「消えたかった」10代の頃の私が拒食症を乗り越えるまで

「消えたかった」10代の頃の私が拒食症を乗り越えるまで

  • コスモポリタン
  • 更新日:2021/05/07
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シドニーとロンドンを拠点に活動するジャーナリストのケイト・リーヴァーさんは、10代の頃に拒食症と診断されました。

本記事では、彼女の新著『What Doesn't Kill You: Fifteen Stories of Survival(原題訳:あなたを殺さないもの:15のサバイバル・ストーリー)』に綴られているその体験の一部を、<レッド>より抜粋してご紹介します。

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もし全部食べるのをやめたら、どうなる?

消えてなくなりたいと思ったのは、13歳の頃でした。

当時、私は腺熱(せんねつ)と慢性疲労症候群により、寝たきりになりました。何年も学校に行けず、代数を勉強したり、フランス語の動詞の活用を学ぶ代わりに、母のベッドの上で『フレンズ』のビデオを見ていました。両親は、考え得る限りの医療機関へ私を連れて行き、なんとかして青春時代を謳歌するためのエネルギーを私から引き出そうとしました。

こうした“巡礼”の中で、私たちはシドニー郊外にある自然療法医を訪れました。彼女は、尋常でない私の無気力さは食物アレルギーによるものかもしれないと考え、あらゆる除外食テストを受けさせました。

お皿の上から食べられる食品群が減るにつれ、私は自分がパワフルになったように感じました。ウエストや太もも、腕が痩せはじめると、学校の友達が褒めてくれたし、私の自意識は空腹感と分かち難いものになりました。

お腹が鳴ると誇らしい気分になり、手の震えは何かを達成したように思えました。やがて食事制限によって、悪魔のような考えが浮かんで来ました。

「もし全部食べるのをやめたら、どうなる?」

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どんどん体が小さくなる感覚に夢中になり、私は食べ物を隠したり、捨てたり、吐いたりするようになりました。友達と出かける約束も断りました。お泊まり会でピザを食べたり、映画館でアイスクリームを食べたりするのを怖れたからです。

両親には、いつ何を食べたかについて嘘をつきました。食事時間には、「もう行っていい」と言われるまで、お皿の上の食べ物をフォークでつついて過ごしました。私の日常は、どこまでカロリーを落とせるか、どこまで食事を避けられるか、何口まで拒めるかという、障害物競走のようになりました。

当初、私には完壁なアリバイがありました。診療の一環で、ある女性にお金を払って、アレルギー診断のための制限食メニューを書いてもらっていたのです。しばらくは、ただ指示に従っているだけでした。その後アレルギーテストは終わりましたが、私はそれをこっそり続けました。

私の人生は、私のお尻と同じように縮んでいきました。小さくて、狭い世界を生きるようになったのです。

あまり社交をせず、学校にもたまに行くだけで、食べ物のこと以外はほとんど考えていませんでした。宿題をこなすことはおろか、読むエネルギーさえありませんでした。私がすることと言ったら、ただテレビの前に寝転がって、チョコレートバーの食感を夢想することだけでした。

食事を抜き、消えてなくなることが、目標に向けた私の最大の努力でした。

こうした日々は、上辺だけの付き合いだった学校の友人が、私がサンドイッチをぐちゃぐちゃにしているのを見た、と彼女の母親に告げるまで続きました。彼女の母親が私の母にその話を伝えたのです。どこまでがダイエットで、どこからが病気かを真に理解してはいなかったものの、母の中でくすぶっていた疑惑が確信に変わりました。

母は無意識のうちに、何かがおかしいとわかっていたのです。私は事実を告白し、母と一緒に「拒食症」という言葉を口に出して、かかりつけの内科医の予約をとりました。そこで私は体重を計られ、問診を受け、ある摂食障害の専門医を紹介されました。その専門医は、患者に対して自分の首が震えるほど大声で説教するような人でした。

専門医は私に、摂食障害のためのクリニックに入院することをすすめました。クリニックはシドニーの自宅から30分ほどの場所にありましたが、味気ないピスタチオグリーンの壁が蛍光灯で照らされた、3階建てで相部屋の迷宮のような場所でした。

5週間、私はスリッパを履いた足で、シングルベッドと、ぼそぼそとした声でグループセラピーが行われる共同部屋を行き来しました。1日3回エレベーターに乗ってカフェテリアに降り(階段は使用禁止でした。私たちの先輩が階段をカロリー消費のために使ったためです)、黙ってこちらを見る女性の前で食事をしました。お皿を空にするのが義務で、できない場合は看護婦長の逆鱗に触れることになりました。

私の拒食症は常にうつ病と絡みあっていました。うつ病によって食欲がわかなくなり、そうなることでさらなるうつ状態に陥りました。

私は、かれこれ12歳の頃から断続的に抗鬱剤を服用しています。10代の頃の私は、この世から逃げ出したかった。そのための唯一の方法が、食べ物を拒絶することだったのです。食事を抜き、消えてなくなることが、目標に向けた私の最大の努力でした。

本当の問題は、食べ物より、ダイエットより、はるかに大きいものでした。私はビキニが似合う体になりたくて減量していたわけではありません。もっと暗く、残酷で、憎悪に満ちたものがそこにはありました。

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自分の状態について学び、知ることによって、自信を得ました。

食べないことを選択したとき、私は意図的に、生きるための栄養を自分に与えないようにしていました。自分が小さくて、弱くて、もろいものだという認識に合うように、自分の体を作り変えたかったのです。

私は拒食という行為が与えてくれる感覚に取り憑かれていましたが、それは自分が魅力的に見えるようにするためではありません。人生を生きることから退きたかったからなのです。

ところが、自分の病を人間のように見立てて、それが自分とは異なる存在だと思えるようになると、驚くべき発見がありました。もし、拒食症が私の友達ではなく、手強い敵なのだとしたら、回復することこそ復讐になると思ったのです。

私は自分の内側に、自分でも知らなかった強さがあることに気づきました。そして私は食べるようになりました。食べて、食べて、食べて、食べました。

精神科医や心理学者、内科医、そして母の手助けを得て、私は元の健康的な体重に戻り、消えてなくなりたいという誘惑が襲って来たときでも、自分に栄養を与えることができるようになりました。拒食症や飢餓のメカニズムについての本も、以前より読むようになりました。

私は自分の陥った状態について学び、知ることによって、自信を得ました。私の病気は危険なもので、生物学と、心理学と、生まれつきの不安感と、社会からのプレッシャーが混ざったものだと理解したのです。それを知ることは私を強くしてくれました。解決策が1つではないように、原因も1つではなかったのです。

今、私の体は食べ物を必要とするようになりました。以前より場所をとる体になりましたが、今は自分にその資格があると思っています。

※この翻訳は、抄訳です。
Translation:mayuko akimotoRED

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