「ザ・スパイダーズ」のメンバーとしてデビューし、その後は俳優や「夜のヒットスタジオ」司会者としても活躍する井上順(75)が語る難聴との闘いと、そこから見えてきた「第二の人生」とは。
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井上順
【写真5枚】井上順が使用する補聴器 用途によって使い分けるという
「最近の人たちはお腹から声を出していないんじゃないか?」
今から20年前、50代半ばの頃にそう感じる機会が増えました。
映画を観ていても何だかセリフが聞き取りづらいし、会話をしていても相手の人がボソボソ喋っているように感じられる。
それで、ドラマ「渡る世間は鬼ばかり」の台本の読み合わせの時に「みなさん、もっと元気を出していきましょう!」と言ったら、キョトンとされてしまった。要は、周りの人はしっかりと聞こえていて、僕だけが聞き取れていなかったんです。
そんなことがあって、耳鼻科での検診を勧められたので行ってみると、「これは感音性難聴だ」と。それでも僕はまだ明るくて、「先生、じゃあ治療のほうをよろしくお願いします」ってのんきに言ったんです。病気なのであれば治療すればいい。単純にそう考えていたんです。そうしたら「順ちゃん、これは治んないよ」と告げられ、「そんなことないでしょう」と言っても先生は「でも、そうなんだ」と答えるばかり。感音性難聴は加齢に伴うものがほとんどで、どうしようもないというんです。
ショックより大きかった「申し訳なさ」
若い頃からミュージシャンとしてやってきたわけですから、大事な「音」が聞き取りづらくなる難聴と言われてショックではありました。しかし、それよりも「申し訳なさ」のほうが大きかった。僕と打ち合わせする人は大変だろうなとか、何気ない会話でもそこに僕が加わることでみなさんに気を使わせてしまっているんだろうなとか。
気が付くと、「フットワークの軽さ×人付き合いの良さ×人懐っこさ」で売ってきたこの僕が人を避けるようになっていました。もちろん僕の性格が変わったわけではありません。でも、何回も聞き直すのは失礼だという気持ちが強くなっていって、知らない間に人と接することから逃げていた。これって僕だけではなく、難聴になった人の多くに共通することなんです。話すのがおっくうになって、外に出る機会も減ってしまう。
「詐欺みたいなものじゃないかと」
決して人との会話そのものが嫌いになるわけじゃないんです。でも、本当は聞こえていないのに適当に相槌を打ったり、相手が一生懸命喋ってくれているのにそれを理解できていない自分の行為は、犯罪に近いんじゃないかとさえ思えてしまう。せっかくお仕事をいただいているのに、実はよく聞こえていないせいで迷惑をかけるのは詐欺みたいなものじゃないかと。
そして何よりも、僕はミュージシャンとして絶対音感に近い自信を持っていたのに、音が取りにくくなって、歌い出しの第一声が怖くて仕方なくなってしまった。周りがうなずいている時は合っていて、首を傾げている時は外している。ビクビクしながらそうやって確認する状態を、やっぱり続けるわけにはいきません。
加齢による難聴は、遅かれ早かれ誰もが通る道
そこで、これはもうオープンにしようと、感音性難聴であることを明らかにして、補聴器をつけることにしたんです。すると……。
「なんだこれは!」
「みんなはこんなふうに聞こえていたのか!!」
つけていない時とは比べ物にならないほどよく聞こえる。もっと早く補聴器をつけていればよかった、そして新しい人生が開けたなと強く感じました。
みなさん、近眼だったり、老眼だったりすると、検眼して、自分に合う度数の眼鏡を作るのって当たり前だと思うんです。だけれど、耳に関してはそうなっていない。検査するのにも時間がかかるし、両耳に補聴器をつけるとなると、場合によっては数十万円かかることもある。でも、補聴器は自分への投資だと思うんです。年を取って耳が聞こえにくくなったからそこで終了――ではなく、補聴器をつけることで第二の人生を始める。絶対にお勧めです。
世間では、眼鏡をかけるのに比べて、耳が遠くなって補聴器をつけるのは恥ずかしいと思う人もいるようですが、僕はそうは感じませんでした。加齢による難聴は、遅かれ早かれ誰もが通る道ですから。
補聴器をつけることで生まれた感謝
それにね、補聴器をつけてから、僕の中に新たな感謝の気持ちが生まれたんです。もちろん、ベストな耳の状態でお仕事ができればそれに越したことはありませんが、補聴器をつけていると公表してからは、聞こえやすいようにと僕に近寄って話してくれる人が増えました。申し訳なさのせいで人と距離を取ろうとしていた自分に、相手から近付いてきてくれる。そして、大きな声で話しかけてくれる。もう深く感謝するしかありません。
もちろん、補聴器をつけたからといって、完璧に音がクリアに聞こえるようになるわけではありません。逆に車のクラクションがものすごく大きく聞こえたり、お皿のぶつかる音が異様に響いたりすることもあります。でもそれは、技術者の方と相談して微調整できますし、あとは慣れていくしかない。僕にとって、もはや補聴器は身体の一部ですから。
補聴器で開けた「宇宙」
僕自身、今は三つの補聴器を使い分けています。一つは片耳用で、これはドラマや映画の撮影の時に、決まった方向から撮ってもらえれば補聴器が映らないようにと用意したものです。
二つ目は両耳用で、やっぱり両耳につけたほうが聞こえは良くて、この両耳用は音のボリュームを調整できる。だから、プライベートで大事な話をする時なんかはこれを使います。
三つ目は耳の穴の中にすっぽり収まって、つけているかいないかが分からないもの。撮影もあるインタビューのような時に使っています。
一つ目の補聴器をつけた時に「世界」が開けて、二つ目の補聴器をつけた時には「宇宙」が開けた。三つ目の補聴器で、もしボリューム調整ができるようになったらもう鬼に金棒です。実際、今それを作ってもらっている最中なんです。完成した時は宇宙よりもっと広い世界が開けるはずです。宇宙より広いものはない? 何を言っているのか、よく聞こえませんね~。なにせ僕、難聴なんでね。
「難聴、補聴器は隠すことじゃない」
補聴器をしたからといって、仕事に関しても元のように100%こなせるわけではありません。現に、素早い反応が求められるバラエティーの番組は5、6年前から遠慮させてもらっていて、その分、映画や舞台の仕事に力を注いでいます。これも難聴を公表したからこそ、できることとできないことを、周りの人に理解してもらいながら選ぶことができているおかげだと思うんです。
もし公表していなかったら、僕は今でも人と距離を取ったままで、こうやって仕事をしていられなかったかもしれません。ですから、難聴や補聴器の使用は隠すことではなく、周りの人に分かってもらい、そこから新しい世界を開いていくことが大切だと思います。
そうやって補聴器をつけて「宇宙」を体感した僕は、まだまだ長生きするつもりです。
井上 順(いのうえじゅん)
俳優・ミュージシャン。1947年生まれ。63年、高校在学中に「ザ・スパイダース」に加入。「バン・バン・バン」などのヒット曲でGSブームを築く。役者や「夜のヒットスタジオ」の司会者としても活躍。
「週刊新潮」2022年5月5・12日号 掲載
新潮社