「親だと思ったことはない。刺し殺したいです」母親に愛されず「悪に染まりかけた少年」を救った“ある女性”との出会い

「親だと思ったことはない。刺し殺したいです」母親に愛されず「悪に染まりかけた少年」を救った“ある女性”との出会い

  • 文春オンライン
  • 更新日:2023/03/19

《写真あり》「犬のように食べ、穴に向かって排泄する」元受刑者が語った“不潔すぎる女子刑務所”のリアルから続く

「私は決して見捨てない」――2度の服役を経験したが、獄中出産を機に更生し、今では建設請負会社社長として働く異色の経営者・廣瀬伸恵(ひろせ・のぶえ)さん。

【本人写真】15歳で「ヤクザの性奴隷」にされた女性のその後

刑務所の出所者を従業員に雇い始めた頃、彼女はある17歳の少年と出会う。実の家族から虐待を受け、「親だと思ったことはない。刺し殺したいです」とまで言い切る彼の荒んだ心をどう救ったのか? ノンフィクション作家の北尾トロ氏による新刊『人生上等! 未来なら変えられる』より一部抜粋して紹介する。(全2回の1回目/後編を読む)

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廣瀬伸恵さんはなぜ17歳の少年を見捨てなかったのか ©中川カンゴロー

◆◆◆

くそガキ、気に食わねえな

廣瀬が出所者の受け入れに興味を持ったのは事業を始めて1、2年たった頃で、動機は決してホメられたものではなかった。思うように従業員が集まらず、集まったとしても定着せず、困っていたのである。

応募者に年長者は少なく、十代半ばのヤンチャな少年や、何かでしくじってムショ暮らしを経験してきた男たちが中心。出所を控えた人に声をかけておけば大伸興業で働いてもらえるのではないかと考えた。定職に就くことさえ苦労することは自分もよく知っている。

この時点でもまだ、人の役に立とうという発想はなかった。欲しいのは頭数(あたまかず)。仕事は入ってくるのに、出せる人数が足りないのが悩みのタネだったのだ。やるからには上を目指す。納豆ご飯を食べられることをありがたく感じる時期は終わっていた。

「お金、好きだからね。出所者に目をつける業者なんかいないだろうから私の独占じゃんって、儲ける気満々。ところが、どうしたらいいかもわからないわけですよ。ひらめきが実を結ぶのは数年後のことで、私がいまのようになるにはいくつか決定的な出来事があったんです。その最初のやつがこの時期にやってきました。アイツとの出会いが私の人生を変えたんです」

話はここからが本番だと言わんばかりである。こちらが驚くようなことも顔色ひとつ変えずに話す廣瀬が力をこめる出来事とは。今度はいかなるドラマを聞かされるのだろうか。

闇金をやめて1カ月もしないうちに逮捕される

アイツとは、大伸ワークサポート取締役の原田健一(仮名)のことである。まだ20代だが、廣瀬の右腕的存在のひとりで、鋭い眼光が印象的。よく廣瀬宅へ食事にくるので何度か会っていたが、見ず知らずの僕やカメラマンのカンゴローを警戒しているようなので、話しかけるのを遠慮していた。

「大伸興業を設立して2年目のとき、うちにいたヤンチャな子の紹介で入ってきたんですよ。そのとき原田は17歳。いまだに目つきは悪いけど、もっと鋭かった。話しかけても無視するか『はぁ?』とかで、トゲのある子。礼儀作法もなってないから『このくそガキ、気に食わねえな』と好きじゃなかった。お互い、あいつは嫌いだと思っている関係」

当時もいまも、従業員には宿なしが多いため、廣瀬は資金の余裕ができると最優先で従業員を住まわせる寮を用意した。原田は2DKのアパートをほかの従業員とシェアする形で使い、そこから仕事に行くので、事務所にいることの多い廣瀬と毎日顔を合わせるわけではなかったが、それにしても態度が悪かったらしい。手料理をふるまっても、黙々と食べて帰るだけだった。

「友だちとは喋るのに、私には“話しかけるなオーラ”が出ている。人間嫌いな性格で、様子をうかがうし、バリアを張るんです。どうせシカトされるか睨まれるだけなので、私も挨拶しなくなっちゃった。このときは、『俺は闇金をやる』とか言って1年続かないくらいでやめたんです。そうしたら1カ月もしないうちに捕まったんですよね」

汗水たらして働くよりラクして稼ぎたかったのだろうが、うまくいかなかったのだ。犯罪慣れしている廣瀬にとってはどうでもいい部類の事件。嫌ってもいたから心配さえしなかった。

廣瀬が驚いた「虐待」の事実

そんな彼女のもとへ、保護司から連絡が入った。拘置所に収監されている原田についての問い合わせである。働いていた職場の代表ということで名前が出たのだろう。

「廣瀬さんは原田君がどういう家庭環境で生まれ育ったか聞いたことがありますか」

幼い頃から虐待を受けてきたことなど、廣瀬の知らないことを保護司は語り、とてもじゃないけど実家には戻せないという。その内容は、少々のことでは微動だにしない廣瀬の心を揺るがすほど衝撃的なものだった。

「知らなかった。あの子、私と口をきかないんですよ」

答えながら思う。家庭環境がそれほどひどければ人間不信にもなるだろう……。トゲのある態度には、人間不信にならざるをえない理由があったのだ。

「彼もまた雇ってもらいたがっているし、どうでしょうかね」

「本人がやりたいと言うなら、うちはいいですよ」

そう答えるしかないというより、そう答えるべきだと、廣瀬の母性が訴えかけてくる。実家に戻れば確実にまた荒れるのは目に見えていた。好き嫌いを言っている場合ではないのだ。

悔いを残さないように決めた“覚悟”

「親御さんが当てにならないのでぜひお願いしたい。ただ、未成年だから保護者が必要で、本来は親なんだけど、どうだろう、親代わりとして家庭裁判所の審判に出てもらえませんか」

「わかりました。原田がそれでいいと言うなら引き受けます」

情状証人や身元引受人は経験済みだから要領もわかる。だが、電話を切ったあとで、それだけでは不足な気がした。大伸興業で再雇用するだけでは、一時的な避難先にはなれても、また出ていってしまいかねない。

それはあの子の問題だと突き放す気にはなれなかった。雇い主としての責任感で、菓子折りを持って謝罪に行ったり、証人として情状酌量を求めたこれまでのケースと今回は違う。事情を知った上で身元引受人になるからには、人と人として、立場抜きでとことんつきあう覚悟を決めないとダメだ。それでも嫌い合うままなら仕方がないが、中途半端なことをしたら悔いを残す。

そうだ、自分が捕まったとき、親が面会にきてくれたことがとても嬉しかったのを覚えている。私も原田に会いに行こう。親の愛情を受けてこなかったあの子に、私なりの親らしいことをすることによって、変わってくれたらいいな……。

おまえの母ちゃんになってやる

仲の悪かったふたりが面会室で向き合う。奇妙な感じだ。廣瀬の気持ちは伝わったのだろうか。

これが成功したのだ。原田は照れているような、はにかんだような笑顔を見せて、初めておだやかに話をすることができた。

「面会にまできてくれるとは思わなかった」

「いや、くるよ。おまえ、いろいろあったんだな」

ことば数は多くなくても気持ちが通じ合う感触を廣瀬は得た。突っ張っていても、原田は人の心をちゃんと持っていて、ただ寂しいだけだったり、悪ぶっていただけなのだ。

「出たら戻っておいでね。アパートを用意して待ってるから」

審理の結果、少年院送りにはならず、鑑別所で約1カ月過ごしたあとに出てくることができた。以前とは別人のように喋るようになり、仕事のことからプライベートなことまで、ざっくばらんな話ができるようにもなった。比例するように、仕事への取り組み方も真剣になっていく。

心を開いてくれたのだ、と思った。かたくなに自分を拒否していた原田が、少しずつではあっても、自分を開放しようとしているのがわかる。私のしたことが彼をいいほうに変える一助となったのなら、なんて素晴らしいことだろう。

もしかしたら、私はこの子と出会うべくして出会ったのではないか。目標のないまま流れに身を任せ、目先のことだけ考えて生きてきたけれど、あなたにもできることがある、こういうことをしていきなさいと神様が教えてくれているのではないだろうか。

原田が親を憎む理由

原田の変化を確認した廣瀬は、腫れ物に触るように接するのを意識的にやめた。私はこの子を信頼できるようになったし、信頼してほしいと願っている。では、どうするのがいいか。すべてオープンにすることだ。普段通りが一番いい。

ある日、ふたりで話し込むうちに原田の家庭のことになった。親のことをどう思っているか尋ねると、眉ひとつ動かさずにこう言った。

「親だと思ったことはない。刺し殺したいです」

そこまで憎んでいるのか。

「母親が死んだら喜びますね。葬式は黒いネクタイじゃないですか。でも俺にとっては喜ばしいことだから、白いネクタイをして出席してやるんですよ」

悲しくて涙があふれそうになった廣瀬は、忘れようにも忘れられないことばを、原田に向かって放った。

「そんなこと言うなよ。じゃあわかった。産みの親はその人だけど、私があんたの育ての親になってやっから」

原田の顔がパァッと明るくなる。

「おまえの母ちゃんになってやる。これからは私が親だかんな!」

“息子”として仕事とプライベートの両面で支える存在に

「それを言ってからは、彼がせがれのように思えてきて、彼も私のことを本当の母親のように慕ってくれるようになった。それで私、こういう生き方もありだと思ったの。『こういう子たちはたくさんいる。その子たちの力になってあげられるかもしれないな』と思ったのはそのときから」

原田は現場で腕を上げるとともに、人懐っこいとはいえないまでも、ほかの従業員とのコミュニケーションを取るようになり、実力で取締役に抜擢された。“息子”として、仕事とプライベートの両面で廣瀬を支える存在になっていった。

有言実行タイプの廣瀬は、原田の親にも何度か会いに行き、家族仲の悪さや、ゴミ屋敷と化した実家を確認。ますます本気で、母ちゃんは自分だと思うようになったそうだ。

ここまでの関係になれたのは今日まで原田のほかに数名だけ。こっちがその気になっても、やめたり、行方不明になったり、ケンカ別れで終わったり、いい方向にいかないケースもある。

「このくそガキ」「うるせぇくそババア」

原田とは、いまだに年に2回くらいは大ゲンカするという。もめたら最後、お互いに遠慮なしのバトルが繰り広げられるのだ。1年前のケンカを再現するとこんな感じになる。原田は体調を崩してうつ気味になり、仕事に出られない状態が続いて食事もろくにとらず、アパートの家賃も払えないので、廣瀬の自宅に住み込んでいた。母ちゃんとしては心配な状況だが、調子の良くなってきた原田は女遊びにうつつをぬかしているように見えたので、廣瀬の堪忍袋の緒が切れた。

「おまえね、そうやってタダ飯食って、なのに女遊びしてふざけんじゃねえ。しかもバイクを買うってどういうことだ」

「バイクに乗って何が悪いんだよ」

「優先順位が違うんだ。そういうのは仕事に出てからにしろ」

「俺はまだ病気で、治りかけているときに女と遊んだって、母ちゃんに関係ねえだろ」

言ってはならないひと言が拍車をかける。

「関係なくねえんだ、このくそガキ」

「うるせぇくそババア」

「じゃあもういいよ、さようなら」

まるで本物の親子ゲンカである。

大切なのは、お互いのすべてをさらけ出す姿勢

「親子の縁を築けたと思っていた人とも、あっさりこれで終わりなんですね」

絶縁さえ匂わせる展開に、このままでいいのかと周囲がざわめいても、廣瀬の怒りは収まらない。

「わかりました。俺、出ていきますから」

「達者でやれよ」

結果、原田は家出。いつもはケンカの翌日に仲直りするのだが、このときは3日間帰ってこなかったという。

生意気な少年との出会いによって発見した進むべき道

「体調のことがあるからさすがに心配になったけど、謝りにきて、それで解決。私、そんなことで終わっちゃうつきあいはしてこなかったつもりでいるから、仲直りできるかどうかなんて疑うこともないんだよね」

ケンカとなれば命がけで、相手を叩きつぶすまでやめようとしなかった廣瀬は、どんなに激しくぶつかり合っても壊れないどころか、お互いのいいところも悪いところもさらけ出してわかり合おうとするのだ。

変わったのは原田だけではなかった。廣瀬もまた、口をきかない生意気な少年との出会いによって、進むべき道を発見していったのだと思う。

「あの子とはそうなっちゃいましたね。私のことはうるせえババアだと思っているんじゃないかな。でも、あの日のは『おまえの母ちゃんになってやる』が噓じゃないことは、わかってくれていると信じたいな。そうだ、原田からも話を聞いてみてくださいよ」

「あんた、過去がひどすぎるよ」10代で暴走族総長、薬物売買で2度服役したことも…社会復帰した女性を苦しめた「日本の不寛容」へ続く

(北尾 トロ/Webオリジナル(外部転載))

北尾 トロ

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