新興宗教、クレーマー、嫌味なご近所 『波紋』は“人間の嫌なもの全部乗せ”映画だ

新興宗教、クレーマー、嫌味なご近所 『波紋』は“人間の嫌なもの全部乗せ”映画だ

  • Real Sound
  • 更新日:2023/05/26
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『波紋』©2022 映画「波紋」フィルムパートナーズ

リアルサウンド映画部の編集スタッフが週替りでお届けする「週末映画館でこれ観よう!」。毎週末にオススメ映画・特集上映をご紹介。今週は、新作『ゼルダの伝説』がどうしてもやめられない間瀬が『波紋』をプッシュします。

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■『波紋』

本作、すごく面白かった。正直にいえば何回も声に出して笑ってしまった。しかし、そんな感想を公の場でハッキリと言うことは憚られるような作品でもある(ハッキリと言っているが)。なぜかといえば、人間の嫌なものがこれでもかというほど描かれているから。言うなれば「人間の嫌なもの全部乗せ」だ。日々の中で「こういうのあるある、いやだいやだ……」と目を逸らしてしまうようなことをまざまざと見せつけられる。毎日店に来るクレーマー、介護・相続問題、嫌味っぽいご近所の存在、どうすることもできない病気……。ああ、いやだいやだ。多少神経質だけれど、つとめて静かに生きようとする主人公・依子(筒井真理子)の気持ちも分からなくもない。

ただ、その依子も新興宗教にどっぷりつかっている。貢献度でいえばトップランカーだろう。心の安寧を得るために夫の父親の遺産を使って“特別な水”を買い、ストレート過ぎる障がい者差別までしてしまう。ほんとうに全てが最悪なのだ。しかし演出は絶妙に、軽妙に描かれており、どれほど嫌なことを見せられても観るに耐えないことはなく、なんなら笑わされてしまう。画面が暗転したときにニヤニヤしている自分の顔……。荻上直子監督の手腕は見事だったというほかない。

そして光石研は“そこら辺にいそうな親父”の演技がやっぱり上手い! あまりにリアリティがあるために、実際にはただの他人でしかない俳優たちが一気に“家族”として成立してしまう。6月9日公開の『逃げきれた夢』でもしがない父親役を好演していたが、光石が父親としてキャスティングされるだけでどんな家族なのかがわかってしまうのが面白い。

印象に残ったのは、光石演じる息子としての修が、死んだ父親の悪癖を無意識に再現してしまうシーン。子は親に意図的ではなくとも近づいてしまうし、目に見えるもの以外に様々なものを遺伝している。作中で修は(醜悪だが)“ふつう”の感覚を持った人物として描かれている。しかし依子目線で見れば忌むべき存在であり、そうしたものが“再生産”されていく様子は、また違った恐ろしさを思わせる。

本作で描かれている“嫌なもの”が極めて特殊なケースであったり、登場人物特有の事象だったりするならば、ただ笑って観ていられる。しかしここで描かれているのは人間社会でありふれた出来事であるし、それらが再生産される=息苦しい世の中が続いていくことを見せつけられると、なんとも顔が引きつってしまう。ブラックコメディとして、とても秀逸な映画だ。

1人1人が発した言葉や主張が波紋のように周囲の人々に届き、刺激を与える。すると受け取った人も反応して、さらに大きな波紋として跳ね返す。依子も新興宗教の先生から買った“貴重な水”で自分を落ち着かせようとしていたけれど、筆者も瞑想にハマった経験があり、そこでは「周りの物事にいちいち反応するのがいけない」と教わった。それなりに納得していたし、そう心がけて生きてきたけれど、今はもうそれが正しいのかわからない。信じていた世界をぐわんぐわんと揺さぶられてしまった。
(文=間瀬佑一)

間瀬佑一

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