「スパイ」にまみれた戦争の時代 それでも「絶対に切り離せない何か」とは

「スパイ」にまみれた戦争の時代 それでも「絶対に切り離せない何か」とは

  • 文春オンライン
  • 更新日:2020/10/16

太平洋戦争直前の神戸。貿易商の福原優作の妻・聡子は、徐々に閉塞的になっていく日本社会で、どこか楽天的に生きていた。だが夫にスパイの疑いがかけられたのを機に、夫婦の運命は大きく動き出す。

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蒼井優、高橋一生が出演した映画『スパイの妻』は、一組の夫婦の鬼気迫る駆け引きを描いた、巨匠・黒沢清による極上のサスペンス。元々はNHKでの8K映像によるドラマとして製作されたが、映画版が10月16日より劇場公開される。その緊張感溢れる演出は人々を圧倒しヴェネチア国際映画祭で見事銀獅子賞を受賞した。脚本を手がけたのは、東京藝大での黒沢監督の教え子で、映画監督としても活躍する濱口竜介と野原位。二人は、神戸を舞台にした映画『ハッピーアワー』(濱口竜介監督)でも、共に脚本を手がけている(高橋知由と三人での共同脚本)。今回はどのような共同作業が行われ、この驚くべき映画が誕生したのだろうか。

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黒沢清監督

「やるなら絶対に『スパイの妻』がいい」

――黒沢監督が初めて、いわゆる時代ものを撮った、という事実にまず興奮したのですが、当初、濱口さんと野原さんが書いたプロットでは時代ものと現代ものの二種類があったそうですね。

黒沢 この企画の成立までには非常に複雑な過程がありました。野原から突然「神戸を舞台に8Kで映画を撮りたい。脚本を書くので監督をしてほしい」と連絡が来たのが始まりでした。もちろん二人とも才能ある監督たちなんですが、僕は正直、野原も濱口も未だに学生扱いというか、「まあ学生映画だろうな」と考えて「やってもいいけど内容次第だね」なんて軽い扱いをしてしまったんですね。しばらくして二人が出してきたプロットの一つが現代もの、もう一つが戦前の神戸を舞台にした『スパイの妻』でした。どちらも非常におもしろかったけれど、現代もののほうは、神戸であることの必然性があまり感じられず、どこでも撮れるようなものだった。一方『スパイの妻』の方は神戸ならではの何かをベースに書かれていた。それと僕は過去に何度かこれに近い時代の映画を作ろうとしては挫折した経験があるので、やるなら絶対に『スパイの妻』がいいと。ただその時点でもまだ「本当にやれるの?」と半信半疑だった。それが一年程経った後、突然プロデューサーから連絡があり、あれよあれよというまに実現していきました。二人のプロデュース力が思いのほかあったわけですが、それ以上に、プロデューサーやNHKを動かすだけの力がやはり脚本自体にあったんでしょうね。

――題材自体も濱口さんと野原さんたちが完全にオリジナルで考えたんですよね。

黒沢 ええ。一応基になった事件などは多少あったようですが、脚本としては完全にオリジナルのフィクションです。こういう時代ものでは珍しいですよね。濱口は「エリック・ロメールの『三重スパイ』のようなものをやりたくて書きました」というようなことは言っていましたけど。これもまた国家と国家のギスギスした状況を背景にしたスパイものでありながら、実際に行われていることはほぼ室内で人が喋っているだけ、という映画ですから。

作り込んでいく純粋な高揚感があった

――たしかに『スパイの妻』も室内での会話劇が中心となっていますが、一方で、実際に映画を見てみると、いろいろな場所を移動しながら様々な出来事が起こっている、という感覚が強くありました。

黒沢 そこが僕の苦労したところだったんです。脚本の狙いはわかるとはいえ、一箇所や二箇所の室内でただ喋っているだけではね、と。せっかくこの時代を扱うんだから、可能なかぎり、ある広がりを出したいと思っていました。人がどこかへ行く道すがらの街とか、当時を思わせる風俗とか、派手な戦闘シーンは無理だとしても、社会状況が主人公の背景に垣間見えるような何かを映したいと。まあそれを実現するのは本当に大変だったんですが。

――室内でもいろいろな場所が出てきますよね。旧グッゲンハイム邸を主人公夫婦の住む屋敷として使われたそうですが、それ以外にも、憲兵の分隊所ですとか、当時のまま残っているところを探し出していったんでしょうか。

黒沢 そうですね。ただ実際に探してみると、当時のまま残っているところはほぼないと言っていいことがわかりました。戦後すぐとか、1950年代くらいの建物だとまだ残っているところもあるんですが、戦前となると、都市においてはほぼ存在しない。たとえあったとしても、博物館的な状態で大切に保管されていて、撮影などとてもできない。ですからなんらかの手を加えないといけない。具体的に言うと、建物は戦前からあるものでも、必ず電気を通すための電線が引かれていたり、雨樋やダクトがついていたりして、専門家が見ると「ああ、これは戦後のものだ」とわかってしまう。

――そういう箇所はなるべく映さないように撮っていったということですか。

黒沢 あとは美術的に隠したりですね。カメラのフレームぎりぎりで切るとか、そういう作業でどうにか撮っていきました。ただそうすると、本当にほんの1メートルですらはみ出せないんですよ。逆側なんてとても撮れない。限られた場所で撮るにはどうするか、常にそういう状態でした。ただ正直言うと僕はそういうの嫌いじゃないんです。

――そういう制約があることが、ですか?

黒沢 制約というか、この中だけを作り込んでいくという作業ですね。嘘といえば嘘なんですけど、見えているところだけを完璧に作っていく。その際たるものがスクリーンプロセスですよね。今回はスクリーンプロセスは使っていませんが、市電のシーンでは実際には走っていないものをどうにか走っているように工夫して見せました。大変でしたけど、ああ映画を作っているんだ、というとても純粋な高揚感が、僕だけではない全スタッフにあったように思います。

――実際に見ていると「ああこんなところが残っているんだ」と素直に驚くことが多かったです。途中で出てくる港の場面だとか。

黒沢 そう言っていただけるとありがたいんですが、あそこは実は横浜の山下埠頭なんです(笑)。

――神戸ですらなかったんですね……。

黒沢 神戸にはそんな場所はまったくと言っていいほど残っていませんから。幸い、旧グッゲンハイム邸などおもしろい建物はいくつか使うことができましたが、それ以外のところは、予算的に、ほぼ東京近郊から外に出ることが許されない状況でした。神戸で撮ったのは2割か3割、それ以外は関東近郊です。

「いや、だってああ撮りませんかね、普通?」

――途中で出てくる群衆シーン、あそこはオープンセットですよね。

黒沢 ええ、あれはNHKが筑波に作ったオープンセットで、そこで『いだてん』を撮ってるんですよ。そこをめいっぱい使いました。でもカメラを逆に向けてしまうと今度は江戸の街が見えてくる(笑)。まあでもあそこを使えたのはよかったですね。

――このオープンセットでのシーンでは長回しで、カメラもどんどん移動していきますよね。こういう長回しというのもまた黒沢監督の作品でしばしば見られる手法かなと思うのですが。

黒沢 うーん、ただ意図的に狙った長回しということは考えていないんですよ。たしかに相当長く回すことはありますが、異常に長いということはないはずです。今回はNHKのセットを使ってずっと横移動で撮り、エキストラがたくさんいるなかで当時の社会状況と二人の関係を見せていったわけですが、僕からすると「いや、だってああ撮りませんかね、普通?」という感じなんですね。何かものすごいことを狙っているつもりもなく、あのセットを見て自然とああいう撮り方になったわけで。

――ここはこう撮る、という決定は、その場所があってこそ生まれるということでしょうか。

黒沢 もちろんそうです。その場所を最大限生かしながら効率よく見せるならどうするか、その方法を見つけていくのが僕の仕事ですから。もちろん僕一人ではなく、たくさんの撮影スタッフと相談しながら決めていく。それを指揮していくのが監督の仕事だと思っています。

――撮影には、濱口さんや野原さんは参加されたんですか。

黒沢 まったく来なかったですね。神戸の撮影のときに一瞬、野原が来たのかな。彼らは脚本の第一稿までは書いたけれど、プロデューサーたちが本格的に動き出してからは基本的にノータッチ。一応僕が書き直す際には「こんなふうに直していい?」とか伝えてありましたが、彼らは「すべてお任せします」と。撮影が終わったあとの編集ラッシュにも、一切顔を出さなかったですね。

――それは黒沢さんが拒んだわけではなく、濱口さんたちの方がお任せだったと。

黒沢 そうですね。彼らからすると「一度お任せしたんだから」という律儀な気持ちもあったのかもしれませんが。実際に見てみたら「え、この台詞をこんなふうに言わせるの?」とか「ここ、こんなふうになるの?」とかいちいち引っかかるのもいやでしょうし、そういう葛藤をしたくない、という思いがあったんでしょう。それはよくわかります。僕がもし脚本を書いて、誰か別の人、たとえば濱口が監督するとなった場合、撮影現場に来てくださいと言われても絶対に行かないでしょう。行ったらものすごく心が揺れ動きそうで。

――それはやはり監督同士だからこそですよね。

黒沢 ええ、やはりお互いにプライドがありますから。

「僕にはとてもこんなドラマは書けません」

――この映画はある夫婦の話であり、また何か世界の終わりのようなものを描いていますよね。戦争という形で国家が一度終わってしまう。でもそこから何か新しいものが始まるんだ、という何か清々しい予感に満ちた終わり方でもあり、これってまさに黒沢清の映画ではないか、と思ってしまいました。こうした黒沢映画的な要素というのは、濱口さんたちの最初の脚本からすでに書かれていたことなんでしょうか。

黒沢 それはなかなか微妙な部分ですね。間違いなく僕には絶対に書けないなという部分があったのはたしかです。それは愛し合っている夫婦だと言いながら彼らが壮絶な騙し合いをする箇所。夫が妻を騙すのはまだわかる。でもそれに対抗するように妻も凄まじい手段で夫を騙しにかかり、かと思えば一緒にアメリカへ行こうと宣言する。読んでいて痛快ではあるんですが、よくこんなこと思いつくなと思いました。聡子という人物が何をしたいのかさっぱりわからない。にもかかわらずたしかにあり得るのかもしれないと思わせる。それはあの二人だからこそ書けたもので、僕にはとてもこんなドラマは書けません。

こうした騙し合いの果てに、最後の最後に二人は離れ離れになっていく。そういうことを彼らはやりたかったんだろうと思います。でも完全に分離しながらも、あの夫婦はどこかで互いを信じ合っている。時代がああさせてしまったけれど絶対に切り離せない何かが二人にはある。そういう後味にこの映画がなっているなら、それは僕が加えた要素でしょう。

――本当に、不思議なほど希望に溢れた終わり方だと思いました。真相がどうとかそういうことではなく、この先にあるものって何なんだろうと。

黒沢 濱口たちが書いてきた最初の脚本では本当に非情な結末でした。それこそ若尾文子の映画でこういうのあるよな、と思うような、凄まじい終わり方。一人の強烈な女性像としてはそれもありだったでしょうが、僕は、戦争という時代を扱ったこの映画でそんな非道い終わり方をすることができなかった。何らかの救いや希望があるように終わらせたかった。

それでいくつかの場面を書き換えたり、全く新たな要素を書き加えたりしました。僕がロマンチストなんでしょうか。どうも非情になりきれないんですね。濱口たちは「あーあ、甘いな」なんて思っているかもしれませんが(笑)。

高橋さんも蒼井さんも何も言うことはなかった

――蒼井さんの台詞の発し方も、昔の日本映画を見ているようでとても素晴らしかったです。見ていて原節子さんや様々な昔の役者さんを思い出してしまったのですが、あれは黒沢さんが何か指定をされたんでしょうか。

黒沢 最初に蒼井さんに「ここに書かれた台詞は、現代の人が言うような言葉とはまったく違うんですが、この狙いってわかりますか?」と聞いたら「はい、わかります。昔の日本映画のようなイメージですよね」とおっしゃったので、それ以上は特に指定はしませんでした。ただその後に「もし何か参考になるものがあれば教えてください」とはおっしゃったので、

「原節子や高峰秀子のような強烈な個性のある人はあまり参考にならないかと思います。それより、今見て当時のスタンダードに見えるのは田中絹代でしょうか」とは答えました。

――そこから実際にああいう芝居をつくりあげていったのはもうそれぞれの役者さんご本人が、ということなんですね。

黒沢 ええ、高橋さんも蒼井さんも、この脚本のニュアンスをすぐに理解されていたので、それ以上特に何か言うことはありませんでした。もし「これいったいどんなふうに喋ったらいいんでしょう」と言われたら「ではまず5、6作品くらい見ていただいて……」と言わざるを得なかったんでしょうが、二人とも、読んだ瞬間すぐに飲み込んでくれた。それはとても心強かったですね。

――映画の途中には、山中貞雄と溝口健二の名前が出てきますね。

黒沢 これは指摘されると気恥ずかしいんですが、実際当時の神戸で何が上映されていたかと調べていたときに、溝口の『浪速女』が上映されていたと判明したので、まあ使おうと。山中貞雄の『河内山宗俊』については、最初はあれにするつもりはなかったんです。当時の映画を何か見せたいということで色々当たったんですが、どれも権利料が高いんですよ。脚本では単に二人がニュース映画を見ている、という設定だったんですが、当然ニュース映画だけを見にいくということはないわけで、目当ての映画の前にかかるのを見ている。それなら本編の映画の冒頭も少し見せておきたいと思い、そこは僕が付け加えました。『人情紙風船』は二人が見る映画としてちょっと違うし、『丹下佐膳余話百万両の壺』の冒頭は意外に地味で、最終的に『河内山宗俊』に決めました。日活も格安で使わせてくれましたし、狙いすぎと言われそうだなと思いながらもあれを使わせてもらいました。年代的に舞台となった1941年より少し古いんですが、リバイバル上映も当時はされていましたから。

8Kバージョンは「相当すごい」

――今回、残念ながら8Kでの映像を見ることはできなかったのですが、実際どのような違いがあったんでしょうか。

黒沢 作ったこちら側からするとだいぶ違います。8Kバージョンは相当すごいものでした。当初は、映画版も8Kのあの感じにできるだけ近いものを残せないかと試行錯誤したんですが、結果から言うとそれはやはり無理でした。8Kって単に粒子が細かいというだけではなく、1秒間に60コマなんですよ。映画は24コマ。そこからもう違うんです。

――具体的にどう変わってくるんでしょうか。

黒沢 ものすごく鮮明で粒子が細かくて、ありありと今そこにあるように見えてしまう。だからこそ撮影では苦労もしました。というのも、鮮明であるということは、一方では、あまりに生々しすぎて、「ああ、俳優が演技しているな」ということがそのまま見えてしまう。まったくフィクションにならないわけです。

――それは撮っているときから意識されていたんですか。

黒沢 ええ、だから僕が望んだのは、この生々しさをどうやってフィクションとして成立させるかということでした。最初は画を少し汚くしてまるでフィルムみたいにするとか、極端な話、古い白黒の映像にすることも考えたんですが、そうすると8Kで撮る意味がまるでなくなってしまう(笑)。だから「画面は絶対に汚くはしたくない。きれいなままで生々しさをできるだけ消したい」と無理をお願いしました。NHK側も、4Kで撮る大河ドラマなどの経験でその苦労はよくわかっていて、最終的に出来上がったバージョンは当初の理想にとても近づいていました。まるで動く絵画のようでした。ありありとそこにあるように鮮明で美しく、でも生々しさとは違う。映画版は割り切って普通の映画としてつくりましたが、機会があればみなさんにも8Kバージョンをぜひ見てほしいなと思いますね。

くろさわ・きよし/1955年、神戸に生まれる。『CURE キュア』(97)で世界的に注目され、国内外で多くの映画ファンを魅了する。『トウキョウソナタ』(2008)でカンヌ国際映画祭ある視点部門審査員賞、『岸辺の旅』(14)では同監督賞を受賞。

INFORMATION

映画『スパイの妻』
10月16日より新宿ピカデリーほか全国ロードショー
https://wos.bitters.co.jp/

(月永 理絵/週刊文春)

月永 理絵

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