「一番きつい」春辞退から京都国際・森下が復活できたワケ 夏の甲子園

「一番きつい」春辞退から京都国際・森下が復活できたワケ 夏の甲子園

  • 毎日新聞
  • 更新日:2022/08/06
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6月の練習試合の後に握手をする京都国際の森下瑠大(左)と近江の山田陽翔=大津市のマイネットスタジアム皇子山で2022年6月8日午後8時46分、加古信志撮影

第104回全国高校野球選手権大会は6日、兵庫県西宮市の阪神甲子園球場で1回戦があり、京都国際は一関学院(岩手)に5―6で延長十一回サヨナラ負けした。

京都国際と近江 交流のきっかけは?

サヨナラ負けした。それでも、京都国際の森下瑠大(りゅうだい)は最後まで涙を見せず、打たれて泣きじゃくる後輩投手の松岡凜太朗を慰め続けた。「甲子園という舞台が楽しくて自然と」。悲しみ、苦しみを乗り越えたからこそ、心からの笑顔だった。

今春、新型コロナウイルスの集団感染で大会直前にセンバツ出場を辞退した。3月17日、大阪市内の宿舎。小牧憲継監督からセンバツ辞退を伝えられた。寮から自宅に車で帰る途中、あまり感情を表に出さない森下が「今までで一番きつい」と思わず母親に漏らした。

その後、自身も新型コロナにかかって高熱が出た。代替出場で準優勝した近江(滋賀)の雄姿をテレビで眺め、「自分たちが立つはずだった舞台」と悔しさが募った。と同時に、「突然出たのに決勝まで行けるなんて」と感心もさせられた。近江のエースはSNS(ネット交流サービス)を通じて仲を深めた山田陽翔(はると、3年)だった。

4月に入り、全体練習が再開した。しかし、突然練習を始めた影響か、左肘の古傷が痛み始めた。軽いキャッチボールで調整するだけで、ブルペンにも入れなかった。5月の春季京都大会の登板は初戦だけ。チームも準々決勝で敗れた。森下や平野順大(3年)らが主力となり、甲子園で準決勝に進んだ2021年夏とは程遠い姿だった。

転機は6月、近江から誘われた練習試合だった。森下はまだ登板できず、3―4で競り負けた。「(センバツに)代わりに出た近江に負けた。自分たちは力がないし、このままでは日本一になれない」と痛感した。甲子園で山田と投げ合いたい――。そんな思いがわき上がった。焦らず丹念に基礎練習に打ち込み、左肘の痛みが和らいだ6月下旬からブルペンに入り始めた。

今夏の京都大会は、決勝で逆転2ランを放つなど3本塁打をマークし、打率は6割を超えた。準決勝では2カ月以上ぶりに実戦で登板し、決勝は先発マウンドにも立った。甲子園の切符をつかんだ後、山田に連絡した。「決めたぞ。頑張れよ」。その2日後、近江も甲子園切符を勝ち取った。

抽選会後には山田から電話が来た。たわいもない話をして盛り上がった。次、話すのは甲子園で――。そう決意して臨んだ初戦だった。

だが、甲子園の先発マウンドで実戦不足が影響した。制球が甘くなった直球を痛打され、初回に3失点。三回にも1失点し、この回限りでマウンドを譲った。チームは最大4点差を追いかけ、九回、平野の2点適時打で追いつく意地を見せた。

「苦しい場面をみんなで乗り越えてきたから、あの粘りを生んだのかな」と小牧監督。森下も、チームもこれぐらいの逆境で諦めるわけにはいかなかった。

試合後、森下は「日本一になれなかった。あとは任せたと伝えたい」と山田に目標を託した。今後はプロ志望届を出す意向だ。悩み、苦しんで、そして最後は満開の笑顔。今後の糧になる濃密な高校野球の時間だった。【大東祐紀】

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