オンラインで始まった新学期。コロナ禍で薄くなった平日と休日の境界

オンラインで始まった新学期。コロナ禍で薄くなった平日と休日の境界

  • かがみよかがみ
  • 更新日:2021/06/11
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一度目の緊急事態宣言の最中だった2020年のゴールデンウイーク。思いがけず三か月以上もの期間になった春休みが明けて、新学期が始まった。初のオンライン授業という試みを伴って……。

最後の会話は「起きて待ってる」「車ひくなよ」急死した父に伝えられなかったこと

オンラインで行われる授業。私は、外に出る必要がなくなった

形式としてはリアルタイムで授業に参加するもの、教授が事前に録画した動画を視聴するもの、動画配信はなく配布資料を使って文面だけで行うものの三つがあった。

どんな形にせよ授業が始められて良かったと思いつつ、回数を重ね、私は新しい学びの方法に適応していった。そうして二、三週間が過ぎた頃――気づいてしまった。

外に出ない。学校に登校する必要がないと、全く外に出ない!……ということに!

「いやいや全くは言い過ぎでしょう、ご飯買いに二日に一回くらいは出るでしょう」と思われるかもしれない。ところがどっこい!私は学生寮暮らしで、日曜日以外は毎日料理が提供されるので、その必要もないのである!!

この我が寮の素晴らしいシステムが引きこもりを加速させた。つまり、出かけなければいけないのは日曜日の食料調達のみ。その調達も買いだめしてしまえば頻度を減らせる。やろうと思えばゴミ出し以外、一か月外に出ないことも可能なのだ。

……さすがに一か月敷地を出ないことはしなかったが、私は引きこもり記録を作り出そうとせずとも、無意識に最長で二週間ほとんど外に出ない生活を過ごした。

強制された巣ごもり。私にはコロナ禍以前の休日とそう変わらなかった

「ずっと部屋で何をやっているのか」という話をすると、勉強・寝る・読書・ゲーム・アニメ・映画鑑賞・絵を描く、この七つを順不同で繰り返す生活をしている。

ちなみに今現在もである。

見ての通りインドア趣味なのだが、インドアもインドアなりにコロナ禍前は出かける機会が結構あった。

映画館に行ったり、ゲームセンターに行ったり、友だちとカラオケに行ってアニソン三昧したり、アニメのイベントに参加したり……それがコロナによってほとんど全てなくなってしまった。特に二週に一回のペースで遊んでいた友人とめっきり会えなくなってしまったのは寂しかった。

しかし以前とある地方新聞の取材を受けた際、「コロナ禍において不自由だと思うことはありますか」と尋ねられ、私は「インドア趣味なのでそれほど困っていない」と答えた(すると『ハハッ』と笑われたのだが、あれはどういう意味の笑いだったのだろうか)。

友だちに会えないのはたしかに悲しいが、この回答に偽りはなく、コロナ禍において強制される巣ごもり生活は私の趣味で十分楽しさを補えるものであり、前から過ごしていた休日

とそう変わらない内容だった。

休日への特別感が薄れた。コロナ禍により薄くなった平日と休日の境界

では何が変わったのかと言えば、平日と休日の境界が薄くなったことである。

私の平日は「学校に赴くこと」が要だったのだ。オンライン形式の授業はリアルタイムのもの以外、課題提出は休日でもできる。言い換えれば「休日に授業を受けられる」。

そうなると平日=授業を受ける日という概念がなくなって、いよいよ平日と休日の区別がつかなくなる。平日が休日のようになり、休日が平日のようになる――自分の休日に対する特別な感覚が薄れたことが、コロナ禍以前と以後の一番の違いだと感じている。

毎日毎日、休日と平日を足して割ったような生活で、「週末がやってくる!」といったワクワク感はしばらく抱いていない。これが不満というわけではないけれども、「平日」がないと自堕落な生活をしているような後ろめたい気分になってくる。

少しでも自炊の練習をすれば気は紛れるだろうか。とするとまずは、包丁の持ち方からおさらいしなければならないだろう……。

いつか休日を休日らしく思える日が帰ってきたならば、私は友人と共に過ごす時間を真っ先に計画しているに違いない。

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さんいち

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