FCロストフへ移籍する橋本拳人が、背番号「18番」にこだわる理由

FCロストフへ移籍する橋本拳人が、背番号「18番」にこだわる理由

  • Forbes JAPAN
  • 更新日:2020/08/01
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今夏もまた、日本人選手がヨーロッパへと旅立つ。不動のボランチの座が約束されていたJ1のFC東京から、ロシア・プレミアリーグのFCロストフへ移籍する日本代表の橋本拳人だ。

ゼロからの挑戦をスタートさせる彼は、FC東京で着けてきた「18番」を新チームでも背負いたいと希望している。験を担ぐアスリートは少なくないが、橋本のように自らが背負う番号にこだわる選手はあまりいないと言ってもいい。

2年後のワールドカップを見据えながら、まもなく27歳になる橋本が「18番」に込めた熱い思いを追った。

FC東京の「18番」石川直宏選手との出会い
橋本拳人の新天地、ロシア・プレミアリーグのFCロストフの関係者は思わず耳を疑ったはずだ。交渉が始まったばかりの段階で、橋本がある番号を背負いたいと希望してきたからだ。

「早々に『18番』をお願いしますと言いました。別の選手が着けているのでちょっと待ってほしいと言われています。いまも交渉中ですが、もしかしたら背負えるかもしれません」

ロストフ側とのやり取りを照れくさそうに明かした橋本は、J1を戦うFC東京でも、ルーキーイヤーの2012シーズンから背負った「37番」を、2018シーズンから志願する形で「18番」へと変更している。そのとき胸中に抱いた覚悟と決意を、こんな言葉で説明してくれたことがある。

「あのときはFC東京に骨を埋めるというか、できるだけ長くFC東京でプレーして、FC東京を代表するような選手になろうと思って『18番』を背負いました。最初のころに比べて、ちょっとは『18番』が板につく選手になってきたのかなと思っています」

ちょっとどころではない。昨シーズンは年間34試合、時間にして3060分間を戦うフルタイム出場。クラブ史上最高位となる2位でフィニッシュしたFC東京の中心を担い、オフに開催される表彰式、Jリーグアウォーズでは自身初のベストイレブンにも選出された。

昨年3月に初招集された日本代表でも常連となり、タイトル獲得へ向けて、これからという矢先に新天地をロシアへ求める決断を下した。スクールに通った小学生時代を皮切りに、実に17年間も所属してきたFC東京を離れる理由も、ロストフで希望する「18番」と密接に関係している。

東京都板橋区で生まれ育った橋本は、5歳から地元のクラブでサッカーを始め、兄の影響でFC東京のスクールにも通い始めた。迎えた2005年4月10日、小学校6年生になったばかりの橋本に大きな決意を抱かせる、一生忘れられない出来事が訪れた。

FC東京が現在も実施している、小学生のクラブサポートメンバーを対象にした「ハンドウィズハンド」と呼ばれるイベント。ホームの味の素スタジアムで行われるJリーグの試合で、FC東京の選手たちと手を繋ぎながらピッチへ入場する11人の子どもたちの1人に橋本は選ばれたのだ。

どの選手と一緒に入場するのかは、子どもたちの希望が優先される。当時の一番人気は、「18番」をトレードマークにして、長髪をなびかせながら颯爽とピッチを駆け抜ける勇姿からいつしか「スピードスター」の異名をつけられ、日本代表でもプレーした石川直宏選手だった。

当然のように、11人の子どもたちのほぼ全員が、石川選手と入場したいと希望した。重複した場合はジャンケンで決着をつけることになっていた。「そのなかで、僕が勝ったんです」と懐かしそうに記憶をたどる橋本は、ジュビロ磐田戦のキックオフが待つピッチへ入場しながら、夢を描き始めた。

「FC東京でプロサッカー選手になって、憧れの石川さんと同じピッチでプレーしたい」──中学校に進学した翌2006年に、中学生年代のFC東京U-15深川に加入した橋本は、高校生年代のFC東京U-18を経て、2012年にトップチームへと昇格。年齢がひと回り違う石川選手とチームメイトになった。

そして、J2のロアッソ熊本で約1年半の武者修行を積み、心身両面で成長を遂げた橋本が満を持してFC東京へ復帰した2015シーズン。6月20日に敵地ベストアメニティスタジアム(現・駅前不動産スタジアム)で行われたサガン鳥栖戦で、橋本が長く夢見てきた光景が現実のものとなる。

後半23分からピッチに立った石川選手に続いて、橋本も同33分に投入される。12分あまりに及んだ初めての同じ舞台。しかし、その後は、左ひざの前十字じん帯を断裂した石川選手が長期離脱を余儀なくされたこともあり、その後はなかなか再び実現されないまま、石川選手は2017シーズンをもって引退する。

12月2日の2017シーズン最終節。約2年4カ月ぶりの公式戦出場を先発で果たし、味の素スタジアムで57分間プレーしたガンバ大阪戦が石川選手のJ1における最後の一戦となり、先発フル出場した橋本と4度目にして最後の「共演」となった。このとき、橋本は「18番」の後継者になると心に決めた。

「ナオさん(石川選手)のファンの1人として、引退試合を含めて一緒にプレーしたなかで、あらためて偉大な選手だと感じていました。ナオさんへの思いを込めて『18番』を背負わせてもらおうと考えたのです」

ただ、恥ずかしさもあって、なかなか選手を辞めた石川さん本人へ言い出せない。踏ん切りがついたのは、2017年の年末だった。新シーズンへの鋭気を養うために滞在していた南半球のオーストラリアから、「ちょっと静かな場所まで行って、気持ちをしっかりつくって」橋本は国際電話を入れた。

残念ながら、橋本からのコールに石川は気がつかなかった。しばらくして着信を見た石川が折り返してきたときに、秘めてきた思いをようやく告げることができた。

「実は相談がありまして。ナオさんの『18番』をつけて、来年からプレーしたいんです」

石川さん自身も「18番」を次に誰がつけるのか気にかけていた。FC東京というクラブを心から愛し、プレーを通して責任と覚悟を示すことができる選手に背負ってほしいと願っていたからこそ、受話器越しに聞こえてきた橋本の申し出には、「心が震えた」と石川さんも振り返る。

「こんなに嬉しいことはないですから。僕のほうこそ『ありがとう。ぜひともよろしくお願いします』と伝えました」

海外移籍で背中を押してくれた人
晴れてFC東京の「18番」の後継者となった時点で、橋本は海外でプレーする、もうひとつの夢を半ば封印している。昨シーズンの前半戦で覚醒を遂げ、瞬く間にスペインへ旅立っていった後輩の久保建英を間近で見ながら、橋本は自らが置かれた現在地に対して、自問自答を繰り返していた。

「海外へ行くには(久保)建英選手のように爆発的な活躍を見せなければと感じていたなかで、自分のプレースタイルはどんどん点を取る感じでもない。ボランチとして海外へ移籍することの難しさを感じていたというか、それこそ日本代表に入らないと絶対に行けないものだと思っていました」

しかし、昨年、その日本代表に継続して招集され、7試合で先発を果たしたことを境に、海外でプレーする夢が再び頭をもたげてきた。森保ジャパンの主軸を担う、ヨーロッパのクラブに所属する選手たちとピッチの内外で同じ時間を共有しながら、カルチャーショックに近い刺激を受けたことが理由だった。

「ヨーロッパ組は本当にタフな選手たちが多いと一緒にいて感じていました。彼らと話をしていて、向こうでは日本のJリーグとは環境も大きく異なっていて、周囲とコミュニケーションを取ることを含めて困難がたくさんあると聞かされているうちに、僕自身にもそうした困難が必要だと思うようになったんです。それらを乗り越えていけば、さらに強くなっていけると、もう一度自分に火がつきました」

ただ、J1で前述したような好成績を残したところで、海外から声はかからない。まもなく27歳になる、決して若くはない自分は目に留まらないのか。こうした忸怩たる思いも脳裏をかすめ始めたなかで、新型コロナウイルスですべての公式戦の中断が余儀なくされているなか、ロストフからオファーが届いた。

「最初は興味があるという話でした。自分でも予想していなかったロシアという国だったこともあり、正式なものが来たら考えますと代理人には伝えましたが、けっこう早い段階で正式なオファーも届きました。最初は行く、行かないが半々でしたけど、年齢的にもラストチャンスだし、新型コロナウイルスで経済的にも難しい状況でオファーを出してくれたことへの感謝を考え、葛藤はありましたが、1週間ぐらいで『これは行かなければいけない』と思い始めました」

石川さんもかつては、海外へ移籍するか否かで揺れ動いた時期があった。アスリートならば誰でも、より高いレベルでプレーしたいと望む。ワールドカップの舞台で活躍する自身の姿から逆算し、弾き出した橋本の決断を伝えられた石川さんは、笑顔で背中を押してくれたという。

「ナオさんからは『18番』のことは気にするな、頑張って来いと言われました。まずはサッカー以外の面で、どれだけストレスに打ち勝てるか。コミュニケーションを含めて、ストレスなくサッカーができる環境を整えたいと思っていますけど、ちょっとしたストレスならばどれだけ受け流せるか、あるいは処理できるかというところも意識してやっていきたい」

今年1月に結婚を発表した夫人を日本に残し、当面は単身で文化も風習も日本とはまったく異なるロシアの地で新たな勝負をかける。その胸中には「18番」への感謝の思いが芽生えている。

「一時は伸び悩んでいると、自分に対して思っていたこともありました。それでも『18番』を背負ったことで自分自身にプレッシャーをかけ、メンタル的にも成長したと思っています。ロシアで活躍することが、お世話になった人たちへの恩返しになると思って頑張ってきます」

その恩返しを誓う1人が石川さんだからこそ、ロストフでも「18番」を背負い、海外で成功する夢を具現化させたいと望んだ。どこまでも純粋に。そして、一度決めたからには真っ直ぐに。

背番号に導かれた橋本の挑戦は、来月からプレミアリーグが開幕するロシアで、新たなステージへと突入する。

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