「1mのバットが50cmに見えた」。八重樫幸雄が大杉勝男に感じた一流打者の証

「1mのバットが50cmに見えた」。八重樫幸雄が大杉勝男に感じた一流打者の証

  • Sportiva
  • 更新日:2021/01/14
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「オープン球話」連載第48回

◆首位打者争い中の落合博満に八重樫幸雄はカマをかけた「何を投げてほしい?」

【大杉勝男との出会い】

――八重樫さん、好評につき、2021(令和3)年も「オープン球話」連載が続くことになりました。引き続き、よろしくお願いします!

八重樫 こんなに長く続くと思わなかったね。今年もどうぞよろしく。

――さて、前回まではセ・リーグ各球団の懐かしの選手たちの思い出話を伺ってきましたが、スポルティーバ編集部に「もっと、ヤクルトOBたちの話を聞きたい」という声が殺到しました。そこで、今回からはしばらく八重樫さんと関わりがあった元ヤクルトのスター選手たちとの思い出を伺いたいと思います。

八重樫 ヤクルト関係者で思い出深いのはやっぱり、大杉さんかな?

――1992(平成4)年に47歳で亡くなった大杉勝男さん。八重樫さんとは、大杉さんがヤクルトに移籍してきた1975(昭和50)年から1983年までチームメイトでした。

八重樫 大杉さんには本当にお世話になったんです。家も近かったし、僕がまだ免許を持っていなかった頃は、いつも家まで送ってくれたから。ナイターが終わって、神宮から横浜の自宅に帰るまでの車中でいろいろな話をしたので、思い出もたくさんあるんだよね。

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日本ハム(旧東映、日拓)時代に2度の本塁打王・打点王に輝き、1975年にヤクルトに移籍した大杉

――大杉さんとの最初の出会いは、大杉さんが日本ハムファイターズから移籍してきた1975年のことになるんですか?

八重樫 そうですね。厳密に言えば1974年のオフになるかな。当時は荒川(博)監督の時代だったでしょ。この連載でも何度か言ったけど、当時の僕は「荒川道場」で一本足打法の練習をしていた頃だったんですよ。それで、荒川さんの自宅に大杉さんも呼ばれたことがあって、その時に初めてきちんとあいさつをしたんです。

――当時すでに、大杉さんはパ・リーグでホームラン王、打点王も2度ずつ獲っていました。大杉さんも「荒川道場」入りしたんですか?

八重樫 道場入りしましたよ。自分の意思で来たのか、荒川さんに呼ばれたのかはわからないけど。大杉さんは自分が納得しなければ動かない人だったから、きっと王さんを育てた荒川さんから「何かを学びたい」という思いがあったのかもしれないですね。

――これも以前伺いましたけど、「荒川道場」での教えは杉浦享さんにはハマったけど、八重樫さんにはまったくハマらず、逆に打撃フォームやタイミングの取り方を崩す結果となりました。大杉さんはどうだったんですか?

八重樫 杉浦の場合は室内練習場で教えてもらってたんだけど、荒川さんの自宅に呼ばれたのは僕と大杉さんぐらいだったな。でも、大杉さんは5日間ぐらいしか荒川さんの自宅には通わなかったかな。さすがに荒川さんも、大杉さんに「一本足打法にしろ」とは言わなかったけど、全然ハマらなかったんだと思います。

――荒川道場名物の「真剣トレーニング」は、大杉さんもしたんですか?

八重樫 もちろん、しましたよ。初めての経験だったと思うけど、きちんとパンツ一丁で真剣を使って、天井からぶら下がった紙片をスッパリと斬っていました。

【1mのバットが50cmに見えるスイング】

――移籍早々、荒川道場での大杉さんの素振りを見て、「さすが一流打者だ」となりましたか?

八重樫 なりましたよ。なんて言ったらいいのかな? バットが実際の長さよりもずっと短く見えるんだよね。普通のバッターだと、ずっとバットの長さは変わらないように見えるんだけど、大杉さんの場合は約1mのバットが半分の50cmぐらいに見える。そして、インパクトからフォロースルーの瞬間に再び1mに戻る感じです。「あぁ、バットを振るというのはこういうことなのか」と、大杉さんのスイングを見た時に初めて思ったね。

――「バットが短く見える」というのは、「スイングが遠回りをしない」ということ、いわゆる「インサイドアウト」のスイングだということですか?

八重樫 そうです。インサイドアウトでバットが体の内側から出てくる。バットが体に巻きつくようなスイングだから短く見えるんです。あとで考えてみれば、若松(勉)さんも体に巻きつくようなスイングをしていました。大杉さんのスイングを間近で見た時に、「あぁ、若松さんもこういうスイングをしているな」と実感できたんです。

――大杉さんから八重樫さんに打撃のアドバイスなどはあったんですか?

八重樫 大杉さんが荒川道場に通っている間はなかったけど、その後、僕だけが荒川さんの自宅で一本足打法をしていた頃、大杉さんに「ハチ、ちょっと普通にバットを振ってみな」と促されてスイングしたんです。一本足じゃなくて、それまで通りのスイングをしたら「それでいいんだよ」と言われたことはありましたね。でも、当時は荒川監督自ら「一本足で打て」と言っていた状況だったので、大杉さんも表立っては「一本足はお前には向いていない」とは口に出せなかったと思うけど(笑)。

――大杉さんと八重樫さんは、打者としてのタイプやタイミングの取り方は似ていたんですか?

八重樫 似ていたと思いますよ。グーッと引きつけてからボールをとらえるタイプなので、前でさばく一本足打法は合わなかったんじゃないかと。実際に大杉さんも移籍1年目は全然打てなかったけど、荒川さんの指導が合わなかったんじゃないのかな?

――そうだと思います。大杉さんが引退後に出版した『大杉勝男のバット人生』(リイド社)の中には「10年もやってきた打ち方を、オイソレと変えるなんて、オレにはできなかった」と書かれていました。

八重樫 確かに荒川さんの指導と大杉さんは合わなかったと思います。実績のある大杉さんだったからなおさら、「変える必要はない」という思いも強かったんじゃないかな。移籍一年目は打率.230ぐらい(打率.237)しか打てなかったね。

【試合後、自宅まで送ってくれた】

――大杉さんは、6歳下の八重樫さんに対してどんな接し方をしてきたんですか?

八重樫 それまでオープン戦でしか接点がなかったので、僕の中では「怖い人」というイメージがあったんですよ。実際にいろいろな人から「大杉さんは怒ると怖いぞ」って聞いていたし(笑)。でも、初対面の時には本当に紳士的な態度だったし、年下の僕にもきちんと頭を下げてくれた。とても穏やかで神経の細やかな人だったんで、すごく驚いたんだよね。それが大杉さんの第一印象かな?

――その後も、大杉さんの態度は変わらなかったんですか?

八重樫 ずっと普通に接してくれましたよ。最初に会った時は「よろしくな」とあいさつしてくれて、それ以降も、いつも親身になっていろんな話を聞いてくれました。最初に言ったけど、お互いの自宅が近かったこともあって、大杉さん自ら「乗ってけよ。送ってやるから」と気さくに話しかけてくれたよ。

――最初に「怖い人だ」というイメージを抱いていたから、そんな言葉をかけられたら「ギャップ萌え」しますね(笑)。

八重樫 最初のキャンプでも大杉さんは優しかったです。大杉さんはインサイド打ちが本当に上手だったんだけど、自ら手本を見せてくれて、何度もアドバイスをもらいました。右ひじをヘソの前に入れるようなスイングを教わったね。

――大杉さんとのエピソード、次から次へと出てきますね。しばらくの間、「大杉さん話」を続けましょうか?

八重樫 いいですね。まだまだ話したいことはたくさんあるから。帰宅後の車の中で、どんな話をしたのかとか、帰宅途中にお巡りさんにお世話になった話とかを、次回以降にご披露しましょうか!

(第49回に続く)

長谷川晶一●取材・文 text by Hasegawa Shoichi

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