福島復興へ骨うずめる覚悟 兵庫から移住の男性「阪神・淡路」の無念が原動力 現地県職員に転身、除染従事

福島復興へ骨うずめる覚悟 兵庫から移住の男性「阪神・淡路」の無念が原動力 現地県職員に転身、除染従事

  • 神戸新聞NEXT
  • 更新日:2023/03/19

東日本大震災から12年。兵庫県明石市の丸谷聡さん(62)は約10年前、東京電力福島第1原発事故で放射能に汚染された福島県に移住し、同県職員として市町村の除染事業を支援した。事業は5年前に完了し、2年前には定年も迎えたが、いまも再雇用で防護服などの資材管理に携わる。復興のため、福島県に骨をうずめるつもりだという。

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福島県の様子を語る丸谷聡さん=明石市

東日本大震災が起きた2011年、勤務していた環境調査会社内の復興支援事業で仙台市へ赴任した。農地で津波による塩害を調べ放射能汚染の調査にも携わるうち「福島県で、できることがないか」と思い、翌年、社会人経験者の県職員採用に応募。40倍を超す倍率の中、最高齢52歳で採用された。着任時、上司たちは手を握り締め「よく来てくれた」と歓迎してくれた。

除染の担当は、国が住民がいない「避難指示区域」を、市町村が住民がいる「汚染状況重点調査地域」を受け持つ。丸谷さんは市町村と国との調整を担った。「元通りにしてほしい」と住民は望むが放射能を完全に除去する技術はない。「被ばく線量を低減し、健康被害を抑えること」を念頭に一歩一歩進めた。

入庁直後の初夏、避難指示区域では、ウグイスやホオジロがさえずっていた。「日本の原風景のように美しく、車を止めて見ほれた。人がいないことが悲しく、この失った国土を取り戻さなくてはと思った」と振り返る。

なぜ、明石から遠く離れた地で尽力するのか。丸谷さんが34歳のとき、阪神・淡路大震災が発生、実家が全壊し祖父が亡くなった。フランス法哲学の研究で知られた飛沢謙一関西学院大法学部教授だった。「世のために人生をささげた祖父が生きる指針になった」と振り返る。「阪神・淡路」では実家の生活再建に追われ、地域の復興に役立てなかったという。これが東北復興支援の原動力となっている。

近年、福島の住まい近くで人影、野鳥が増えたことがうれしいという。一方で除染したのは主に住居や道路、公園などの公共施設、農地で、同県内で高い割合を占める森林の多くはそのままだ。「人、自然の動植物への影響を今後も見守っていく必要がある」と語る。

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