「内心では山井の続投を期待していました」岩瀬仁紀が明かす、中日を53年ぶりの日本一に導いた“オレ流采配”の一部始終

「内心では山井の続投を期待していました」岩瀬仁紀が明かす、中日を53年ぶりの日本一に導いた“オレ流采配”の一部始終

  • 文春オンライン
  • 更新日:2022/06/23

2007年、中日ドラゴンズの落合博満監督は、日本ハムとの日本シリーズ第5戦で前代未聞の投手交代を告げた。完全試合目前だった山井大介に代えて、守護神・岩瀬仁紀をマウンドに送ったのだ。

【画像】現役時代の岩瀬仁紀

物議を醸した“非情采配”の舞台裏では、いったい何が起こっていたのか。そして、マウンドに送り込まれた守護神の心境は——。ここでは、『証言 落合博満 オレ流を貫いた「孤高の監督」の真実』(宝島社)から一部を抜粋。岩瀬仁紀が明かした“オレ流”采配の一部始終を紹介する。(全2回の1回目/2回目に続く

◆◆◆

2007年の日本シリーズ第5戦を迎えた中日ドラゴンズ

2007年の日本シリーズは、負けられないどころか、1人の走者すら許されないような究極のマウンドだった。

日本ハムとの対戦成績3勝1敗として迎えた第5戦。11月1日、本拠地ナゴヤドームで球団として1954年以来、53年ぶり2度目の日本一を懸けたゲームに臨んだ。

落合監督就任以降、中日は2004年、2006年にリーグ優勝を果たしたものの日本シリーズでは勝てなかった。しかも2007年はリーグ2位。同年から導入されたセ・リーグ初のクライマックスシリーズ(CS)で、第1ステージは阪神タイガースに連勝、第2ステージは読売巨人軍に3連勝し、2年連続の日本シリーズ進出を決めていた。相手も2年連続で日本ハムだった。

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落合博満監督 ©文藝春秋

「リーグ優勝していなかったので、日本シリーズに出て負けたら何も残らないという感覚はすごく強かったですね。だから、絶対に日本一にならなきゃという思いは、今までの日本シリーズのなかでは一番強かったかもしれない」

王手をかけていた中日の先発マウンドにはプロ6年目の山井大介が立った。

当時の先発陣は川上、中田賢一(現・福岡ソフトバンクホークス3軍投手コーチ)、朝倉健太(現・中日スカウト)、山本昌(現・野球解説者)、小笠原孝(現・中日2軍投手コーチ)。序列で言えば小笠原と同列の5番手ポジションだった。

山井は前年の2006年は右肩痛で1軍登板なし。まだ二桁勝利の経験はなく、本格的にマウンドに戻ったシーズンだった。2007年のペナントレースは14試合登板で6勝4敗、防御率3・36。10月7日の横浜ベイスターズ戦(横浜)以来の1軍登板で、大一番の先発を任された。

対する日本ハムの先発はダルビッシュ有(現サンディエゴ・パドレス)。ペナントレースは26試合に登板して15勝5敗、防御率1・82。同年の日本シリーズでは第1戦に先発して9回1失点で完投勝利。中4日、相手のヒルマン監督は後がない状況でエースを起用した。

先発のマッチアップだけを見れば、日本一が手に届くところまで来ていた中日にとっては分が悪い。

しかし、試合は回を追うごとに誰も経験したことのない世界へと突入していくことになる。

「まさか、ああいう試合になるとは夢にも思わなかったですから。びっくりというしかない。想定なんてまったくできてなかった」

快投を続ける山井だが……

午後6時10分、試合が始まった。まっさらなマウンドに立った山井は1回、先頭の森本稀哲(現・野球解説者)を遊ゴロに抑える。続く田中賢介(同)を三振、稲葉篤紀(現・日本ハムGM)を二ゴロ。日本一を目指す立ち上がりは上々だった。

2回も4番・セギノールから三振を奪うなどして三者凡退。するとその裏、ウッズが左前打で出塁、続く中村紀洋(現・中日1軍打撃コーチ)が右中間へ二塁打。1死二、三塁となって平田良介が右犠飛を放ち、1点を先制した。

ここから1点を守る戦いが始まる。3回、山井は相手の下位打線を3人で抑え、一巡目が終了。二巡目に突入しても快投は続いた。

しかし、山井は万全の状態とは言えなかった。岩瀬は試合中盤の5回を過ぎたあたりで、山井の右手中指にあったマメがつぶれていることを知った。ブルペンで待機していた岩瀬には、コーチから「ランナーが1人でも出たら代わる。もう8回からいける準備をしておいてくれ」との指示が出た。

いつもより1イニング早い8回に間に合うよう、通常7回裏から始める準備を前倒しして、ウオーミングアップを始めた。ただ、グラウンドでは山井が相手打者を完璧に抑えている。

山井は7回、先頭の森本を第1打席と同じく遊ゴロ。田中賢、稲葉はいずれも左飛に打ち取った。

8回、セギノールから始まった中軸の攻撃も三者凡退。打者24人をパーフェクトのまま、残すは最終回となった。

完全試合で日本一の大記録を目前にして、落合監督が下した決断

このまま27人を完璧に抑えれば完全試合で日本一。球史に残る大記録の達成は目前だった。完全試合だけで見ても1994年5月18日、広島戦で巨人・槙原寛己(現・野球解説者)が達成して以来、27人で試合を終えた投手はいなかった。

しかも、日本シリーズの日本一決定試合で達成となれば当然、前例はない。

1‐0、中日が薄氷のリード。ダルビッシュからもぎ取った唯一の得点を山井が守り抜いてきた。

「内心はそのまま続投を期待していたんですけど……」

「あそこで代えられる監督の勇気がすごい」

味方の攻撃中、ブルペンの電話が鳴った。試合展開を考えれば聞こえるはずのない音が鳴った。内容はもちろん岩瀬への継投。この瞬間に山井が1人で完全試合を達成する可能性は消えた。

「いつもだったら早い段階で9回にいくっていう話があるのですが、たぶん相談していたからワンテンポぐらい遅れたと思うんです。代わると言われたら、こっちはもうそれに向けていくしかない」

静まり返るブルペン、最高潮の球場。日本一が決まる最後のマウンド。いつもなら守護神の登場で勝利を確信するファンも、山井の登場を信じていた。

守護神の仕事は1イニングを0点に抑えてチームに勝利をもたらすこと。しかし、このときだけは絶対に27人で試合を終えなければならないという究極のミッションが加わった。

「絶対に3人で抑えなきゃという思いがものすごく強かった。普段はそういうことを考えないんですけど、どうしても3人で終わらないといけないと」

目の前の状況を理解できない観客のざわめきが収まらずに始まった9回表。相手は下位打線、7番・金子誠(現・日本ハム1軍野手総合兼打撃コーチ)を三振に仕留めると、続いて代打の髙橋信二(現オリックス・バファローズ打撃コーチ)を左飛。最後はダルビッシュの代打・小谷野栄一(現オリックス・バファローズ野手総合兼打撃コーチ)を二ゴロに抑えてシャットアウト。

9回の1イニングを打者3人、13球で無失点。前代未聞の完全試合投手リレーによって、チームの日本一が決まった。

「お前が一番しんどい思いしたな」

リーグ2位から日本シリーズに進出。日本一への思いを強くして臨んだつもりだったが、試合を終えた感情は喜びよりも安堵だった。

「日本一になった喜びよりも、ホッとしたというほうが強くて。普通、日本一になったらうれしさでいっぱいなはずなのに、安堵感がハンパなかったことは覚えています。喜びを爆発させられなかったですよね……」

普通の1点差の試合とまったく異なるシチュエーション。打者を1人も出さずに抑えなくてはならないと自分に言い聞かせた緊張感。これ以上のプレッシャーは、20年間の現役生活を振り返っても記憶にない。

試合後、風呂場で落合と一緒になったという。交代の真意について聞かされることはなかったが、一言だけ声をかけられた。

「『お前が一番しんどい思いしたな』と。パーフェクトで抑えていたピッチャーを代えるわけだから、それだけ信頼されているというのは感じました」

大方の人が山井の続投を考えていた場面。山井本人が8回表終了後のベンチで、迷いに迷って自分から交代を申し出た、というエピソードがのちに明かされているが、普通なら考えられない采配は落合監督だからこそできたのか。

「(代わるのは)いつもどおりでしたけど、逆にあそこで代えられる監督の勇気のほうがすごい。冷静に考えたら、パーフェクトしているピッチャーを代えるって……。代えられる監督っていったら、おそらく落合さん以外いないんじゃないかと思います。そういう決断をできる監督でした」

「もっと楽に、シンプルに打てよ」35歳のベテラン和田一浩と落合博満が3年かけて取り組んだ“オレ流の打撃改造計画”へ続く

(岩瀬 仁紀)

岩瀬 仁紀

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