫りにしている。

結果的に帝銀事件の影に隠れる形になった本事件だが、「医療発展と死体」「死者の扱われ方」という2点は、今こそ注目されるに相応しいテーマではなかろうか。

※参考文献※
明治・大正・昭和 事件犯罪大事典(東京法経学院出版)
読売新聞
朝日新聞
毎日新聞
東京新聞
時事新報
東京タイムス
サン写真新聞

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