
【前回の記事を読む】モロッコ国王のマッサージ師になった母…天ぷらに「美味しい、美味しい」
母の日記より【1987年7月モロッコの日々】
1989年2月に入り、寒くなったので暖かいマラケシュの宮殿に移ったのですが、ある日王様が、僕と一緒にいらっしゃいと言い、王様の運転で孫と一緒にプリンセスの家まで先導のパトカーもなくお忍びのドライブ。
「日本の天皇や皇太子様達もこんな事しているのかしら?」と思いました。
王様は先に帰り私は残って遊んでいましたら、プリンスがいらして、
「まさえ、僕と一緒に日本に行くのですよ。すぐに王様の所に行くように」
と言われました。すぐに戻り伺いますと、
「プリンスが明後日、日本に行くのでまさえも一緒に行きなさい。仕事抜きで家族と会ってそして買い物をしてらっしゃい」
とおっしゃって下さいました。涙が出るほど嬉しかった。
日本の天皇の大喪の礼の出席の為なので、マラケシュの空港から出発。もちろん平岡大使がお見送りに。飛行機はファーストクラスの貸切、またまた夢のような光景、日本ではプリンスと一緒の帝国ホテル。全ての部屋は世界のVIPばかりですので、警備の凄い事。家族や友人と会い銀座でお買い物。
夜、たくさんの紙袋を下げて静かなロビーを通るのが少し恥ずかしかった。
お部屋に羽田元総理から電話があり、「今下でプリンスと会食していて、まさえは元気にやっていますかと聞いたら、一緒に来ていてこのホテルにいますよ」と言われたそうです。
モロッコに帰ってからフエット(お祭り)の為、集まった人達で街はとても賑やかです。外国からのお客さまをお迎えして、お祝いのパーティーがありました。こちらに来てからパーティーが多いですが、イスラムなので女性と男性の部屋は別々です。
3日後のご挨拶の時、「まさえ、どうして今日はゴルフに来なかったのか。マダム大屋(帝人)が会いたいと言っているからホテルに行きなさい」と言われ、初めてあの有名な大屋政子さん(帝人の社長夫人でテレビタレントとして活躍していらっしゃいました)とお会いし、3時間一緒に過ごしました。可愛らしい女性でした。
ラバトへ戻る移動の途中セッタの王様の家でランチ。
「まさえ、娘はいつ来るのか?」
Jaidy氏が、
「休みが1週間しかないので、ダメだと言われたそうです」
と答えました。すると、
「私がJaidyに電話をして娘をこちらに来させる」
とおっしゃって、次の日には娘がこちらに到着しました。なんて速いのでしょう、王様の力って凄い。ラバトに戻り、ホテル住まいから家に移りなさい、と王様から家のキーを渡されました。
「静かでとても良い所ですよ、嫌だったらいつでも言いなさい」
と高級住宅街のマンションをいただきました。でもどうしても気に入らず、私の住みたいマンションがあったので、そこに住みたいとお願いして変えていただきました。
国一番のお金持ちと、王様の亡き弟さんがオーナーの、14階の2LDKの部屋に移りました。日本でいえば、銀座・和光の場所だと言えばわかりやすいと思います。
平岡大使から、
「日本だと100万はするぞ。いったいあなたのマッサージは幾らするのだ」
と言われました。でも私のお給料が1人のフィリピン人と一緒だったので、
「日本と物価が違うのに不公平じゃない?」
と大使に相談すると、
「そうだね、王様に言うべきだ」
と言って下さいました。夏美夫人に正しい英語を教えてもらい、勇気を出して王様に直接談判。
「日本の家のローンがあり、娘の教育費などで今のお給料では苦しいので、少し上げていただけないでしょうか?」
「そうか、それでは100ドル上げてあげよう、でも2人だけの秘密だよ」
とおっしゃって、快く引き受けて下さいました。
その事を大使に報告すると、
「まさえさんの英語でよく通じたな」
「つたない英語だからいいのよ、流暢な英語じゃ可愛げがないでしょ、もし大使が外国人から辿々しい日本語で頼まれたら可愛いでしょ」
「そうかもしれないなー」
こんなやり取りがありました。
田中 靖三