死んだと思った...松島トモ子がいま明かす「ライオンとヒョウの襲撃事件」の真相

死んだと思った...松島トモ子がいま明かす「ライオンとヒョウの襲撃事件」の真相

  • 現代ビジネス
  • 更新日:2021/02/23
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松島トモ子がコロナ危機の中、ブログを更新している。「ライオンの餌」というブログタイトルの由来は? なぜブログを始めたのか? あの“事件”の真相とは? 松島本人がぜんぶ語る。

松島トモ子がライオンに襲われた――。今から35年前の1986年1月、衝撃的な一報が日本に届いた。その10日後、今度はヒョウに噛まれる。あと1ミリ場所が違えば、全身不随になる程の重傷だった。

2つの大事故は昭和から平成、令和と移り変わっても語り継がれている。

「ビートたけしさんや明石家さんまさんがコントで、散々おやりになったみたいですよ。最近ですと、爆笑問題のお二人もお好きで、時々ネタに使ってくださいますし。船場吉兆のささやき女将とパッケージになってますでしょ、私」

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松島トモ子さん(撮影:村田克己)

コロナ禍で仕事のキャンセルが続いていた昨年8月、松島はブログ「ライオンの餌」を開設。キャッチーなタイトルは、親交の深かった永六輔の一言に由来している。

「永さんのイベントに出演する際、『今日のゲスト、ライオンの餌・松島トモ子!』と呼ばれていました。初めて言われた時は、ビックリして舞台の袖で立ちすくみましたよ(笑)。若い方々が私を知っていらっしゃるとすれば、ライオンやヒョウの話しかないわけで。タイトルは、これっきゃないなって。全く迷いませんでしたね」

35年経った今も話題を呼ぶ“ライオンとヒョウの襲撃事件”は、なぜ起こったのか。

ジョージ・アダムソンへの密着取材

1985年、日本テレビのドキュメンタリー番組『TIME21』のスタッフはある構想を描いた。世界30ヵ国以上で翻訳され、映画化もされた大ベストセラー『野生のエルザ』(1960年刊行)の著者ジョイ・アダムソンの夫で、まもなく傘寿を迎えるジョージ・アダムソンへの密着取材である。

レポーターとして、松島が抜擢された。動物好きに加え、当時の芸能界では珍しく2年半のアメリカ留学経験があったからだ。妻に先立たれたジョージはケニアのコラ動物保護地区に住み、ライオンなどの世話をしていた。

スタッフが数ヵ月前から先乗りしていたが、ジョージは誰とも会話しようとしなかった。報告を受けた松島は、英語で便箋数枚の長文を綴った。

〈私はショービジネスで生きてきて、あなたとは全く違う世界の人間です。だけど、1つ共通点があります。動物が大好きということです〉

顔も覚えてもらうため、写真も同封した。ジョージの元には世界中からレポーターが集まっていたが、そんな気遣いを見せたのは松島だけだった。

「セスナ機で到着すると、向こうから『トモコ!』と名前を呼んでくれ、すぐに車に乗せてくれました。ものすごいスピードで1時間半ほど揺られると、ライオンの出てくる場所に辿り着きました」

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ジョージ・アダムソンと松島さん(写真提供:松島トモ子さん)

ライオンの顔が目の前に…

遭遇まで1週間掛かることも珍しくないが、すぐに7頭の群れが発見された。

「ジョージがラクダの肉の塊を投げ与えると、ライオンたちはむしゃぶりつき、手ではたき落とし、たらふく食べました。お腹がいっぱいになると、ライオンたちが眠りだしました。その日の撮影は終了になり、私は一番小さなライオンの子供を眺めていました。すると、後ろから物音がした。振り返ると、大きなライオンの顔が目の前に広がっていたんです」

その瞬間、松島は空中に跳ね上げられ、意識を失った。頭をくわえられたまま、10メートルほど引きずられ、ライオンの群れの真ん中に連れて行かれた。正気に戻ると、頭から血がドクドクと流れ出ている。ジョージが救出し、すぐに車に乗せた。

「参ったなと思いましたよ。このままでは番組が成立しなくなる。近くに病院がないため、翌朝にフライングドクターがナイロビからセスナ機でやってきました。『せめてジョージにインタビューさせて』とお願いしたけど、半ば強引に乗せられました」

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現地の病院に入院した松島さん(写真提供:松島トモ子さん)

セスナ機の発着場所に新聞社の支局があったため、事故はすぐにニュースになった。松島は10日間の入院と診断されたが、交渉の末に3日間で退院した。

「このまま日本に帰ったらライオンに噛まれに来ただけでしょう。でも後にヒョウの部があるとわかっていたらね(笑)」

「死んだ……と思いました」

松島は再び、ケニアに舞い戻った。すると、ジョージの弟子であるトニー・フィッツジョンが毎晩、撮影クルーのキャンプに来て、執拗に夕食に誘う。2月7日、根負けした彼女たちはテントを訪れた。食事中、トニーは「いいものを見せてあげるよ」と言い、松島を外に連れ出した。その時、悲劇が起こった。約4メートルのフェンスの上にある木に登っていた雌のヒョウが松島の首を狙ったのだ。

「耳元で、ガリガリッと骨が砕ける音がハッキリ聞こえました。死んだ……と思いました。そこからは記憶がありません」

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松島さんを襲ったヒョウ(写真提供:松島トモ子さん)

数人がかりで引き離しにいっても、ヒョウはしぶとく噛み付いている。スタッフが履いていた下駄で腰を叩くと、ようやく離れた。松島は一晩中、流血が止まらない。翌朝、再びセスナ機でナイロビの病院に運ばれた。

「ライオンとヒョウに噛まれた人間なんて前代未聞みたいで、医者や看護師が何人も病室に見物にきましたよ。写真を撮る人までいました」

3日後、松島は医師を説得し、またしてもケニアに向かった。ジョージは自伝『追憶のエルザ』で、〈……なんと彼女は再びコラに帰ってきた。首にコルセットをつけて、最後の場面をとりにやってきた。私は限りない感嘆を覚えた〉と述懐している。

「締めのコメントを取らないといけないなと思って。今考えれば、ナレーションで済ませれば良かったんですけど。あと、この病院に任せていると危ないというか……。早く日本へ帰らなきゃ、助からないなとも考えていました」

ナイロビでの診断は全治6週間だったが、2月17日に帰国して昭和大学病院の精密検査を受けると全治6ヵ月で、第四頚椎棘突起および椎弓骨折の重傷と判明した。頚椎の4番目がかじり取られ、骨が14個も砕けていた。

「仕事に復帰できるかを医者に何度も聞きましたね。だけど、『命があって帰ってきただけでも十分だと思ってください』と言われちゃって……。不安は募るばかりでした」

3月18日、松島は病院の許可を得て、『TIME21』の収録に参加した。31日放送の番組サブタイトルは当初の〈ライオン聖人〉から〈それでも私はライオンが好き―松島トモ子奇跡の生還―〉に変わった。帰国時の記者会見で、松島の発した一言が採用されたのだ。

ライオンは怖くないけどヒョウは嫌…

松島はわずか3ヵ月後、ミュージカル『女の平和』で芸能活動を再開するも、体調を崩してしまう。

「なんとか最後までやり切ったけど、終わったら倒れてしまって。まだ若かったし、焦りがあったんでしょうね。本格的な復帰には3年くらい掛かったのかな。当座はうまく動けなかったですし、左半身に痺れも残っていました。ある時、テレビで両手のない方が海に潜っているのを見たんです。それからダイビングを始めたら、体が楽になり、徐々に痺れもなくなっていきました」

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一歩間違えれば命を落としていた大事故にもかかわらず、松島はその話題を避けない。2004年には、映画の試写会で生後3ヵ月の子トラと対面。2011年には、『クイズ☆タレント名鑑』(TBS)でライオンやヒョウへの餌やりに挑戦した。

「最初は自分から話すことはなかったけど、時が経つに連れて、徐々に嫌ではなくなっていきました。特別なキッカケはないですけどね。ライオンやヒョウの企画は、私自身が面白がっていたんじゃないですか。やけになっていたというか(笑)。そればかり話題になるんだから、まあいいかって。別に、今もライオンは怖いと思っていません。私を標的にしたヒョウは嫌ですけどね」

松島は逃げずに過去と向き合い、ピエロを演じる。その器の大きさに、ただ感服するばかりである。

【前編】 「ライオンの餌」というブログ開設、松島トモ子の人生は想像以上に動物と縁深かった…!

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